東久留米市、マンホール巡り

(2/23と2/24の事です)

わが東京都東久留米市、市からの広報が定期的にポストに入ります。

「デザインマンホール蓋が設置されました」

なななんと
もう一度言ってください!

以下は東久留米市のホームページ
http://www.city.higashikurume.lg.jp/topics/1014562.html

思えば、この前、小金井公園のウォーキングイベントをやったとき
武蔵小金井の駅前でもデザインマンホール蓋を見つけました

もっと前で言うと、羽村市でもデザインマンホール巡りやったなあ
羽村に行ってきた
その2

わが東久留米市でもデザインマンホール巡りが出来ると言っておりますね
間違いございません。

でかしたぞ、東久留米市
広報をハサミで切り抜いてスクラップ

いつ行こうかなあ

実は住所で言うと東久留米市だけど
最寄りの駅は西武池袋線、清瀬
東久留米駅はお隣なんで、ちゃんとお出掛けする必要があります。

入谷のお出掛け
入谷のお出掛けをしたその帰り

よし、今か!

ひとつ前の東久留米駅で降りてゴー

デザインマンホール蓋は何とありがたい事に4種類も
その内二つは、東久留米駅の駅降りてすぐ
東口にひとつ、西口にひとつ

まずは東口から
ロータリーを一回りすると見つけました。

湧水の妖精るるめちゃん
可愛いんじゃないでしょうか

次に西口
今度のるるめちゃんは青色
おねむです

あとの二つは遠いので、日を改めることに致しましょう

翌日
翌日も振替休日でお休みです

次女が
車で、東久留米駅まで送っていって

ええよ

切りぬきを握り締め
チャンス到来だ

送ったあと
さあ、神宝小学校前へと向かいましょう

おっと、小学校前の道は工事中
車を止めておくのは難しそうです。

ただ、誠心誠意ことに当たれば、気持ちは通じる筈

交通整理のおじさんに

すみません。ちょっとだけ車を止めておいて良いですか?

ちょっとだけね

おおっ
気持ちが通じたぞ
人類みな兄弟

急いで探します。
端っこの方で、見つけたっ
緑のるるめちゃんです。

端っこであるがゆえ、どうしても影がかかってしまいます。
大丈夫。ほらね

(ほらね、の意味が分かりませんが)

どうしようかな
四つ目は、市の逆の端

どうしようかな、も何もありません
ここまで来たら後回しにするようなでーこんではありません

車だからすぐです

そうだ
市役所内の市民プラザで、マンホールカードを配布してくれると書いてあったぞ
確か市民プラザだけはお休みの日でも開いていた。
切りぬきも持参している
これさえ提示すれば、有無を言わさんぞ

市役所横に車を止め、向かうは市民プラザ
ずんずん

すみません
ここに書いてある、マンホールカードというのはいただけるのでしょうか

それは、3月9日からなんですよ
ここにも、3月9日からって書いてありますでしょ

あっほんとだ
失礼いたしました

すごすご

もらえるのはこういうカードです
(市のホームページから)

さあ、最後の第十小学校前へ
イベントもやった黒目川上流の遊歩道の近くです。

ここは、出来たばかりの道であんまり車も通らないため
ゆっくり探せます

あった

なかなか黄色も可愛いです。

[街角]シリーズはこちら(少し下げてね)

下谷から入谷の散策

下谷の散策の続きです。

かっぱ寺
曹源寺、通称かっぱ寺です
合羽(かっぱ)の川太郎のお墓があります。

男の子の河童(かっぱ)、とっても元気です

雨合羽商を営んでいる合羽屋喜八(通称かっぱの川太郎)

お陰様で商売にも成功した
恩返しに、世の中の役に立つことをしようじゃないか

このあたりは低湿地で、大雨が降る度に洪水に悩まされていた
私財を投げ売って、排水のための堀割り工事を行った
ところが遅々として進みません

君は?

はい、いつかあなたに助けていただいた河童でございます。

さすがは河童、川の事は良く分かっています
みるみるうちに工事が完了

ということで、ありがたやと、河童大明神をお祀りして感謝
合羽屋喜八のお墓にもお参りが絶えません


海善寺

幕末の儒学者で安政の大獄で獄中で死亡した、梅田雲浜の墓があります

隣は、同じく安政の大獄で獄中で死亡した藤井尚弼(なおすけ)
井伊直弼と同じ名前なのにね

かっぱ橋道具街
ここまで来たらかっぱ橋道具街にも行かなきゃね

宅配寿司の会社やっているときに一回来て
そのあと、友達の会社がここにあったから何度か来ました。
ああ懐かしい
おっと、こんなところにもかっぱの川太郎

金ピカだ

かっぱ橋道具街に来たらやっぱりここ
食品サンプル



いつまでても見ていたい
ここでは食品サンプルの製作体験講座もやっています
いつかそれもからめてイベントにしようかな

入谷鬼子母神
入谷に来ればやっぱりここ

真源寺、またの名を入谷鬼子母神

恐れ入谷の鬼子母神、とすんなり口から出るようになると、
立派なおじさんです。

茶化しているわけですから
本当に相手の言っていることに納得し、全く恐れ入りました、というときに使ってはいけません

はいはい、ごもっとも。
でも気持ち的にやだね、ってときに言い放ちましょう。

「おそれ入谷の鬼子母神 そうで有馬の水天宮」
まで繋げると、イヤミっぽさが一段と増します。

太田南畝の「放歌集」内の狂歌に由来しています。
いまさらに恐れ入谷のきしも神 あやうく過ぎし時を思へば

入谷鬼子母神と言えば朝顔市
江戸時代から大人気イベント

一回途切れたけど、昭和になってまた復活
朝顔市のときは大にぎわいらしいです。
以下、ネットからの写真

小野照崎神社
ここまで来ればあの謎を確認せねば
小野照崎神社です

一度来ました。
新江戸百景巡り。道灌山や小野照崎神社や

「謎」の前に、富士塚
ここの坂本富士は、東京まちなか超低山を読んで改めて認識したのですが
富士塚として重要文化財となっているのは4つしかなく
そのうちのひとつがこれ

重要文化財になってしまうと、山開きの時しか中に入れません
あとの3つは、豊島長崎、江古田、埼玉県川口の木曽呂の富士塚

何とこの坂本富士の5合目には、角行の像を祀ってあるとのこと
おおっ、この穴で4寸5分角の角材の上に千日間も爪立ちして修行したあの角行でございます。

それでは「謎」に参りましょう

前回ここに来てびっくり仰天したのが参拝者の多さ

はっきり言って東京の神社で参拝者が引きも切らずなんて
神田明神、富岡八幡宮等の超有名なのしかあり得ません

こじんまりした普通のよくあるその辺の神社
なんで?

しかも、女性が圧倒的
そして何と、全員美人

(ちょっと言いすぎました)

前回がたまたまだったのかをぜひ確かめたくて来てみました。

おおっ
一緒や
来るわ来るわ
女性が次から次へと
全員美人

どうにも理由が分からない

落ち着きません
境内の中をうろちょろ

意を決して、社務所でご朱印対応している巫女さんに聞いてみました。

あのう
大変変なこと聞くんですが

前一度伺いまして、その時不思議だなあと思いまして
また今日来てみてあまりに参拝の人が多いのに驚いたんですね

特に女性の方がとても多いので
何か秘密があるのかなあと思いまして。

そうですか
最近、ご朱印を集める方が多くいらしていて
うちは、月替わりで、こんな感じでご朱印を変えているんです。
それで女性の方が毎月来ていただいている
男性もそうなんですが。

はあぁ、そうなんですか
ありがとうございます。
良く分かりました。

ホームページで調べました
月替わりのご朱印はこんな感じ

さらに、何かある度に、特別ご朱印として、こんな可愛い感じのご朱印もあるようです

私はインスタグラムはやっていないんで入れなかったのですが
公式インスタグラムというのもあるようで
おそらくそこで盛り上がっているんじゃないでしょうか

神楽坂の赤城神社もすごいと思ったけど
あそこはすごいお金かけてお洒落に大改造しましたからね

小野篁ですから、由緒は申し分ないし、重要文化財だってあるけど
正直綺麗とは言いがたいこの神社で、ここまでひっきりなしに参拝者が来るなんてね
おそらく、そんなにお金はかかっていない

この成功事例は、もっともっと神社業界で発表して
みんな真似するべきじゃないでしょうか

おでかけマップ

下谷の散策

下谷と入谷をウォーキングしました

湯島から
ウォーキングイベントに入谷や下谷を組み合わせられるか調べるのが目的です。
湯島スタートで上野は突っ切って、入谷への時間を計りたい

無縁坂のあと、忍ばずの池を突っ切って

上野公園も越えて・・・
ん?

上野公園東照宮ぼたん苑の看板

前回東照宮に来たとき、ぼたん苑は時期じゃなかったので閉まっていた
そうか、ぼたん苑の時期か
えっ、2/24まで。明日じゃない
今日はその目的じゃないんだけど。

ぼたん苑

ここのぼたん、こんな風に藁被ってます。
かっこいいー

ぼたんは種類も多く、花がとても大きく華やかです
かなりいっぱいあったのですが、そのうちのほんのいくつかだけ



何が良いって、バックに上野の五重の塔


五重の塔と梅

五重の塔と寒桜

五重の塔とぼたんと梅

ああ、やっぱり来て良かった

下谷神社
どでかい鳥居

ここは、落語の寄席発祥の地でもあります。

三生亭花楽がこの地で始めました

明治5年より前は、下谷稲荷神社だったから、この辺は稲荷町です

永昌寺
嘉納治五郎先生が講道館柔道を始めた場所

いだてんでは、役所広司が大活躍でしたね

幡随院(ばんずいいん)
幡随院跡、みたいな案内版はありませんが
古地図に照らし合わせると、この辺が幡随院

幡随院長兵衛(ばんずいいんちょうべい)のいたところです。
日本の侠客の元祖ともいわれる
歌舞伎や芝居で大人気
神楽坂の時にお話ししました水野屋敷に、殺されると分かっていて乗り込んでいく
「怖がって逃げたとあっちゃあ名折れになる、人は一代、名は末代」の啖呵を切ってね

源空寺

超大物の墓が4つも
一人は、先程の幡随院長兵衛

二人目は、谷文晁(たにぶんちょう)
向島百花園でも出てきた有名な画家です。

そして、大好きな三人目
高橋至時(よしとき)

寛政暦を作った人です
麻田剛立の弟子でもあります。
そして、超大物4人目
伊能忠敬(いのうただたか)です。

伊能忠敬
商売で成功し、50歳で引退
それで人生終えても十分なのに
小さい時、星を見るのが大好きだったので
せっかく引退できたからあとは自由にさせてもらいたいと
江戸に出て、天文学の勉強
当時31歳の天文学の最高峰高橋至時に弟子入りします。
20歳も若い人を先生と呼び
一から天文学を猛勉強

高橋至時も持てる知識全てを伊能忠敬につぎ込みます。
地球の周囲の距離を正確に知りたくなり
江戸から出来るだけ遠い場所北海道で測量をしようと思い立ちます
そのための方便として、幕府に地図を作りますからという名目で北海道行きを許可してもらいます。
言わば方便としての地図作りだったのですが
ここから生涯の仕事になります。

師匠高橋至時は、資料集め等
江戸にいて出来る支援は全面的に行います。

ようやく第一弾の地図が完成して歓喜の中
師匠高橋至時が40歳という若さで亡くなってしまいます。
全国を測量のため旅をしてまわっても
正確に江戸の方向を調べ
毎朝、高橋至時の墓の方向に手を合わせます
その場所がここだという訳です。

そして、自分が死んだら、墓は必ず師匠高橋至時の隣に作ってくれと言い残します

そこまでは知ってたんですが
本当に伊能忠敬の墓が、高橋至時の墓の横にあるのを見ると
じーんと来ます。

まだまだウォーキングは続きますので
続きは明日ね

おでかけマップ

[てんてん]日本の文字の始まり

山口謠司さんの「てんてん」という本を読んでいます。
山口謠司さんと言えばこのブログでもシリーズで紹介した「ん」

日本語の中で始めは無かった「ん」という発音や文字が
なぜ、いつ、どういう経緯で作られたのかを研究した本

「ん」がなかった
「ん」がなかった。続き
「ん」がなかった。続きの続き。空海のチャレンジ
「ん」がなかった。続きの続きの続き。「ん」が生まれる

あまりに面白かったので、いつか「てんてん」も読もうと思っておりました。

最初に「てんてん」という本の存在を知ったのはずいぶん前
ラジオであの奇人、みうらじゅんさんが安住紳一郎の日曜天国で
「てんてん」がとても面白いと紹介していたんです。
「ん」を読んだときも「てんてん」を書いた人だからという理由で読み始めました。
順番逆でしたね

てんてんとは「゛」(濁点)の事です

「ん」に対する研究同様に、濁音や濁点に関しても緻密な研究が行われています。

濁音や濁点
ひらかなが出来る前の「万葉仮名」と言われるものには
清音と濁音に対応する別々の文字が使われていたんです。

万葉集や古事記や日本書紀が書かれたときの文字です。
「仮名」とは言っておりますが、文字としてはまるまる漢字
文字はなくても発音としては存在していた大和言葉に、漢字を当て字として当てた
例えば、「し」には「之」とか「思」とか
ひとつの音にひとつずつではなく、かなり多くの字が当たります。
「じ」はと言えば「自」とか「士」とか
違う文字が当てられるということは
清音と濁音では形の違う文字だということです。

万葉仮名が「草仮名」と言われる草書体の仮名に変化し
「平仮名」になっていきます。

その時点で
「し」と「じ」の発音が「し」に統一されてしまう。
「し」と「△」でも良かった訳ですが同じ形の文字になる

あれ
「じ」じゃないの?

濁音の事は後でお話しします。
一旦、「し」です

「し」か「じ」かは文字は一緒で、
前後の文脈で「し」と読むべきか「じ」かを読み手が考えて読み替える

とりあえず、今回はここまでにして、なぜそうなったのか
その後、どう展開していくのか

答え的なことは一旦置いておいて
ちょっと回り道にはなりますが
漢字や日本語の発音的な事からシリーズとして
話を進めていこうと思います。

[かな]シリーズはこちら(少し下げてね)