鉄道の父。井上勝

鉄道150年の節目の日。陸蒸気イベントだっ
鉄道開業の日。エドモンド・モレルの熱意の続きです。

井上勝
エドモンド・モレルの遺志を受け継いで頑張ったのが、井上勝です。

井上勝は、長州ファイブのうちの一人です。

幕末の文久3年(1863年)長州藩により、彼らはイギリスへ出航します。
鎖国している訳ですから、外国に行くのは禁止

1853年、ペリー来航。
日米修好通商条約で開国したのが1858年
そこから、10年後の1868年に明治維新

幕府は文久遣欧使節というのを1862年にヨーロッパに派遣したり
パリ万博へと徳川慶喜の弟、徳川昭武と渋沢栄一が旅立ったりしていますが

幕府を倒そうとしている側の長州に許可が降りる訳ありません。
密航ということになります。
見つかったら死罪
予算も大幅に足りず、困難を極める旅路でした。

そうそうたるメンバー
初代内閣総理大臣、伊藤博文が22才。
初代外務大臣、井上馨が最年長28才。
造幣業に尽力した遠藤勤助が27才。
東京大学工学部を創設した山尾庸三、井上勝とともに鉄道に尽力。
お召し列車の3号車に乗っていましたね。26才
そして、鉄道の父、井上勝は最も若い20才。

鉄道
維新後、井上勝はみんなの期待を背負って鉄道に邁進
エドモンドモレルと二人三脚
政府内では賛成反対真っ二つの中で、説得のため走り回ります。

残念無念、モレルが死去

モレル、の替わりにまたお雇い外国人に来てもらう事も出来たでしょうが
井上勝の気持ちとしては、モレルのあとにモレルなし

モレルさん見ていてください
日本人だけで、この大業をやり遂げて見せましょう。

無事、開業の日を迎える訳です。

ただ、井上勝に取ってみれば、それは単に一歩目に過ぎなかった。

自らも、スコップ片手に、次の路線へと

日本人の中にノウハウを築きあげる
それがモレルへの恩返し

開業の5年後には養成所を設立
その3年後には逢坂山トンネルを含めた京都~大津間の鉄道工事を日本人のみで完遂します。

難工事をいくつも乗り越え、その中で、自分達の中でノウハウを構築していった。

鉄道の父
その呼ばれ方は、自分が育て上げた「子供たち」を大切にし、愛された証しなのだろう
鉄道のみならず、土木技術を作り上げた人とも言える

東京駅、丸の内広場に銅像が立つ
戦時中には金属供出で無くなったが、再現

東京駅と丸の内広場の大規模改修の時は、倉庫でちょっとお休み
最近再び、姿を表しました。

晩年
ずっと、突っ走ってきた人生
よくやった。
誰しもから称えられるが
意外にも、本人には引っ掛かるものがあったらしい。

日本全国にスコップやつるはしを入れ、線路を敷いた
確かに各地方は、便利になったけど
私は正しいことをやったんだろうか
自然を壊してしまったんじゃないだろうか

東北本線延伸のため岩手県を視察した時、岩手山南麓の荒れ地を目にします
埋め合わせしよう

この地を緑いっぱいの牧場に甦らせよう。
スコップやつるはしで

賛同してくれた人が二人
日本鉄道会社副社長の小野義眞と、三菱第二代社長岩崎彌之助

三人の頭文字を取って、小岩井農場と名付けられました。


[お出かけ]シリーズはこちら(少し下げてね)

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