[名僧]隠元。黄檗宗の開祖

名僧シリーズ
前回、売茶翁の話をして黄檗宗(おうばくしゅう)だと言いました。
そもそも黄檗宗についてはまだお話していませんでした。
順番が逆になっちゃいましたね

隠元(いんげん)
1592~1673年 黄檗宗

仏教は、十三宗と言われています。
奈良時代から続いている宗派に華厳宗・法相宗・律宗。
平安時代は、天台宗・真言宗、融通念仏宗。
鎌倉時代に一気に増えて、浄土宗・浄土真宗・日蓮宗、時宗・臨済宗・曹洞宗
そして江戸時代に、最後にやって来た黄檗宗です。

その黄檗宗を開いたのが隠元です。

隠元は中国の人、福建省の生まれです。
6歳の時、父に死に別れ、母を助けて一生懸命働きます。
29歳で出家。
禅を学び、黄檗山萬福寺の住持となります。

そのまま中国の萬福寺の住持としての一生を終えるはずでした。
ところが江戸幕府が再三に渡って

日本に来てもらえませんか。
宇治に黄檗山萬福寺を建てますから

そこまで言うならと、63歳であるにもかかわらず、20人の弟子を連れてやって来ます。

萬福寺って何宗だったかというと、臨済宗。
やっぱり幕府が好きなのは臨済宗なんだなあ
ただ、臨済宗は日本に入ってきたのが鎌倉時代ですから、本家の中国でも大きく変化を遂げています。

その変化した臨済宗に学んだ隠元が日本に来て
自分の考えもプラスしますので
臨済宗を名乗らずに、黄檗宗という新たな宗派を立ち上げた訳です。

最後にやって来た黄檗宗。
かっこいいです

隠元さん
何だかお豆さんみたいだなあと思っていたら
なんとほんとにインゲン豆は隠元さんが中国から持ってきたものらしい。
他にも、レンコンや孟宗竹なんかも

黄檗宗
元は臨済宗なので、何に一番近いかというと臨済宗
禅宗のひとつです。
明治7年に、禅宗は臨済宗と曹洞宗しか認めないと言われ
一旦臨済宗と合併したんだけど
やっぱりずいぶん違うし、ってすぐ2年後には独立を認められた。

何が違うかというと
最後に中国からやって来たために、かなり中国的
般若心経を唱えるのは他の宗派と同じなんだけど
他の宗派は
はんにゃあはーらーみーたー
黄檗宗は、ポゼポロミトシンキン
中国読みです。
ドラとか太鼓を鳴らしながらメロディのある歌のようにお経を詠むボンバイ(梵唄)というのもあります

一番面白いのが、禅と念仏の融合
南無阿弥陀仏と頭の中で唱え、仏の事を描きつつ座禅を組む
禅問答の答えを導きだそうと座禅を組む臨済宗や
ひたすら無心になる曹洞宗とは、
確かに座禅の組み方が違いますね

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[徳川将軍の演出力] プレゼント合戦はやめられない

「徳川将軍家の演出力」から

献上
参勤交代の説明でもお話ししましたが、江戸時代が平和の時代となると
各大名が武力で功を上げて評価してもらうことが不可能になる

武士ってどうすりゃいいんでしょう。

あとは将軍の機嫌取りしか残っておりません。

各大名が江戸城に登城する日というのが決まっていて
それぞれ、何を献上品として持っていくかが決まっている

もらう側がこれを贈るようにと決めるというのもいやらしいと思いますが
大名たちの切実な希望
決めてもらわないとどんどんエスカレートするからです。

例えば、正月と八朔という8月1日は、刀と馬
ただ、刀は木刀で良く、馬は馬代としてお金で良い

木刀はただの木刀ではなく、飾り太刀と言い、黒塗りで装飾が施されている。

その飾り太刀は献残屋(けんざんや)というところから買います。
今でいうリサイクルショップ

はっきり言ってそんなもの、毎年何千も献上されたって何の役にもたちません。
もらった幕府はどうするか
献残屋に売るんです

ぐるぐる回るだけ
パチンコ屋の特殊景品のようです
あれ、去年うちがうちが献上したものじゃない?と思っても指摘は禁物
お約束ですから
食品なんかの場合は、乾物のように献残屋に売りやすい物の方が喜ばれます。

馬鹿馬鹿しいと言うなかれ
当事者たちは真剣です。
決められた中で少しでも他の藩を出し抜いてやろうと思っています。

将軍に献上するとき、老中とかの実力者や大奥とかにも配ったりします。

すみません。間違えて準備しすぎまして。
申し訳ないんですが、もらっていただいてもよろしいでしょうか、と

献上品で残っちゃったもの、という意味で献残品と言います。
あらま、同じ字ですね。

さすがに馬鹿げていると、正論に立ち戻ったのが、8代将軍吉宗です。
各領内のでないものは献上禁止
ふるさと納税の返礼品みたいですね

やったぜ
他の藩はこの御触れを守ってくれないかな
そうなるとうちは出し抜けるぞ

誰一人守ろうとしません。

盛岡藩事件
9代将軍家重の時、事件が起きました。

献上は大名の家格により、商品のランクが決まっているだけでなく
受け取る人まで決まっています。
どの家格の場合は老中が受け取り、どの家格の場合は奏者番が受け取り、みたいに

盛岡藩南部家は、老中に受け取ってもらえる家格
ところが、その時、老中がとても忙しく、代理で奏者番

悔しいけど我慢我慢

ところがその次の回も、奏者番が出てきた。
そんなことがあってはと、江戸留守居の尾崎が同席

恐れながら申し上げます。
あるまじきことにございます。

何だと
老中殿は忙しいと言っておろうが
誰に向かっての物言いか

押し問答
怒号が殿中に響き渡る

誰が受け取るかだけなんですがね

臨時の会議が行われました。
圧倒的に厳罰に処すべしとの意見
唯一反対したのが、老中の西尾忠尚

一命をも顧みず、主君の家格を守ろうとした。
もし南部家に何かが起きたら、真に役に立つのはこのような気骨のある者だ
これぞ、侍の鑑

尾崎は国元で謹慎。南部利雄は御目通り差し控え。
改めて、使者が登城し献上。今度は老中が受け取った。

尾崎は謹慎開けに、百石加増の大出世。

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[天皇]38-2 天智天皇。額田王の万葉の歌

[天皇]38 天智天皇。日本滅亡の危機
の続きです。

前回、政治だの戦争だの、お堅い話だったので、天智天皇の残りのちょっと柔らかめの話

百人一首ファンの私としては、ここでようやく百人一首の第一首が始まる訳です
秋の田の かりほの庵(いほ)の 苫(とま)をあらみ わが衣手(ころもで)は 露にぬれつつ

万葉集
天智天皇の弟は大海人皇子(おおあまのおうじ)のちの天武天皇です。
分かりやすく、ここでは最初から天武天皇と呼びますね

天武天皇の初恋の彼女が額田王(ぬかたのおおきみ)
二人の間には十市皇女(とおちのひめみこ)も産まれておりました。

ところが、経緯は分からないんですが
あれっと気づくと、額田王は天智天皇の奥さんになっちゃってます。

天智天皇は性格がイケイケガンガンですので、色々あったのでしょう。

さすがに申し訳ないと思ったのか
自分の娘を実に4人も天武天皇に差し出し
どうぞ、奥さんとしてお使いください。

当時は通い婚ですので、原則夫婦は同居ではない
何人いても支障なし
(そうだろうか)

そのうちの一人が鸕野讚良(うののさらら)のちの持統天皇です。
鸕野讚良はまだ13歳

天智天皇がいよいよ即位した年
日本滅亡の危機はあるものの、ちょっと一息
50年途絶えていた端午の薬猟なる、お遊び大会を復活

皆さんお誘い合わせの上お越しください。

額田王はおもてなし役
天武天皇は当然呼ばれています。

緊張の情勢の中でみんな久しぶりにおおはしゃぎ
かつての恋人同士は気持ちが盛り上がっちゃいますね

ぬかちゃーん

思わず手を振っちゃいました。

あかねさす 紫野行き 標野(しめの)行き 野守は見ずや 君が袖振る

紫の生える標野(御料地)の中で、手なんて振ったら、野守(警備の人)に見つかっちゃうじゃないの

それに対する返歌がこれ

紫草の にほへる妹を憎くあらば 人妻ゆゑに 我恋ひめやも

紫草のように色美しく映えているあなたのことをいやだと思っていません。
人妻なのに恋い慕っているのですから。

あっ
言っちゃった。知ーらないっと

泥沼になります。血を見ます。

でも大丈夫でした。

実はこれ、天智天皇もいる前で、余興的に行われた場所での事
天智天皇も「おいおい、言うねえ」とお咎めなし

おそらく自信があったのでしょう。

額田王が天智天皇に向けた歌

君待つと吾が恋をれば我が宿の 簾動かし秋の風吹く

あなたがいついらっしゃるのかしらと、恋しくお待ちしておりましたら、
私の家の簾がふわりと動き、秋風が吹いて来ました。

額田王は、それ以外にも歌人として大活躍します。

天智天皇が宴の席で、中臣鎌足に命じた。
春の花の華やかさと、秋の紅葉の彩りと競わせてみい

額田王は

冬ごもり 春さり来れば 鳴かざりし 鳥も来鳴きぬ
で始まる長歌で
始めに、春を思いきり持ち上げておいて
でも私は、しみじみと寂しい秋の山が好きですわ

住み慣れた飛鳥の里から、近江へ都を移したが為に去ろうというときの歌

三輪山を しかも隠すか 雲だにも こころあらなむ 隠さふべしや

雲さん 今日だけは三輪山を隠さないでいてほしかった

いずれも万葉集の歌です。

[天皇]シリーズはこちら(少し下げてね)

戸山荘の箱根山と、山吹伝説の続き

高田富士の続き
の続きです。

穴八幡が終わって、次は戸山荘です。

戸山荘
戸山荘は尾張藩下屋敷
最近「徳川将軍の演出力」でも話題にしました。
[徳川将軍の演出力] 将軍の御成の意味するところ

過去にも訪れ、登頂証明書ももらっています。
神田上水と早稲田と戸山荘

東京まちなか超低山としてもとても重要
何と、東京23区内で一番高い山なんです。
燦然と輝く、44.6m

「東京記憶の散歩地図」での新たな視点
戸山荘の庭園内の池は、そもそもこの辺り一帯に巨大な池があり、
その中の一部を使ったのだという事

巨大な池の残土で箱根山を作ったというのと様相が変わってきます。
継続的研究課題です。

そしてもうひとつ。
100体もの人骨が発見されたという話題
平成元年(1989)7月、国立予防衛生研究所(当時。現在は国立感染研)の建設中に、同地より頭蓋骨,大腿骨など100体以上と見られる人骨が見つかって大騒ぎになった
戦時中に細菌や毒物などの生体実験をしたとされる「七三一部隊」の日本における研究拠点があった
さては噂は本当か
最近、看護婦さんの証言もあったりして、真相が明らかになるかも

血で書いたお経
観音庵というお寺

そこにあった筆塚がものすごい

和尚さんが国家安寧を祈願して、大般若経を書き写した。
その時の筆がこの下にある
普通なら、あっそう、くらいのものですが
なんとこの人小指の爪を剥がし、したたる血を筆に染ませて、150巻ものお経を書き上げた

痛っ。いてててて
私なんて、元々血が少なくて、検査で血を抜かれたりすると、
フラッと倒れちゃったりするので、考えられません。

よっぽどレバーとかいっぱい食べたんでしょうか

抜弁天


通り抜け出来るから抜弁天

あら、通り抜け出来るわ
なんて便利なんでしょう
抜け弁天って呼ばせてもらいましょう
って感じ

紅皿塚

紅皿のお墓です。

紅皿って誰かというと
一昨日お話しした、山吹伝説のヒロイン
七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞかなしき

紅皿って変な名前ですね
色んな話がごっちゃになっている

「紅皿欠皿(べにざらかけざら)」という話がある
二人の姉妹で、紅皿はとっても美人なのに、妹は不細工さん
人々はお姉さんを紅皿と呼び、妹を欠皿と呼んだ
そりゃまた可哀想なと思うけど、物語としては分かりやすい名前の付け方

全国的に継子いじめものという色んな民話が存在する
いじめられる美人の娘。
でも最後にはどんでん返しで、素敵な男性が現れて結ばれる

海外で言えばシンデレラです

「紅皿欠皿」と山吹伝説
どうにも話に接点が無いように思うんですが
なぜくっついちゃったのか。

民話を滝澤馬琴が物語にし
さらに河竹黙阿弥が歌舞伎のストーリーにした。

その時、素敵な男性を太田道灌にしちゃおう
昔から有名な山吹伝説を盛り込んじゃおう
おそらくそういうことでしょう

おでかけマップ