明治5年は急に短くなったのよ

文明開花シリーズ、今回は暦です。

明治5年に、それまでの太陰太陽暦から、太陽歴に変更された。
それも、急にお達し。
明治五年(1872)十二月三日をもって、明治六年(1873)一月一日とする
明治政府は明治五年十一月九日に改暦詔書を出しました。
布告から施行までわずか23日というスピード実施
十二月(師走)がわずか二日で終わってしまったのです

てんやわんや
もう、来年のカレンダーも作ってあるのにどうすんのよ。

日にちが急になくなっちゃうので
年末に結婚予定していた人が結婚できなくなっちゃったとか
てんやわんやの大騒ぎ

でも、これで世界と共通の話ができることになる
結んでしまった不平等条約を変えてもらうためには絶対必要

太陰太陽暦って
太陰太陽暦ってなんやろ
素朴な疑問を持って調べ出すと
おっとこれは奥深い
どんどん色んな話に

そもそも、私は人間カレンダーという特技を持っておりまして
日にちを言っていただければ、曜日を当てることができます。

その時思っていたのは、
大の月と小の月、ずっと交互にやって来れば計算楽なのに

2月だけなんで28日(29日)なん?

分かっちゃいましたよ

勿体つけますが、
面白いし、話が長くなるので次回ね

今日は太陰太陽暦のなんたるかをホントにさわりだけ

太陰太陽暦とは
日にちを月を元に数えるか、太陽を元に数えるかの違い。
太陰太陽暦は、基本的に月で日を数える。
見える月の形がそのまま、日の名前
三日月だったら3日。十五夜の満月なら15日
ずっと数えておかないでも、月見りゃ日が分かるのでとっても便利

ところが、唯一不便な点が。
長くやっていくと、季節がずれる
何故なら月の満ち欠けのワンセットは29.5日
12ヶ月だとすると29.5×12=345日
365日に11日も足りないので、少しずつ前倒しになる
3月は春だと思っていたのに寒くなってきたなあ。

そこで、一気に調節するため、閏月ってのを入れて、ある年は13ヶ月
太陽も考慮に入れて調整するから太陰太陽暦

なぜ?
何故そんなに急いだかなんだけど
財政難が原因と言われている
明治6年は13ヶ月の年
公務員の給料は月給制に変更になっていた。
来年、13ヶ月も給料払わないといけないのか
きついなあ
よし、改歴だ
そしたら、今年も、12月は2日だけだから「給料なし」にしちゃって
2ヶ月分も得をする
よし、それで行こうってね。

ちなみにその時、丁度、岩倉具視使節団が留守の時。
大久保利通も木戸孝允も伊藤博文もいない。
彼らが改暦を知ったのは、2月に入ってから。
旧暦で新年を祝ったらしい。

時刻も変わった
時刻法も従来の不定時法から一日24時間の定時法に変わります
不定時法は、夜明けから日暮れまでの時間を6等分する時間法です。
日出と共に起き日没と共に寝る昔の生活に根ざした時法です。
季節により昼夜の長さが変わるので時間の長さが変わってしまいます。
不便なようですが、時計のない人にとっては太陽の高さで大体の時刻がわかるので
却って便利だったんです。

変わったは良いものの、時計が普及している訳でもない。
今が何時なのかさっぱり分からない。
困ったのは陸蒸気
何時何分出発と時刻表はあるんだけど、誰も時間を分かっていない。

また、今までは「時」と書いて「とき」と読んでいたので
とても紛らわしい。
仕方なく○字○分と「字」の字を当て、違うよと強調
でも誰も時間が分かっていないので、どっちみちダメなんだけどね。

実は正午だけは分かる
空砲が「ドン」と鳴ったから。
これは何故か、明治4年から実施されている
不定時法でも、定時法でも正午は一緒なのかな。

これは、「ドン」と呼ばれて親しみを得る
各地で鳴るが、皇居でも。
半ドンの言葉の由来はここにある

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