町田の薬師池公園は1粒で何度美味しいのか×2

町田の薬師池公園は1粒で何度おいしいのか
の続きです。

古民家
芝生広場に池泉庭園、花菖蒲園があって、登山の醍醐味も味わえて、立派なお寺もある
もう十分ちゃうのん?

いえいえ、何と古民家まである
まずは山側から見下ろす感じ

苔むした茅葺き屋根が渋いっ

もともと、多摩ニュータウンができる場所にあったので移築したそうです。
永田家で町田市で最も古い建物になります

中はとても暗かった

滝もあります。

梅園


梅の時期はきれいでしょうね
ネットから引用しますとこんな感じ

おおっ、民家がもうひとつ
こちらの荻野家は、お医者さんだった家なので大きめ


いやあ、ホントにいろいろあったなあ


萬葉草花苑?
ひょっとして万葉集の萬葉?

国分寺に万葉集で出て来る草花を集めた植物園があって、行ったことがあった
元号の「令和」は万葉集からとったということで
また行ってみたいなと思っていたところ、
ウォーキング途中に偶然同じコンセプトの植物園に板橋区で出会った
万葉植物園を再訪
大興奮でウォーキングイベントにした。

まさか第三の万葉植物園に、このタイミングで出会えようとは

おっと、さねかづら

板橋の万葉植物園にも同じ歌があります。
百人一首にもさねかずらを歌った歌があります。
名にしおはば 逢坂山の さねかづら 人にしられで くるよしもがな

柿本人麻呂

この歌も板橋の万葉植物園にあった
柿本人麻呂の百人一首は
あしひきの、山鳥の尾のしだり尾の ながながしよを、ひとりかも寝む

万葉集は4516首もあるから、よほど有名な歌でなければ
同じ歌に出会うことはないんだけど
このあとも、ちょこちょこダブっている歌があった
ダブっている歌を中心にいくつか紹介します。

大伴家持
あっちもこっちも大伴家持だらけ
万葉集で473首もおさめられていて1割強。一位です
出ましたよ。カワラ撫子
この歌も板橋と同じ


百人一首だと
かささぎの 渡せる橋に おく霜の 白きをみれば 夜ぞふけにける
ここの良いところは、現代語訳までのせてくれているところ

山上憶良

この歌、旋頭歌と言って、短歌と違い、五・七・七、五・七・七の六句からなります。
秋の七草の覚え方の歌です。
板橋にもあったんですが、さらに向島百花園にもこの句の石碑がありました。
向島百花園。その2。もうひとつの楽しみ方
萩の花 尾花 葛花 撫子の花 女郎花 また藤袴 朝顔の花
ここでのポイントは「朝顔」、朝顔が何で秋の七草なの?
実は万葉集の時代は、朝顔と桔梗(ききょう)の事なんです。

大伴旅人
出ましたっ。「令和」の生みの親。大伴家持のお父さんです。

この歌なら知っています。
旅人が太宰府に流されちゃうんですが
元の都が恋しくてたまらない。
でも忘れなきゃ、って忘れ草をくくりつけましたよ、って歌です。
大伴旅人はこっちも見てね
「令和」の主、大伴旅人は愛妻家

他も色々ありましたが、これくらいで

そうそう、蓮池もあったはず。そっちに向かいましょう。
大賀ハス
ここの蓮は大賀ハスと言って、大賀教授が古代の種から発芽した貴重なもの
以前、はとバスの家族旅行で、行田市の古代蓮の里というのに行ったんだけど
そこにもあったのよね

株分けしてもらって、大事に増やしていったらしい

ネットを見ると、2019年、2020年と調子悪いらしい
がんばれっ

今はまだまだ時期じゃなく、7月末から

あれれ
不思議だなあ
でっかいカメラを持っている人が10人ほど
もう咲いているんだろうか

あまりにレンズがでかい。
という事はひょっとして

カワセミだっ
空飛ぶ宝石だっ

ウォーキングしていると、何度か出会っている
地元でも黒目川で何度か見ている

とは言え、カメラにおさめるのは、でっかい望遠レンズのやつでないときれいに撮れない
一回も、カメラにおさめられたことがない。
タブレットだと全然無理なんだけど、今日はデジカメも持ってきている。
安物だけど、タブレットよりは望遠がきく
挑戦してみましょう。

どこにいるかはすぐ分かります。
みんながカメラを向けているところです。

今あんまり動かないぞ
よっしゃあ



若干ボケるのは、デジカメの性能上お許しいただくとして
上等上等

ヤマボウシ

本当に見処満載だったなあ
これで、入場無料って、
町田市はどんだけ金持ちなんでしょう。

[お出掛け]シリーズはこちら(少し下げてね)

町田の薬師池公園は1粒で何度おいしいのか

今の職場の仲間に、地元が町田の人がいるんですが
町田で良いところない?って聞いたら
まちがいないのは薬師池公園、と教えてくれた。

行きましょう

薬師池公園
町田駅からバスに乗っていきます。

バスを降りると左手の下の方に池と庭園が見えます。
いい感じだぞ

右手には町田リス園
でも、今月末まで臨時閉園

まずは、芝生広場

薬師池

元は溜池だったようです。
こんなすばらしい庭園にしていただいてありがとうございます。




崖のところにある庭園は名園が多い。
池の向こう側に見える緑が縦方向に迫ってくるように見えるからです。



ここの良いところは、季節によって色んな植物が楽しめること

ええっと花の見頃は、と
藤が終わって、
あれ?
花菖蒲や、あじさいはもうちょっと後?

あらま、うまい具合にスッポリと端境期
ちゃんと調べてから来ない私が悪かったのね
ネットで見ると、本来、藤棚はこんな感じ

めげずに、花菖蒲園へ
おっ。満開にはほど遠いですが
2割ほどはきれいに咲いておりますぞ

きれいに咲いているところだけを写真におさめれば、ほら満開








花菖蒲は花の形がとってもきれい
いっぱい種類があるし
花菖蒲園も結構色々行ったなあ
今年はこれから本番なので、また色々行くといたしましょう。
規模的にはここの花菖蒲園はかなり広いので期待できます。

水車小屋もありました


米をつくために、実用的に使われていたものらしいです。

急斜面の上側にも上っていきましょう


ちょっとした登山気分も味わえます






良い感じの竹林
おおっ。その奥に

そうそう、忘れていました。
薬師池というのは薬師堂があるからでした。

野津田薬師堂

この大いちょうどれだけ大きいのよ

本尊の薬師如来は、天平年間(約1270年前)に行基が彫ったもの
あの、元号が4文字だったころ
どれだけ古いんや

12年に一度、春の一定期間にだけご開帳するという秘仏
なんとそれが、2022年4月9日から5月8日
ってあなた、2022年4月9日って私の62歳の誕生日じゃありませんか。
急いで、タブレットのカレンダーに来年の4/9「薬師池公園」と登録しました。

瓦は本瓦、かなりの急勾配の寄せ棟造り。

おっとこの斗栱は昨日勉強したばかりの、後ろに尾垂木の入っているタイプ
見て奥まで分かるもんね

なななんと、この海老虹梁なんちゅう見事な彫りものなんや

出たっ。めめの絵馬(向かい目)

めの字が普通の向かい目絵馬よりちょっと複雑。得した気分

これ、両目だとおもっていたら、ひとつは薬師如来の目だったのね

いやあ
薬師池公園
一体全体、一粒で何度おいしいんや

結論から言うと
これでまだ半分
残りは、明日ね

[おでかけ]シリーズはこちら(少し下げてね)

[龍馬と女性]平井加尾への謎の手紙

少し前に千住をウォーキングするときに見つけた、千葉さなの灸治療院跡地
改めて書きますね、と言っておりましたので、書くことにします。

「龍馬が惚れた女たち」という本を読みました。
龍馬に関わる4人の女性

龍馬と女性、という小さなシリーズと致しましょう

まずは、平井加尾
あれれ、千葉さなじゃないの?

失礼しました。千葉さなは二人目ね

平井加尾
平井加尾は龍馬の初恋の相手
龍馬伝では、広末涼子が演じていましたね

本当はこんな顔

龍馬の友達の平井収二郎の妹
藩主山内容堂の妹が、三条実美の兄公睦(きんむつ)に嫁いだときに
お付き役として京都に滞在した事がある

龍馬が剣術修行のため江戸へ行くと
恋どころじゃないって感じになり
一時帰郷したときも、加尾のところには会いに行かず
藩でも指折りの知識人、河田小龍を訪ねている

手紙
龍馬が江戸にいて、加尾が京都にいたとき、
加尾に対して謎の手紙を出している

現代語に直すとこんな感じ

まずはお元気のことと存じます。天下の時勢が切迫してきましたので
一、高マチ袴、
一、ブッサキ羽織、
一、宗十郎頭巾、
ほかに細身の大小の刀一つずつをご用意いただきたく思います。
9月13日 坂本龍馬
平井かほどの

これが何を意味するか、とても不思議
「高マチ袴」「ブッサキ羽織」「宗十郎頭巾」はいずれも男性用の服
自分が着る前提で準備しておいてね
という事なのだろうか
刀を「細身の」と指定しているので
ひょっとして、加尾がそれらで男性のように変装して何かをして欲しいと言うことだったかも

そういった事から、加尾を題材に「龍馬の恋人 維新の女密偵」という小説が書かれたりもしている
真実は分からない

そのあと、加尾は依頼に応じるため苦労している
刀が準備できるまで結構大変だったようだ

でも、翌年龍馬が土佐を脱藩すると
結局は用意したものは使われる事はなかった
ずっと待ちぼうけ

脱藩のあと、お兄さんの収二郎から加尾に手紙が送られている
龍馬が会いに行くかも知れないが
軽々しく会わないように、との内容

加尾の気持ちにも少し変化が出たかも知れない

兄、収二郎は土佐勤王党のナンバーツー
京都で青蓮宮から藩改革の令旨(りょうじ)をもらう
藩主山内容堂の知れるところとなり大激怒
切腹をさせられる

その事について、龍馬から、姉乙女への手紙で
平井収二郎の事はむごいむごい
妹加尾の嘆きはいかばかりか
加尾のこと、まだ少しは気遣いもする

「まだ少しは」ってそういう感じになっちゃっているのね

結局、江戸で新たな恋人が出来
龍馬がお姉さんの乙女宛に書いた手紙の中では
千葉佐那に比べ加尾は顔が少し劣る、と引き合いに出されている

でも、大丈夫
西山直次郎を婿に迎えた。

引きずってなんていられないわ

夫はなかなかのやり手で
維新後、新政府の要職を歴任し
最終的に警視総監までつとめる

さらに、娘の三千代に婿を迎えて、平井姓を名乗らせて
平井復活

[人物]シリーズはこちら(少し下げてね)

[寺社建築] 斗栱はアートか

[寺社建築]寺社建築の基礎と建具
の続きです。

建築技術
昔々、中国から仏教とともに建築技術が渡ってきたときは
それはそれは衝撃だったでしょう

それまで、各郷族たちはでっかい古墳を作って力を鼓舞していましたが
一気にその熱が冷めちゃった。

お寺かっこいいっ。あれ作ろう

やっぱりすごい日本人
そんな憧れの建築技術を、単純に真似するだけじゃなく
日本の環境に合わせたように改良していく。

日本の環境で中国と大きく違うのが、雨と木

雨がとっても多い
対応する為に、屋根の角度が急勾配になる
雨がバンバン当たると家が痛むから、屋根の軒先を大きく出す必要がある
そうすると、その軒先をどう支えるかという技術が発達していく事になる

雨が降るから木が育つ
木が豊富なので、とても贅沢な材木の使い方が出来る

斗栱(ときょう)
寺社建築、一番寺院っぽくてかっこいいのは、斗栱(ときょう)でしょう

斗栱自体は中国から来たものですが、日本ではさらに大きく発展

あまりにかっこいいので、装飾かと思っておりましたが
実用的な技術だったんですね

軒先を大きく出そうとすると、自分の重みでバキッと折れちゃいますので
柱から手を出して支える感じにする
肘を出しているみたいだから肘木(ひじき)

でも、その肘木も折れちゃ困るので
肘木を支える肘木で支える
でも、その肘木を支える肘木が折れちゃっちゃ困るので
肘木を支える肘木を支える肘木で支える

三つで支えているから三手先と言います。

一点で支えると弱いし、
棒は横からの力がかかると弱いという事から、
十文字に木を組んで、ガシッガシッと縦横の木材を掴まえつつ伸ばしていく
組物(くみもの)という考え方に発展していった。


4手先5手先とどんどん増えていくんだけど
屋根はそれだけ高くなっちゃう
真横に組物を伸ばしていけんやろか

はい、分かりました
こんなんどうですやろ

何?このむにゅっと曲がったの
折れちゃわないの?

尾垂木(おだるき)と言いましてね
奥まで長いんですよ


奥の長い先が屋根の重みで下に押されると、あら不思議
下側の先が上向きに跳ね上がる

小学校で習いました。
てこって奴です

この成功で味をしめたのか
鎌倉時代に「てこ」の考え方を発展させた桔木(はねぎ)というものが開発されました。

屋根界の革命とも言えるもので
尾垂木よりももっとでかく、屋根の中に隠れていて外からは見えない


これさえあれば、屋根問題はオールクリアと言うほどのもので
斗栱だの組物だの尾垂木だのは一気に役目を終えてしまった。

でもまだ、斗栱はある気がするんだけど。

はい
桔木のお陰で、実用としての斗栱は、そのまま
無くても良いけど、かっこいいなという
アートとしての斗栱に役割を変えたのです。

[寺社建築]シリーズはこちら(少し下げてね)