増上寺三解脱門特別公開

(2022/11/6[日]の事です)

新橋停車場開業の企画展に行ってきました
の続きです。

まだ続きがあるんです
もう一ヶ所どうしても行きたかったところ
ゆかしの杜のウォーキングイベントの時、Mさんに教えてもらった
増上寺の三解脱門だけどさ。特別公開されるんだよ

ええっ、ええっ、あの三解脱門?

以前テレビで、芥川賞作家にしてお笑いタレントの又吉が
特別に見せてもらっているのをテレビで見た
芥川賞作家でお笑いタレントにならない限り入れないだろうと思っていたあの三解脱門

三解脱門、さんげだつもん、と読みます

新橋停車場が鉄道150年記念なら
こっちは、建立400年記念

行かねば

停車場から増上寺は一駅の距離
歩いても行ける

芝大神宮
途中、芝大神宮に寄りまして

赤ちゃんのお宮参りとも遭遇

落語、め組の喧嘩の舞台でもあります。

増上寺
大門を通り

見えてきた、三解脱門

ああっ上の窓が開いて、人が中に
おおっ、本当に入れるのか

三解脱門お願いします。

はい、整理券です。
入場券は、その先の自動販売機で買ってください
そちらの手提げ、無料ですのでロッカーに入れられますか
両手があいていた方が良いかと思います。

入場券を買って

こちらからひとつお取りください。記念品です。

増上寺は、徳川家の菩提寺
将軍の墓があります

その入口にあるのが三解脱門
東京都内の山門ではおそらく最大だと思います。
三解脱門とは、むさぼり【貪欲(とんよく)】、いかり【瞋恚(しんに)】、おろかさ【愚痴(ぐち)】の三つの毒から離れ、極楽浄土に入る心をつくるための門とされています

はい。三つの毒はこびりついておりますので是非とも

中には、釈迦三尊像と、十六羅漢像、歴代上人像があるはず
記念品を開けてみると、十六羅漢カード
私は阿氏多(あした)
あらまあ、ぶさ可愛い

いよいよ、わくわく

仮階段がつけられていますが、実に急

両手があいている方が、と言われた意味が分かりました
この写真の階段はまだましで
その先はあまりに急なので、写真をとるなんて無理でした
この階段を昇っただけでもワクワク体験でもうけもの
おそらく4~5人は落ちていると思います。

昇ったっ
目線の高さに斗栱が見えるだけでも大興奮

そして中へ

釈迦三尊像
ありがたや
横の向かって右の文殊菩薩は獅子に乗っており
左の普賢菩薩は象に乗っています。
釈迦三尊像はあちこちで見ますが、これだけちゃんと獅子と象に乗っているのを見たのは
高幡不動尊以来かな

十六羅漢
羅漢さんは、目黒の五百羅漢寺が印象的
川越の喜多院の羅漢さんは表情豊かでコミカル
三解脱門の十六羅漢さんは、コミカルまでいかないまでも表情豊かって感じでしょうか

歴代上人像

解説の音声が流れています。
江戸時代、増上寺は徳川家の菩提寺ということもあって、一般の人は入れない場所でした
それでも、灌仏会の時などは一般公開され、その時は三解脱門に昇る事も許されました。
高い建物の無かった当時は海まで見渡せた展望台でもあった三解脱門には
多くの人が詰めかけたと言います。
どうぞ、仏様にお参りしたあとは、後ろの景色もご覧になり
当時に思いを馳せてください

帰り、目の前に屋根

見上げての三解脱門

本堂にも寄りませんとね
東京タワーとのツーショットが良いのよね
そもそも、東京タワーの敷地まで昔は増上寺でしたので。


振り返っての三解脱門

あっ、開いている
増上寺の本堂で中に入れたのは初めてかも
たまたま法要がなされていました

お経が館内に響き渡ります。
心がしんみり
結構長い間、聞き入りました。

増上寺越しの東京タワー

貴重な体験だったなあ

新橋停車場の企画展が三解脱門の特別公開ときて
さすがにこれで終わりだと思うでしょう
全く思いがけなかった、楽しい時間がこのあと
続きは改めてね

[お出掛け]シリーズはこちら(少し下げてね)

新橋停車場開業の企画展に行ってきました

(2022/11/6[日]の事です)

♪汽笛一声新橋を

「旧新橋停車場 鉄道歴史展示室」には何度か行っています。
先日行ったとき、鉄道150年記念の企画展「新橋停車場開業!」を見損ない
何としても再度来ねば、と思っておりました。
港区郷土資料館「ゆかしの杜」の同様企画展もとても良かったですから

企画展は2022/11/6まで、ギリギリラストデーでございます。

新橋停車場開業!

残っている写真とピッタリ一緒に作ってあるんです
何度来ても感動

企画展は900円
払うと、こんな冊子がもらえます。

だいたい博物館の企画展に行くとそのあとで企画展に関わる本は購入するので
最初から入場料コミコミは私的にはお得感満載
企画展内部は撮影禁止で残念なのですが
中の展示物はほぼほぼ冊子に載っていますので
冊子から引用しつつ、説明していきましょう。

前回のゆかしの杜の企画展の時と話はダブるので
高輪築堤等、その時話した内容はそちらに譲るとして
その時話さなかった内容をピックアップしつつまいります。
鉄道150年の節目の日。陸蒸気イベントだっ

ペリー来航
お土産に持ってきた蒸気機関車の模型
模型と言ってもちゃんと動き
公園とかでお猿さんが運転しているのよりは若干大きい
試しに乗ったお役人は振り落とされないよう必死でしがみついた

ここまでは知っていたんですが
その時の絵は始めてみました

明治維新
エドモンドモレルが頑張り
鉄道開業の日。エドモンド・モレルの熱意
惜しくも亡くなってしまったあとは井上勝がその遺志を引き継ぎ
鉄道の父。井上勝

新橋駅の工事も着々と進みます。
始まったばかりの新橋ステーションじゃなく芝汐留ステーションと呼ばれていた頃の図面です。
汐留は会津藩仙台藩と共に播磨龍野藩脇坂家の武家屋敷
新橋ステーション自体は脇坂家の場所で、明治維新で召し上げられちゃったばかり
図面に脇坂家土塀とかあるのが、とても貴重

建設中の新橋駅の写真は初めて見たし
二階がどう使われていたかの図面は涙もの

仮開業を経て、明治5(1872)年10月14日
開業式を迎えます。
明治天皇到着

勅語

みんなよくやった、と褒め称えてくれています。
モレルに聞かせてあげたかったなあ

式典。出発進行ーー

いくつか錦絵がある中で共通しているのが、赤白ののぼり
ということは実際にあったんでしょうが、いったいこれは何を意味するのか
とても気になります。
日の丸もあるので、ええっこの時期で日の丸だっけ、と気になって調べましたが
既に明治3(1870)年1月には日の丸は国旗として制定されていたんですね。納得

そして、私が常々不思議だと書いてきた不定時法問題
日本で定時法が採用されるのは、開業後1872年の11月のはずなのに
仮開業の5月の段階から、全ての時刻表示は例外なく、八字九字という「字」が違うものの
現在と同じ定時法表記
結構いっぱい資料がありましたが、全てが全て定時法表記
1872年5月の仮開業の時

1872年10月の開業式の時

おかしい
これは、既に11月より前に定時法だったに違いない、と
ネットで色々調べ、ようやく正解にたどり着きました

なんと、鉄道事業では、1872年5月の仮開業の段階から定時法を採用していた!

嬉しいっ。ようやく謎が解けた
ああ、もういつ死んでも良い

最初の機関車
可愛い

あと、タッチすると流れるビデオが何本もあって充実していたので
いっぱいいっぱい見ました。

終わって周りを一巡り
ああ、かっこいいなあ





[お出掛け]シリーズはこちら(少し下げてね)

次女が豊作

ひとり暮らししている次女が最近ちょこちょこ帰ってきます。
そう遠いところではなく新所沢なので、駅にすると4駅程度の場所です。

有料の農業サークル的なものがあって、次女はその会員
土曜日の午前中はそこに行って農作業
若い女の子の趣味として、抜群に素敵です
収穫された野菜は、みんなで持ち帰るんですが
会費からするとそれだけでも全然元がとれます

所沢からすると一駅分ほどの距離の小手指にある農園なのですが
昨日からこちらに帰ってきておりましたので
今日は車で送り迎え

9時開始
おおっ、広い

11時半までは、どこか喫茶店的なところで
社労士のお勉強をしつつ待つことに
おっ、良い感じの喫茶店「コナズ珈琲店」

中は完璧な南国
バリ島はこんな感じ
(行ったことないけど)




かかっている曲が南国的な素敵な曲ばかり
勉強もはかどりました
だんだん混んできて、昼近くになってくると超満員。
席待ちのお客さんもかなりいたので、この辺じゃ有名な店なのかも

11時になって、迎えに行きました。
完全に農家の娘のいでたち、でっかい長靴は泥だらけ
いっぱいもらってきたよ

さつまいも、じゃがいも、山芋、こまつ菜、ビーツ、かぶ、キャベツ、長ねぎ、パプリカ等々

今日の晩は楽しみだね

ピーマンもあるね

いや、ちょっと待って
これは、パプリカ

えっ、このサイズで緑色なのに?

うん、さわれば分かる
ピーマンはもっと柔らかい
ピーマンもパプリカも最初は緑色なのよ

えっ、そうなの?
なかなか普通の人じゃ分からないことまで分かるようになってきたね

料理
次女は料理が好き
センスが良くて、次女が作るのはいつも美味しい

ビーツはね赤いから、煮ると汁も赤くなるのよ
だからいつもはボルシチにするの

良いねえ、それしましょ

夕方からお料理タイム
娘と一緒におかってに立つ日が来ようとは
感慨深いなあ

先に葉ものから使っていきましょう。

長ねぎには豚バラを巻いて、っと

ごめんね、窮屈かい?

うううん、大丈夫
なんだかあったかい
これって・・・・ 愛?


とれたての長ねぎって、こんなに甘いもんなのか

よく朝採れ野菜って書いてあったりするけど
これは正真正銘の朝採れだもんね

ボルシチ

なかなか本格的

ほうれん草のゴマ和え

ちゃんとゴマもすりましたよ

かぶの葉のナムル

これ無茶苦茶美味しかった

当分、いろんな野菜で楽しめます。

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[三十六歌仙]36 平兼盛。真っ赤になっちゃって

三十六歌仙シリーズ、これで最後になります。

平兼盛

しのぶれど 色にいでにけり わが恋は 物や思ふと 人のとふまで

誰にも知られないように隠していたのに
私の恋心は顔に出てしまったようだ

出ましたね。
百人一首にも選ばれていて同じ歌
しのぶれど色にいでにけりわが恋は物や思ふと人のとふまで

壬生忠見(みぶのただみ)との歌合わせの対決の話もしましたね
[三十六歌仙]35 壬生忠見。拒食症で

平兼盛
光孝天皇の玄孫
光孝天皇-是忠親王-篤望王-平兼盛
臣籍降下前は兼盛王と言っていた。

『拾遺和歌集』『後拾遺和歌集』における代表的な歌人の一人
歌の世界ではかなりの重鎮です。

才女の赤染衛門(あかぞめえもん)の実の父ではないかといわれている。
赤染衛門の母は、はじめ兼盛の妻だったが、懐妊したまま別れて、赤染時用と再婚した。
そして生まれた娘が赤染衛門
平兼盛は私の子だと主張したんですが、
赤染時用はいえいえ元々私とも付き合っていましたし。
あらま、それもどうなんでしょう。

赤染衛門の歌才は、もしかしたら実父の兼盛ゆずりかもしれないが、事実かどうかはわからない。
百人一首だとこれ
やすらはで 寝なましものを さ夜ふけて
かたぶくまでの 月を見しかな

璋子に仕えた紫式部の仲間です。

赤染衛門は大江匡衡に嫁ぎ、その血脈は大江広元や大江姓毛利氏にも流れているので
平兼盛も毛利の祖先という可能性があります。

ちなみに誤解しやすいですが
平清盛一族とは関係ありません。

鑑賞
しのぶれど 色にいでにけり わが恋は 物や思ふと 人のとふまで

ぼくは自分の思いをじっと胸に秘め隠してきたが
おのずと顔や雰囲気に出たのか
〝君は恋しているんじゃないか 物思わしげにみえるよ〟と
人にたずねられるほどになってしまった

現代人にはかなり分かりやすい歌なので
この歌が好きな人も多いんじゃないでしょうか
基本的に分かりやすい歌風です

この感覚とても懐かしい
小学校から中学校にかけて
好きな女の子と話なんかすると、顔がすぐ真っ赤になっちゃったりしたから
物や思ふと 人にとはれてばかり

あの頃の感覚はどこ行っちゃったんでしょうか
恋ってどんなんやったっけ
初老のおじさんは何も思い出せません。

もう一首
わが宿の 梅の立ち枝や 見えつらむ 思ひのほかに 君が来ませる
(我が家の高く伸びた梅の枝が見えたのだろうか。思いもかけず、あなたが来てくれた。)

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