[天皇]66 一条天皇。幸せな天皇(枕草子)と哀しい天皇(源氏物語)

一条天皇
986~1011年

出ましたっ、一条天皇
最も雅なる時期
ただ、幸せいっぱいの天皇は
後半になると哀しい天皇に様変わりします。

幸せなる時期は、清少納言の「枕草子」の時期であり
哀しい時期は、紫式部の「源氏物語」の時期だとも言えます。

円融天皇が会わせてもらえなかったあの一人息子です。
わずか7歳。

ということなので、摂政は藤原兼家ということになります。

息子たちを強引に出世させ、大満足のうちに4年後に死去。
さあ、これから摂政関白がころころ入れ替わっていきます。

次は息子の道隆。

その年、一条天皇は元服
道隆の娘、定子を奥さん(中宮)とします

一条天皇は穏やかな性格。
文学を愛し、風流を解します。
同じく、文学に長けた定子と仲睦まじい夫婦。
笑顔の絶えない様子を、定子に仕えた清少納言が描いたのが、枕草子だと言えます。

最も幸せな時期。

でも、長くは続かなかった。

道隆が、病気を患い、悪化していった。
道隆としては、いよいよとなる前に息子の伊周(これちか)に譲位し、
出家して安らかな最期を迎えたかった。

一条天皇からすると、愛する定子のお兄さん
良いんじゃないの?と思うけど
いかんせん、伊周本人の人間性として、あまりに周りからの人望が無さすぎた。

関白代行を伊周とする勅命が出された。
「関白の病の間、官・外記の文書は内大臣をして見せしむべし」
ところが、伊周はこれを改竄しようとした。
「関白の病の間」を「関白の病の替」に。
間となるとあくまでも代行。もし、道隆がそのままかえらぬ人となれば
必然的に関白代行の職も消えてなくなる。

元々いけすかないと思っていたが、この強引なやり方に一気に不信感が高まる。

関白代行の実に3日後に道隆が亡くなる。
それでも、関白代行の伊周が関白になるかと思われた。
20日後、関白に指名されたのは、道隆の弟、道兼だった。
さらにビックリした事に、その道兼、関白になって10日ちょっとすると
亡くなってしまう。
その時点で重病人だったのを知りつつ任命
伊周、よっぽど嫌われちゃったのね。

長徳の変
それでも伊周、真面目にやっていれば浮かび上がる事もあったかも知れない。
やけになったのでしょうか。事件を起こします。
女性関係の勘違いから、弟の隆家と共に、花山法皇に対して暴力を奮います。
完全に頭に来た一条天皇。伊周と隆家を、流罪とします。

この決定、伊周にとって決定的でありましたが
決定を下した一条天皇にとっても、哀しい転換点となります。

お兄さんが不祥事を起こした、妹定子が、自主的に宮殿を出たのです。

定子ーっ

さあ、次の関白は?
すぐ死んじゃった道兼のさらに弟、道長です。

哀しい天皇時代に突入します。
続きはシリーズの次回ね。

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