[首相]32-9 吉田茂 マッカーサー元帥、万歳

[首相]32 吉田茂。嫌になったらいつでも投げ出す。
[首相]32-2 吉田茂。分かった。ひとりの日本人も、餓死させない
[首相]32-3 吉田茂。耕さないもの認めない
[首相]32-4 吉田茂。初めての選挙
[首相]32-5 吉田茂。あの人とあの人とあの人
[首相]32-6 吉田茂。吉田学校の始まり。
[首相]32-7 吉田茂。誰にも知られてはならない。
[首相]32-8 日本にやってもらうこと。それは
の続きです。

マッカーサーから
朝鮮戦争勃発後、マッカーサーから書簡が届いた。
「日本政府が、七万五千人の国家警察予備隊を新たに設けるとともに、
海上保安庁の八千人を増員することに適当な措置を講ずることをゆるす」

日本にいる米軍は、一挙に朝鮮に進駐した。
日本国内には、一個師団に足りない兵力しか残っていなかった

自分の事は自分で面倒を見てくれ
そういう趣旨
「再軍備」なのか

野党からは、質問の矢があびせられた。
「再軍備の一歩ではないか」

朝鮮戦争は、拡大の一途をたどっていく
いっぽうでは、日本経済への神風ともなった

ダレス来日。
ダレスは対日講和交渉を一任されている

吉田とダレスの大激論
再軍備を迫るダレスに、
そんなものは無理だ

よし、マッカーサーのところに行こう

実は、吉田はマッカーサーと話がついていた。
ダレスは再軍備を要求するだろう
その時は、一緒に反対して欲しい

「自由世界が、いま日本に求めるものは、軍事力であってはならない。
そのかわり、日本は、軍事生産力をもっている。
われわれが資材を供給して、生産力をフルに活用し、もって自由世界の力の増強に資すべきだ。
旧日本軍基地などの遊休設備を使って、アメリカの軍備を助けさせたほうがいい」

そして吉田
「日米共同防衛の体制を打ち建てる場合に、
日米両国は対等の協力者として立ちたい。
したがって、条約の明文においても、
相互の安全保障のための行動を規定する建て前を確保したい」

ダレスは敗戦国のくせして何を言い出すのか、という顔になった

日を変え、具体的な細かい交渉が進められていく

マッカーサー解任
マッカーサーは、日本側の晩餐会等の招きは拒否し続けていた

ところがどういう風の吹きまわしか、
はじめて吉田の招きに応じ観桜会に出席することになった

観桜会へ向かおうとするところに、1本の電話が入る

「トルーマン大統領がマッカーサーを解任したそうです」

軍のラジオ放送で、いつものプログラムを中止して、ワシントンからの特別発表を伝えた。
『トルーマン大統領は、ただいま、マッカーサー元帥を極東と朝鮮での司令官の地位、および日本占領指揮の任務から解任した』

なんという解任の伝え方なのか
外交上の方針の対立はいくつか存在した
それにしても

約束の時間に現れない
苛立つ、吉田の元にも情報が届く

三日後、マッカーサーの元を訪ねた
「あなたが突然わが国から去られることに、
わたしはいいようのない衝撃と悲しみを感じています。
天皇陛下から一市民にいたるまで、
すべての日本人が、あなたとの別れを惜しんでいます」

それは、社交辞令ではなかった
心のそこから、マッカーサーに感謝していた

本来なら、少し前まで敵国だった国から乗り込んできた男に、憎しみを持つところだろうが
なぜか、国民の中から沸き上がって来たのは
マッカーサーの帰国を惜しむ声だった

羽田で、バターン号のタラップを昇ったマッカーサーに、閣僚の一人が思わず叫んだ
「マッカーサー元帥、万歳!」
残りの閣僚たちはビックリしたが、合わせて万歳をした

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[天皇]北4 後光厳天皇。えっ、私どうすりゃ良いんでしょう

天皇シリーズ。南北朝時代です。

後光厳天皇

時代としてはこの辺り

足利尊氏が新しい世の中を作ったはずが、
安定せず、義満の登場を待っている

観応の擾乱(かんのうのじょうらん)
足利尊氏の右腕の高師直(こうのもろなお)のと、尊氏の弟直義の対立
尊氏と高師直は、ビックリする作戦に出る
この際、南北朝の対立と、直義との対立、ふたつあると大変すぎる
南北朝の対立は諦めよう

南朝に無条件降伏
正平一統と言います。
どういう意味かというと
北朝は観応、南朝は正平という別々の元号を使っていたんですが
正平の方に統一しますよ

北朝が持っていた三種の神器
南朝から言わせると偽物なんですが、これも南朝にお返しする

崇光天皇は、まだ3年しかたっていないけど、お役御免

で、替わりに立ったのが、後光厳天皇
この最後のところが変ですね
無条件降伏したんだから、北朝側で天皇を立てる必要がない

破談
なぜ、後光厳天皇が立ったのか
正平一統がたった4ヶ月で破談になったからなんです。
尊氏と息子の義詮(よしあきら)は正平の復活を宣言

大失敗
三種の神器も渡しちゃったし

後光厳天皇
えっ、私どうすりゃ良いんでしょう状態
神器はもちろん無い

そんな状況下で天皇やる訳なので
可哀想の一言

京都で天皇におさまったはずの翌年、吉良満良らの南軍が京都に迫ったので、押小路殿へ、
そして延暦寺へ。

さらに、美濃、垂井、小島、近江へと、逃れ移った。
さすらいの日々。

安堵の地はいずこ

さらに足利尊氏にあっち行け、こっち来い
東坂本、石山寺、比叡山と行幸

心身ともに疲れはて、譲位後三年、三十七歳で崩御した。

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[迷信]22 梅雨入り前に梅を食べてはいけない

ハウス栽培が盛んになって野菜に季節感がなくなってきているが
それでも、初夏のスーパーに並ぶサクランボやビワ
今の時期なら柿、梨、栗など、果物の中には
また季節がめぐってきたと感じさせてくれるものがある

青梅
青梅もそんな季節感のある果物のひとつ。

梅雨にさしかかる数週間だけ梅酒や権ジュースなどの加工用として店頭に出る。
カミさんは毎年浸けて梅ジュースを作る
しかし、昔からけっしてそのまま食べてはならないといわれている。

1年のうちごく短い時期にしかお目にかかれない青梅を
食べてはいけないとは、いったいどういうことなのだろうか。

未熟な梅には、青酸配糖体のアミグダリンという毒の成分が含まれているのだが、
これを食べると体内の酵素で糖とシアン化合物に分解される。
シアンは猛毒。
特に、まだ種が柔らかい若い実は危険で、
硬い種に成長したものに比べて10~20倍ものアミグダリンを含んでいる。

そのため、1個食べただけでも腹痛や強いアレルギー反応を引き起こすことがあり、
多量に摂取する昏睡状態になり、最悪の場合は死に至ることもあるのだ。

実が大きくなるまで待つ
このような若い梅の実が強いを持っているのは、
しっかりと成長するまで実を守るためだと考えられている。
熟す前の若い種を食べると体調を崩すとなれば、
人間や動物も近寄ってこなくなる。
植物の子孫繁栄の知恵です。

実際、実が大きくなれば毒の成分はかなり減る。
エムルシンという酵素が毒を分解して、
収穫する頃には果肉にはほとんど残らないのだ。

種が硬くなるまで成長していれば、もし生で実食べてしまったとしても、
子供でも100個くらい食べなければ、深刻な影響は出ない

ちなみに、アミグダリンは梅と同じバラ科サクラ属の
アンズ、ビワ、スモモの種にも含まれている。

一時、健康食品としてビワの種を粉末にした加工食品が出回ったことがあったが、
農林水産省は健康を害するおそれがあるから食べないよう呼びかけている。

また、がんに効くとうたったアミグダリンのサプリがインターネットで出回ったこともあり、
実際にがん患者が服用して重篤な健康被害を出した例もある。

もちろん、梅酒やジュースとして加工する分には何も心配はいらない。

数週間~数ヵ月かせて出来上がった頃にはアミグダリン化している。

梅は2000年前に書かれた中国最古の薬物学の本にも載っていて、
日本には3世紀の終わごろに伝来している。
「梅雨入り時に梅を食べてはいけない」というのは、自然に対する昔ながらの知恵なのだ。

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[ことば日本史] 先陣争い

「ことば日本史」平安時代から

先陣争い
武者の最高の名誉を競って
寿永2(1183)年7月に入京した木曾義仲は、
十一月にクーデターを断行し、
後白河法皇に迫って源頼朝追討の院宣を出させた。
そして翌年正月十日にいたって、征夷大将軍に任ぜられた。

だが、それは法皇の本意ではなかった。
法皇の密旨を受けた頼朝は、源範頼と義経を義仲追討に派遣する。

それぞれに軍をひきいて、範頼は勢田へ、義経は宇治に迫った。

義経にしたがった梶原景季(かげすえ)と佐々木高綱(たかつな)とは、
宇治川を渡るとき、我こそはと先を争った。

高綱は、義経からとっておきの名馬を賜って、もし人に後れをとったなら死ぬと誓っていたのだ。
必死だった。

だが景季が、一歩リード。

高綱が声をかける。

「おお、梶原殿馬の帯がゆるんでおりますぞ。
締めたほうがよろしかろう」

景季は、いったんほどいて、締め直した。

その隙に、高鋼は追い抜いて、ざんぶと川へ。

「おのれ、だまされた」

馬を打って、川へ入るが、ついに先陣は高綱のものとなった。

「宇治川の先陣争い」

真っ先に斬り込んで功をあげることは最高の手柄であり、
当然、その後の報酬にもつながる。

そこで、先陣争いということが起きるわけである。

ただ「平家物語」に描かれたような、
騎馬武者が駆けながら一騎打ちするというような場面は、
現実にはほとんどなかったと思われる。

当時の馬はポニーくらいの大きさしかない
鎧を着けた武者を乗せると、速く走れない
馬上から弓をいるなんて、困難を極めるので
普通は馬から降りて弓を射る

おそらく当時から、それを分かっていながら
「まあ、物語の世界ですから」というお約束的な事だったのだと思われる

先陣争いも、端からみるとかなりドタバタの格好悪い感じだったかも知れませんが
それじゃ物語になりませんから

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