「令和」の主、大伴旅人は愛妻家

決まりましたねぇ

私が一押ししていた「幸」の字は残念ながら落選

でも、この「令和」一目見てとても良い!と思い
さらにその出典を聞いて惚れました。

響き
音の響きがまず良くないですか
「れい」は素敵だわぁ

「礼」に通じるし
何と言っても「零」に通じるところが良い
零は0で和も輪だから
どちらも丸で良い時代になりそう。

良いなあと思ったのは、「和」って足し算の答えだから
0を足すってことですよね
0を足したら何にも変わらない。
良いなあ
何も変わらないという生き方
そのまま、ありのまま、ってことです。

昭和も平成も色んなものが足されて、発展してきて
もちろんそれは良いことだったけど
一度立ち止まり、そのままで良いじゃない、って世の中。
経済発展みたいな事より、今あるもので、楽しむってどうでしょうって。

万葉集
中国の古典からじゃなく、国文学からも含めて考える、みたいな事を言われていたけど
正直ピンと来ていなかった。

本当にそうしたんですね。
素晴らしいです。

ピンと来ていなかったのは、国文学って平かなのイメージがあったからで
漢字二文字なんだろうしなあ、って

なるほどそこかあ、って思いました。
万葉集なら、漢字です。
そもそも、かながまだ無かった頃です。
万葉がなは、日本の言葉を書き残すため
宛て字として漢字を使った。

初春(しょしゅん)の令月(れいげつ)にして、気淑(きよ)く風和(やわら)ぎ
良いですね
風和らぎなんて何て美しいんでしょう。
これも、全部漢字で書いてあった筈です。

大伴旅人(おおとものたびと)
大伴旅人ですって。
大興奮です。

大伴家持のお父さんですよ
かささぎです。
かささぎの 渡せる橋に おく霜の 白きをみれば 夜ぞふけにける
七夕ソングでしたね。嬉しいです。

大伴旅人なんてどれだけお洒落な名前なんでしょう。

大伴旅人は九州福岡の太宰府に赴任。
隼人の反乱を平定するための赴任なので、仕事ぶりを認められての事
でも、太宰府ってどうも都から外された人ってイメージが有りますね。

そんな人たちも実はとても素晴らしい人が多く
大伴旅人が彼らの本来持っている文化的素養を大きく引き出し
歌の世界では、太宰府グループが大きな地位を占めるようになる

その人たちを32人集めて、梅花の宴を催し、32首の歌を詠んだ
その時の序文が、
初春(しょしゅん)の令月(れいげつ)にして、気淑(きよ)く風和(やわら)ぎ
なんですね。

大伴旅人はとっても愛妻家。
太宰府に行くときは、60歳を過ぎていたんだけど
奥さんと一緒に赴任。
ところが、まもなく奥さんは亡くなってしまう。

旅人は、奥さん大好きだったから、それから詠む歌はほとんど奥さんがらみ

一仕事終えて、都に戻れるようになって
戻る最中に詠んだ歌

還(かへ)るべく時は成りけり 京師(みやこ)にて 誰(た)がたもとをか わが枕(まくら)かむ

(いよいよ都に還ることになった。だが、都に帰って、私はいったい誰の腕を枕にして寝ようというのか)

京師(みやこ)なる 荒れたる家に ひとり宿(ね)ば 旅に益(まさ)りて 苦しかるべし

(荒れたわびしい都の家に独り寝たならば、旅寝にもましてどんなにかつらいことだろう)

吾妹子が 見し鞆(とも)の浦の むろの木は 常世(とこよ)にあれど 見し人ぞなき

(妻が往路に見た鞆の浦のむろの木は、今も変わらずにあるが、これを見た妻はもはやこの世にいないのだ)

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「令和」の主、大伴旅人は愛妻家」への2件のフィードバック

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