[首相]11 高橋是清。経済はだるまさんに任せましょう。

首相シリーズ

超大物、原敬(はらたかし)が東京駅で暗殺されました。

できればそのままの方針で行きたい
でも、政友会色が強くない人の方が良いだろう。

ということで、少し前に政友会に入ったばかりの、あの人でどうだっ

高橋是清

だるま宰相
まさしくだるまですね。

だるまのごとき七転び八起きの人生。

まずは前半生から

奴隷
生後まもなく、仙台藩の足軽、高橋覚治の養子となる。

10歳。時代は幕末に差し掛かります。
頭角を表した是清は藩に認められ、
これからの時代は英国の事を勉強すべし、と
横浜へ派遣される。
ヘボン式ローマ字で有名なヘボンさんのヘボン塾に入って勉強。

ここまで見ると、苦労しながらも一生懸命真摯に学んで社会に貢献した
偉人たちのイメージになりそうでしょ。

違うんだなあ。
このあと数々の失敗を繰り返しながらも復活するのですが
はっきり言って半分くらいは自分が悪い。
でも、それらの失敗があったからこそ
日本史史上最高の経済のスペシャリストになり得た気がします。

経済って生き物で、理屈じゃ何ともならない。
その時々の野生の勘で舵取りすべき。その勘が働くようになったんじゃないかと。

10何歳かという若さで酒と博打を覚えてしまう。
おかげて何度か失敗をおかし、すこぶる仲間うちで評判が悪い。
真面目な仲間たちは、アメリカに留学したりするが
行かせてもらえない。

悔しいっ
ゴリ押しして何とかアメリカ留学させてもらえるようになったんだけど
無理したのが悪かったんでしょう
留学話は全くの詐欺だった。
学費や渡航費用等だまし取られていた。
13歳で渡米

さらに
プリーズ サイン ヒヤア

言われるがままにサインしたのは奴隷契約書
奴隷労働を強いられる

なんかとってもキツいなあ

本人は奴隷だと気づいていない。
あまりのキツさにストライキをしたりもして、何とかかんとか
おかげで、やっと帰れるようになった時には英語はペラペラ

帰国してまだ14歳。明治元年。
森有礼の書生になります。

翌年、神田に開成学校(後の帝国大学)が出来ると森の薦めで入学。
ところが、明治2年に英語がペラペラな人はとても貴重。

生徒じゃく、先生ということでお願いできませんか。

えっ、良いんですか?それじゃあ。
まだ15歳なのに英語の先生って

そこで真面目にやってればねえ。

芸者遊びを覚えて放蕩生活
15歳のやることか
こらあっ

17歳ではとんでもない貧乏生活。
ようやくちょこっと反省。
心を入れ換えて頑張るぞ。

また、森有礼の紹介で、開成高校の教員
さっきは開成学校。今度は開成高校ね
この時の生徒に正岡子規やバルチック艦隊を打ち破る秋山真之がいます。

心は入れ換えたんですがね
根っから騙されやすい性格
乳牛事業に誘われ手を出して失敗
銀相場にも手を出して失敗
損失を取り戻そうと、米相場に手を出して失敗

何してんのよ。勘弁して。

でも、相次ぐ失敗が経済の怖さを身を持って知ることに繋がるんです

その後、農商務省に入り
頑張って、新設された工務局登録商標所長に就任
30歳です。
ああ、良かった。

原敬とも出会います。
専売特許局長
東京農林学校長も兼務し
いよいよ波に乗ってまいりました。

農商務省の先輩から
ペルーでの銀山事業に誘われる。

えっ、悪い予感

特許局の仕事をやめ、ペルーへ渡ります。

はい。お察しの通り。

ペルーの銀山はもうすでに掘り尽くして廃山になっていました。

農商務省の先輩は悪いと思って、かけずりまわり
北海道庁の役人の職を紹介。
でも断る。
食うに困ったと職に就くのでは言いたいことも言えなくなる。

それでも、はいそうですか、って訳には行かない
責任を感じちゃっているので、今度は日本銀行の仕事。

日銀総裁川田氏は、是清の能力を知っていたので、何とかしたい。
でも、あいつは山師だ、との評判が立ってしまっていた。

正社員は無理だけど、建設中の建築所事務主任として試用採用。
上司は何と辰野金吾
かつて先生だったときの生徒だった。

それがどうした。
ひたすらに働く。

認められて数ヶ月後正社員に
そしてさらに、山口県の西部支店長になる
ここから、金融の、そして経済のスペシャリストとして
数々の伝説的な仕事を成し遂げていくのです。

そんじょそこいらの頭でっかちさんとは失敗の数が違わい!という自信。
「欲」って判断を狂わし何の良いことももたらさない、という学び
それが、引くと押すの動物的勘をもたらし

生涯変わらなかった、人から頼まれると嫌とは言えない性格の良さが
今まではマイナスにしか働かなかったのが
全てプラスへと逆転していく。

後半の人生はシリーズの次回ね

[首相]シリーズはこちら(少し下げてね)

真ん丸キャベちゃん、負けるなキャベちゃん

うちのセキセイインコ。メスのキャベちゃんとオスのおこめちゃんです。

一昨日
一昨日は出社。カミさんはお休み。
帰ると、
今日、キャベちゃんが真ん丸だったのよ
もうすぐ卵産むかも知れないね。

昨日
昨日は在宅のリモートワーク
確かに真ん丸

ストーブ付けて暖かくしてあげましょう。

でもやっぱり真ん丸
本当ならこんなスリムさん


あれ。肛門のところが汚れてる。
捕まえてウェットティッシュで取ってあげると
緑がかった変な色のうんち

とりあえず別居にしましょう。
キャベちゃんだけかごに入れ、おこめちゃんは放鳥
ピヨピヨ呼び合うものの、おこめちゃんは自分だけ飛び回っている。

食欲としては、まずまず
以前くうちゃんが危篤状態になったときは、全然食べれなくなっていたからそれよりは良い。

今日
どうかなあ
かなり暖かくして寝かせてあげたんだけど
やっぱり真ん丸

今日は在宅リモートワーク
ちょこちょこ様子を見に行く。

朝から寝ていた

気になってちょこちょこ見に行くんだけど
ずっと寝ている。

ずっと閉じ込めておくのも可哀想かと、開けてあげると
おこめちゃんに呼ばれて飛んでいくものの
いつものお気に入りの場所でやっぱり真ん丸

気がつくと横の平らなところに移ってまた寝ている。

朝からほとんど寝っ放しなので
さすがにこれはまずいぞ。

明日は出社の日だから、病院に行くなら今日しかない。

お昼休みになって、小鳥の病院に電話してみた。
診察券を見ると日曜と、水曜の午後が休みと書いてあった。
ありゃまた、なんと間の悪い。

すみません。
うちのセキセイインコさんが具合悪そうなんですが
水曜日は午後休みですよね

はい。そうなんですが、どんな具合なんですか?

なんて言ったら良いんでしょう。
毛がこうなって、真ん丸で、朝からずっと寝ているんです。

どれくらいで来れますでしょう。

30分くらいかと。

分かりました。それではお待ちしています。

くうちゃんの時もそこを何とかと言えば時間外でも診てくれる
とても良い先生。

くうちゃんの時は、全く食べれず動けずの瀕死の状態から回復させてくれた
神様のような先生

急遽チャットで
急で悪いんですが、2時間ほど中抜けさせてもらってよろしいでしょうか

大丈夫ですよ

今回初めてです。
リモートで良かったあ、と思ったのは。

車で急いで向かいました。

ところが緊張したのか、いつものスリム状態に。
おいおい、さっきの真ん丸になってよお。

いつからなんですか

2日前くらいからです。
お腹が膨らんでいる気もするので
卵産むかもと思っていたんですが
今日は朝からずっと寝ていたものですから

(捕まえて診てくれて)
妊娠はしていないです。
糞を顕微鏡で調べたんですが
悪い菌がかなり多いですね
胃炎の可能性が一番高いかなあ

そのお薬を出しておきますね
捕まえてくちばしのところに一日二回、2滴垂らしてあげるんですが
出来そうですか

はい。くうちゃんの時にやっていましたので出来ると思います。
やはり別居した方が良いんでしょうか

オスとメスですか

はい

それでは、口移しで餌をあげてくれるかも知れないので
同居でも大丈夫ですよ。

良かった。別居は可哀想で見ていられないので。

ただ、糞がどちらのものかは良く見てあげて下さい
この糞は良い糞なのでおそらくオスの方の糞なんでしょう。
両方こんな感じの糞になるまで、お薬を続けてくださいね。

分かりました。頑張ります。
本当に無理を言って、ありがとうございました。

帰ってきてまた真ん丸になりましたが

薬ももらいましたし
食欲がそれほど落ちていないのが何よりです。
おこめちゃんの献身的な看護もあるかも知れませんし

フレーフレー、キャベちゃん
ガンバレガンバレ、キャベちゃん

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[天皇]66-2 一条天皇。彰子、理由はただひとつ。

[天皇]66 一条天皇。幸せな天皇(枕草子)と哀しい天皇(源氏物語)
の続きです。

前回は、幸せな頃の一条天皇でした。
ただ、愛する妻、定子のお兄さん、伊周(これちか)とはどうしてもうまく行かなかった。

兄が流罪になったのに、自分だけ幸せでいる訳にはいかないと、定子は出家してしまいます。

関白は、10日間だけの道兼を経て、道長ヘ
正式には関白とはせず、内覧の宣旨というのを出しただけ。
出ましたね、道長。
藤原氏で最高に権勢を振るった道長

この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば
お月さん真ん丸の道長です。

藤原氏が権勢を振るえるのは、天皇の外戚だから
道長も娘を送り込みます。
彰子、この時13歳。

8歳年上で21歳だったのが、一条天皇。
出家しちゃったとはいえ、やっぱり大好きなのは定子。
彰子としてもどうしたもんやら。

道長は、定子がなんだとばかり
彰子に、最高の教養を身に付けた、女房たちを仕えさせる。

定子の方の有名人は清少納言
夜をこめて 鳥のそら音は はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ

彰子の方は、紫式部
めぐりあいて 見しやそれとも わかぬまに 雲隠れにし 夜半(よわ)の月かな
和泉式部
あらざらむ この世のほかの 思ひ出に いまひとたびの あふこともがな
大弐三位(だいにのさんみ=紫式部の娘)
有馬山 ゐなの笹原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする
小式部内侍(こしきぶのないし=和泉式部の娘)
大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみも見ず 天の橋立
伊勢大輔(いせのたいふ)
いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に にほひぬるかな
豪華豪華、超豪華

これだけ見ると、定子がんばれって気持ちが起きますが
彰子は性格がとても控え目

定子に気持ちが行っている一条天皇の事を目一杯愛します。
一条天皇の気持ちを大切にしたい

定子は一条天皇との間に子供をもうけるも、若くして亡くなってしまいます。
普通ならば、やったあ今度は私の番ね、ってところでしょうが
なんとその子供、敦康親王(あつやすしんのう)を引き取って自分の子供同然で育てるのです。

理由はひとつ。一条天皇が敦康親王を可愛く思っているから。

一条天皇の憂鬱
そんな彰子とは裏腹に
道長の横暴は度を増していきます。

京都から、奈良の春日大社へ参拝
春日大社は藤原氏の氏神様ですから。

一人で行けば良いものの
いっぱい引き連れての大行列。

貴族たちは、その行列に参加することで、忠誠を示す。
天皇の側近についてもそうなります。

天皇って、大床子(だいじょうし)という巨大な椅子に深く座らなければならない。
どうなるかというと、自分で手を伸ばしても、料理に手が届かない
台盤(たいばん)という天皇に食事を食べさせる係がいなければ
天皇は食事することができません。

その食事係が、行列に参加するため、お休みを取っちゃった。
とうとう一人を除いて全員が、行列に参加するため、食事係をサボって出勤しなかった。

彰子
再び、彰子に話を戻しましょう。

彰子と一条天皇の間にも男の子が二人生まれます。
道長は大喜び

それでも彰子は、定子の遺児、敦康親王を変わらずに可愛がり
皇太子につけようとさえします。
結果としては、道長に阻止されて、実現できませんでしたが。

[天皇]シリーズはこちら(少し下げてね)

小金井散策、の続き。そんな次郎の物語

小金井散策
の続きです。

浴恩館
浴恩館公園という公園
昔、浴恩館という建物があり、そこで青年教育が行われていた。
その館長、下村湖人。次郎物語の作者

なぜ浴恩館という名前かというと、
その建物が昭和天皇の即位の時の大嘗祭(だいじょうさい)の建物を譲り受け
京都から移築したから
天皇陛下から賜ると「恩」という字が付きます。

公園

空林荘跡

浴恩館の講師が住んでいた場所
平成25年に焼失しちゃったらしい。
平成25年ってちょっと前ですよね。惜しかったなあ。

浴恩館跡(今は文化財センター)

中に入ろうとすると、中から女子校生かなって人が、スタッフさんに、「写真を写したいんですけど」って言っていた。
住所氏名を書けば写真を写しても良いみたい

私もお願いしますっ

小金井市の遺跡や玉川上水沿いの桜、玉川上水の実測図


川崎平右衛門さんの新田開発


ひばりの鳥かご
ひばりは縦に飛ばないと鳴かないらしく、縦長
でも、上に頭ぶつけて脳震盪を起こさないよう、上に網が張ってあります。

圧巻は、太平洋戦争で戦闘機の下にくっつけていた落下タンク

少しでも軽くするため、機体の下に燃料タンクを付けて、その燃料を先に使う。
使い終えたら切り離して落とす。
軽くするために、竹製の枠に紙を貼ってある。
改めてギリギリで戦ってたんだなあと思う。

さあ、いよいよ浴恩館の話です。

「青年教育」とだけ聞くと胡散臭いような怖いような気がしますが
要は青年団
昔は何かっちゅうと青年団でしたよね
カミさんの田舎みたいに過疎地になると、若いのがいないので、じいちゃんばかりが青年団だったり。

外苑前に青年団の本部があって
田澤義鋪(たざわよしはる)さんが、青年教育に燃えて頑張っていた。
その本部は、短期的に青年を集めては講義をしたりとかだったんだけど
もっと長い期間、共同生活をしながらじっくりと取り組みたい

浴恩館を分室として作り
無二の親友に館長を頼んだ
それが、次郎物語で有名な下村湖人

二人の基本方針は、ぴったり一緒
自主創造・友愛

材料はいっぱい提供するけれども
こうしなさい、は一切なし
若い人間同士が集まり、とことん話し合うなかで
お互いの友愛が育まれ、何かが生まれるはず

下村湖人も若者から多くを得ていたのかも知れない。

次郎物語って自伝小説

次郎は実の親から疎まれ(少なくとも本人はそう思っていた)里子に出される
里親にとても可愛がられるんだけど
実家の方に戻される。

おばあちゃんからいじめを受けつらい少年生活を送る

母親とのわだかまりも長く消えなかったけど
母親が病気になったときに献身的に世話をすることで、気持ちが分かるようになる。
結局は亡くなってしまうのだけれど
最後の最後に本当の親の気持ちを理解出来た事で
その後の彼自身の大きな成長の足掛かりになる

その自分の経験がそのまま次郎物語になり
こうあるべしでなく、
自分で悩みながら、考えて、成長していく。

とても長く第五部まであるんだけど
第五部は浴恩館がそのままモデルになっている。

残念ながら、時代が良くなかった。
昭和5年に浴恩館設立
次第に戦争へ全体主義へと突き進んでいくなかで
自主創造・友愛の精神は、強く非難され
下村たちも、「自分では何物をも与えない教育」と言われる。
それが良いんですけどね。
とうとう、昭和12年に閉鎖に追い込まれます。

帰りにスタッフの人に聞きました。

ここに浴恩館があったのですか

はい、看板はその当時のものです。
建物は随分改修されていますが、
いかにも古いって木材は、昭和天皇即位の時の木材のはずです。

えっ?大嘗祭の時の建物の木材という事ですか?

どれとどれがその時のものかまでは調べられていないんですけどね。

急にテンションMaxになってしまいました。

令和の大嘗宮には行って来ましたので
大嘗宮に行ってきました
特別の思い入れがあります。
大嘗祭のためだけの建物なんてとても勿体ないと思っていました。
そのあと何かに使えば良いのにって

昭和天皇の即位の時は
その後建物はこうやって有効利用されていたんですね。
自分の事のように嬉しくなってしまいました。

木材どれだろう
ここかな こっちかな



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