[迷信]平安の人々を苦しめた鬼・酒呑童子

「科学で読み解く迷信・言い伝え」シリーズ

酒呑童子(しゅてんどうじ)
時は平安時代、一条の御代に、
京都にある大江山に鬼が出るという噂が広まった。
山に巣食う鬼たちの首領が酒を飲み、人間をさらい、
その肉を食う酒呑童子だ。

そこで、一条帝の命を受けた源頼光らが討伐に向かい、
酒呑童子を退治して首を切り落としその首を埋めたと伝えられる鬼塚が、
京都の首塚大明神として今も残っている。

鬼にまつわる伝説は日本各地にたくさん残されているが、
日本人にとって鬼は厄災の象徴であり、
多くはそれを具現化しているものだ。

酒呑童子の伝説が生まれた当時の京都では、
恐ろしい病が大流行していた。
それは疱瘡(ほうそう)。

天然痘のことで、
世界中で行を繰り返しておびただしい数の人々の命を奪ってきた。

天然痘ウイルスに感染すると
約2週間後に3度以上の高熱感、頭痛、嘔吐などをともない
3、4日で解熱したあとでや四肢に痛みや熱を持った斑状丘疹(はんじょうきゅうしん)が現れる。

治ったあとのかさぶたにも強い感染力があり、
みるみるうちに地域に大流行をもたらす。
敗血症をはじめ炎、脳炎などの致死的な合併症をともなうことも特徴だ。
死の病として恐れられた天然は日本でも繰り返し流行しており、
一条帝の時代にも京都で流行が起きている。

疱瘡だらけになって命を落とす姿に、
人々は鬼の姿を重ねたのだろう。
天然痘は1796年にイギリス人医師のジェンナーが開発したワクチンによってみるみる罹患者を減らし、
1980年には世界保健機構によって根絶宣言が出された。

平安時代の人々は酒呑童子の前になすすべもなかったが、
科学の進歩で作り出したワクチンによって、
天然が人類史上初めてに成功した感染となったのである。

日本史を色々読んでいくと
この疱瘡(ほうそう)はあちこちで出てきて
よほど人々を苦しみ続けたんだろうなと思われる

聖武天皇の時は実に人口の3分の1が疱瘡で亡くなった可能性がある

江戸時代になっても何度も流行しており
将軍も例外ではない
疱瘡にかかったと思われるのが何人かおり
直接疱瘡で亡くなりはしていないが
治ったあとに顔にみにくいアザができる
5代将軍綱吉もかなりのコンプレックスを持っていたようだ

やはり、この話は今回のコロナと関連づけて考えてしまう
最初の頃、テレビで池上彰さんが、同様に疱瘡の歴史と関連づけて話していた

その番組の最後に言われたこと

でも
こんなに世界中で何度も何度も感染症には苦しめられてきましたが
必ず克服しているのです
人類が絶滅したことは一度もないのです。

[]シリーズはこちら(少し下げてね)

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