[源平]10 勝利のあとの惨敗

[源平]1 武士の始まり
[源平]2 八幡太郎義家ここにあり
[源平]3 どっちにつこうかプレゼント大作戦
[源平]4 保元の乱(源平編)
[源平]5 平治の乱
[源平]6 平清盛快進撃
[源平]7 平清盛。おごれるものは
[源平]8 神戸に都を?
[源平]9 源頼朝、立つ
の続きです

山木判官兼隆
まずは宣戦布告
そのターゲットとしたのは、誰あろう、山木判官兼隆
北条政子が1日だけ嫁入りした旦那様
伊豆地方の目代(もくだい)即ち、中央から派遣された地方の長官ですから。
因縁の相手ではありますが、北条時政としては一度は娘の婿さんとして選んだ人なのに
ものすごい手のひらの返しようです。

そんな時、京から報せが来る
以仁王と藤原頼政、謀反が発覚し討たれたり

まずい
だが、気持ちは始まってしまっている
引き返せないし、逆に崖っぷちに立たされた。
こうなると、次は源氏の生き残りの頼朝を討ちに来るだろう
一刻も早く事を起こさねば。

治承4(1180)年8月17日
待ちに待ったる日が参りました。おさしずに従って、
かねてさし上げおいた誓紙の如く、勢揃いいたしてござります。
わが君にも、疾く疾く、お身じたくを

賛同する武者たちがほぼ揃い、85騎
佐々木4兄弟の姿が見えない

もう少しだけ待ってみるか
数時間遅れで息も絶えだえにやって来た
4人とも泥まみれ

豪雨で橋が流され、崖崩れにあい、なんとか間に合わせようと必死でやって来た。

その思いに逆に頼朝が声をつまらせた。

朝がけは期を逸したので、夜討ちに方針転換
いざ

狼藉もの!

寝静まった屋敷で叫ぶ声が上がる
山木判官兼隆も飛び起きた。

不意討ちを喰らった割には、守りは堅かった
次第次第に体勢は決していく。

兼隆は見慣れた顔を目にする
貴様、時政かぁっ

首を取った合図となる火の手が上がった。

石橋山の戦い


山木攻めの勝利により、その時85騎に過ぎなかったものが
300騎へと増えた。

ただ、平家が以仁王討ち以降に行っていた、次なる頼朝討ちの準備はそんなものではなかった。
3000騎

石橋山において、谷を挟んで山と山に陣取り、両者にらみ合いの格好になった
攻撃を仕掛けるには、谷に降りなければならない
降りた途端に矢が敵より降り注がれよう

かねてからの大雨で水を含んだ土砂が山崩れを起こした。
それが合図となり、両者一斉に駆け降りる

敵も味方も入り乱れ、矢を放とうにも放ちようがない

平家方は、まだ半数が山の上

山の上に陣取っていた、大将頼朝

十四の年も死ななかった。二十年来死ななかった。死なば天命、ここにいても死のう。
南無八幡大菩薩、頼朝に事を成し遂げさせ給え

真っ逆さまに駆けていった

行き交う声が、源氏方の敗北を伝えていた。

死んだのか
いや生きている。まだ生きている

気がつけば、椙山の谷深かった

お逃げにならなければいけませんっ
馬に乗せられて駆け出す

逃がすな。あれこそは頼朝

一斉に射たれた矢はすんでのところで届かなかった。

北条政子
源氏敗北の報せは政子のもとへも届いた
いよいよのときは自分も自害する覚悟は持っていた。

ただ、生きてさえくれれば。
気がつけば手を合わせている日々

ようやく、報せが届く

ご安心なされい
お父上と旦那様はともにご無事

甲斐へと向かわれた後、お父上は首尾よう舟を手に入れられて、
海路を安房へと、お渡りになりました

頼朝殿も落ち合うべく、舟で安房へと向かわれたようにございます。

そうですか、そうですか。ご苦労さまでした
何度も何度もうなづいた。

天皇シリーズと源平シリーズ、歩調を合わせようと思っていましたが
天皇シリーズが先に安徳天皇の壇の浦まで行っちゃいましたので
このあとしばらくは、源平シリーズのみで追いつこうと思います。

[歴史]シリーズはこちら(少し下げてね)

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