[社労士]正式始動

社労士試験への申込ってそれほど前からは出来なくて
ようやく出来るようになったのが、今週の月曜

よし、申し込みだ!

去年は大学の卒業証明書が必要だったので
大学に申込んで卒業証明書を送ってもらったりとかなり面倒

去年、受験後の、受験票に来年受験する場合には必要になるので捨てないで下さい、とあったのでひょっとすると

インターネット申込を進めていくと、おおやっぱり
去年の受験票があれば資格ありとなり他の証明書は不要
受験番号を入力して
受験票をスキャナーで取り込んだものもアップロード
よっしゃあ

受験料は約15,000円
結構します

まあ、これで第二の人生が迎えられるのであれば安いもの
カードは不正利用されて引き落とせなくなったことがあるので
今ちょうどそんなふうになっていると困るので
カード決済ではなく、コンビニ決済を選びました

急いでコンビニへ
支払ってバーコードを見せてピッ

翌日無事入金確認メールが届いたのでほっと一安心

ちゅうことは
これで完全に引き返せなくなりました

ああ、第二の人生が始まるのかあ
(受かる前提)

本当は第二どころじゃない
何度人生を大転換させたろう
そのすべて
私自ら計画したもので
流されてそうなっちゃったなあ、っていうのは無い
面白い人生だった

年齢からして最後の大転換
ここからまた一山

全く未経験の世界で不安はあるけれど大丈夫
波瀾万丈の人生を歩んできた人間の最大の強み

何とかなるっしょ
今までだって何とかなってきたから
会社潰しても今元気に生きている

進捗
受かる前提で話してきたけど
そこが問題

なかなか思うように進んでいかない
一つ一つ丁寧に進めているからなので
悪くは無いんだけど
次の力試しにいけないのでモヤモヤ

次の力試しは4月中にはと思っていたけど
ゴールデンウィークにずれ込みそう

ここへきて懸念点
眼がおかしな感じになってきた

元々仕事がパソコンに向き合っている仕事なのに
その後もずっととても小さな字をずっと見てる

疲れ目が蓄積し、焦点が合わなくなってきた

まずいかもしれない

でも、そんなときに解決する一言を知っている

「なんとかなるっしょ」

PS
次回レポートしますが
実は明日から、一生の思い出になるであろう出来事が

[社労士]シリーズはこちら(少し下げてね)

[東京ミステリー]平将門の思い

東京ミステリー、前回は古代でしたが
平安時代まで進めてまいりましょう

将門塚
東京のミステリーと言えばやっぱりここ
でっかいビルばかりの丸の内のオフィス街の中にポツンと残されている異様な場所
平将門の首塚

あれよあれよという間に、関東一円を制し
「新皇」と名乗って、関東一円を京都の中央政権から独立した国とした平将門

その物語は以前詳しく書きましたので、良かったら
[平将門]1 父の死。頼んだぞ。
[平将門]2 桔梗どのにございましょう。
[平将門]3 合戦が始まる
[平将門]4 京の都で裁判。その結果は
[平将門]5 桔梗、無事でいてくれ
[平将門]6 めでたしめでたし、になるはずが。
[平将門]7 俺はそんな事がしたかったのか
[平将門]8 新皇万歳ーっ
[平将門]9 あまりにもあっけなく

京都にあったはずの首が、なぜか江戸に埋められた
一説には、京都からバッタのごとく飛び跳ねながらやって来た
目撃した人はびっくりしたでしょうね

その後ずっと大切に葬られ今に至るのですが
実に多くの都市伝説が語り継がれてきた

何せ一等地中の一等地なので当然潰したい訳ですが
潰そうとした人たちはことごとく謎の死を遂げる

隣接するビルでは首塚を見下ろす方には窓を開けないとか
首塚の方に尻を向けないようなデスク配置にしているとか
まことしやかにあれやこれや

平将門はギラギラした性格ではなく
そそのかされて何だかんだのうちに中央に反逆しちゃったわけで
その人柄から、関東の人たちにとても好かれている

徳川家康って、
太田道灌の作った江戸城もそうですが
それまでにあった江戸のものを尊重し
丁寧に受け継いでいる

言葉をかえると、平将門もうまく利用して
江戸庶民の気持ちをまとめていった

神田明神
怨霊信仰という考え方がある
典型的なのは菅原道真の天神様ですが
怨みを持って死んでいった人を丁寧に祀れば
その力が強大な守護神となる

平将門を江戸城の鬼門にあたる東北の方向に神田明神を作って祀る

裏鬼門の日枝神社とともに、天下祭りとして将軍も見る祭りとして
一年交替で一大イベント

明治になると様相が変わります
明治は尊皇でまとまった政権
その天皇に背いた平将門を祀るとはなんたることぞ
さらに、それを重視していた幕府を倒した訳ですから

とはいえ、完全にぶっつぶす事はしませんでした
やっぱり祟りが恐いからでしょうか
境内に小さな将門神社を作り、祭神としてはそっちに移した

ただ、その後、将門神社は火事で焼け
「臨時に」本殿に平将門も合祀
そのまま現在に至っています

[江戸]シリーズはこちら(少し下げてね)

[首相]35 鳩山一郎。自由民主党誕生

今日は本当なら、ウォーキングイベントの日
羽村の広大なるチューリップ畑のレポートをするはずだったのですが
雨で中止になりました。
ああ、残念

という事で、シリーズもの
かなり時間が開いちゃった首相シリーズの再開といたしましょう
吉田茂の次になります
覚え方で言うと「鳩は石橋の岸に池殺到」鳩山一郎・石橋湛山・岸信介・池田勇人・佐藤栄作

鳩山一郎

鳩山一郎は華麗なる政治家の家系
お父さんは鳩山和夫
明治期の衆議院議員
一郎の長男は威一郎。福田赳夫内閣で外務大臣
そしてその息子が鳩山由紀夫、邦夫
鳩ぽっぽファミリーです

鳩山一郎は大政翼賛会に反対するなどして激動の生涯
人気実力とも抜群
戦後すぐに日本自由党を結成
選挙で日本自由党は第一党に
当前、首相になるはずだった

ところがその直前にGHQから公職追放されちゃいます
戦前にヒトラーを礼賛した文書を書いていたとのカド

どうしましょ
仕方ないので、吉田茂を説得
私が公職追放になっている間、変わりに日本自由党の党首と首相やっててくんない?

嫌がる吉田茂は
ホントに公職追放になっている間だけだからね
戻って来たらすぐに交替ね
と、ちゃんと念書を書いた

ところが、首相って、やってみると実に魅力的
そりゃそうでしょうね

さあ、公職追放解除って2ヶ月前
鳩山一郎は脳溢血で倒れちゃいます
つくづくついていない

それでもなんとか回復し
解除後初の選挙で当選

吉田茂に
約束覚えてるよね

なんでしょ
何言っているか分かりません

頭に来た鳩山は日本民主党を結成

吉田茂は長期政権だったし、汚職事件も発覚
数々の実績をあげたものの、元々敵の多い性格

反吉田勢力が日本民主党に結集していきます。

さあ選挙

結果、依然として自由党が第一党
ただ、左右社会党も大躍進

左右社会党に協力してもらえれば、日本民主党は数で上回る

首班指名で、鳩山一郎って書いてもらえません?
その変わり、またすぐに解散して選挙しますから

約束通り、第一次鳩山内閣はたった45日

でも、この超短期間の間に、やるわやるわ
大臣の公邸の廃止、大臣の護衛警察官の廃止、平日の競輪競馬の廃止
公務員の民間業者との麻雀ゴルフの廃止、官庁の公用車を国産車に切り替え

国民の人気はうなぎ登り

晴れて選挙で、日本民主党は第一党に
過半数までは行かなかったんですがね

第二次鳩山一郎内閣のスタートです

左右社会党もさらなる躍進

よし、ってことで
左右社会党は合体して社会党になり次を狙える基盤作り

自由党は
くやしいーっ、末代まで呪ってやる、ってなりそうなもんですが
自由党はもう吉田茂は引退している

大人の世界は複雑で良く分かりません

なんか、社会党さん合体しちゃったんだけど
うちらも考えないと

うちら、って何?

だから、
民主党と自由党

ちょっと待ってよ
あんなに熾烈に戦ってきたのに

はい、忘れた

合体ありき
政策なんて後回し
党首(総裁)だって後回しで
とりあえずスタート
自由民主党の誕生です
5ヶ月後にようやく不在だった党首に鳩山一郎が就任

1955年スタートなのでいわゆる55年体制
でも、2大政党って訳ではなく
1対0.5の状態がずーっと続いていくわけです
実に細川護煕の前まで36年間

[首相]シリーズはこちら(少し下げてね)

[迷信]平安の人々を苦しめた鬼・酒呑童子

「科学で読み解く迷信・言い伝え」シリーズ

酒呑童子(しゅてんどうじ)
時は平安時代、一条の御代に、
京都にある大江山に鬼が出るという噂が広まった。
山に巣食う鬼たちの首領が酒を飲み、人間をさらい、
その肉を食う酒呑童子だ。

そこで、一条帝の命を受けた源頼光らが討伐に向かい、
酒呑童子を退治して首を切り落としその首を埋めたと伝えられる鬼塚が、
京都の首塚大明神として今も残っている。

鬼にまつわる伝説は日本各地にたくさん残されているが、
日本人にとって鬼は厄災の象徴であり、
多くはそれを具現化しているものだ。

酒呑童子の伝説が生まれた当時の京都では、
恐ろしい病が大流行していた。
それは疱瘡(ほうそう)。

天然痘のことで、
世界中で行を繰り返しておびただしい数の人々の命を奪ってきた。

天然痘ウイルスに感染すると
約2週間後に3度以上の高熱感、頭痛、嘔吐などをともない
3、4日で解熱したあとでや四肢に痛みや熱を持った斑状丘疹(はんじょうきゅうしん)が現れる。

治ったあとのかさぶたにも強い感染力があり、
みるみるうちに地域に大流行をもたらす。
敗血症をはじめ炎、脳炎などの致死的な合併症をともなうことも特徴だ。
死の病として恐れられた天然は日本でも繰り返し流行しており、
一条帝の時代にも京都で流行が起きている。

疱瘡だらけになって命を落とす姿に、
人々は鬼の姿を重ねたのだろう。
天然痘は1796年にイギリス人医師のジェンナーが開発したワクチンによってみるみる罹患者を減らし、
1980年には世界保健機構によって根絶宣言が出された。

平安時代の人々は酒呑童子の前になすすべもなかったが、
科学の進歩で作り出したワクチンによって、
天然が人類史上初めてに成功した感染となったのである。

日本史を色々読んでいくと
この疱瘡(ほうそう)はあちこちで出てきて
よほど人々を苦しみ続けたんだろうなと思われる

聖武天皇の時は実に人口の3分の1が疱瘡で亡くなった可能性がある

江戸時代になっても何度も流行しており
将軍も例外ではない
疱瘡にかかったと思われるのが何人かおり
直接疱瘡で亡くなりはしていないが
治ったあとに顔にみにくいアザができる
5代将軍綱吉もかなりのコンプレックスを持っていたようだ

やはり、この話は今回のコロナと関連づけて考えてしまう
最初の頃、テレビで池上彰さんが、同様に疱瘡の歴史と関連づけて話していた

その番組の最後に言われたこと

でも
こんなに世界中で何度も何度も感染症には苦しめられてきましたが
必ず克服しているのです
人類が絶滅したことは一度もないのです。

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