[源平]6 平清盛快進撃

[源平]1 武士の始まり
[源平]2 八幡太郎義家ここにあり
[源平]3 どっちにつこうかプレゼント大作戦
[源平]4 保元の乱(源平編)
[源平]5 平治の乱
の続きです。

平清盛
平治の乱では、平清盛が一人勝ち
清盛が正四位下から一気に三段階も位階を上げ、正三位参議に任じられる
清盛は武士として初めて公卿(くぎょう)となり、国政の重要事項に参画する資格を得た。
その翌年には早くも権中納言に昇進し、
京の司法・警察権を握る検非違使別当(検非違使庁の長官)を兼務する

天皇家では、二条天皇派と後白河上皇派が対立
清盛は、うまく立ち回り両方に平等に奉仕する
対立のきっかけとなったのは、清盛の奥さんの時子の妹、建春門院が
後白河上皇の寵愛を受けて、男の子憲仁(のりひと)親王を産んだこと

大チャーンスと、清盛の弟、教盛や時子の弟時忠が憲仁を皇太子に立てるべく動いた。
ちょっと動き方がよろしくなく、大きなトラブルに発展した。
二条天皇から二人の部下たちが配流に処せられる

清盛の実力を持ってすれば、処分を撤回させる事も可能だったが
異議を唱えることなく、泣いて馬謖を斬った

この事件で、後白河上皇の院政は停止になり
二条天皇派が優勢になる

清盛は、摂関家、藤原基実に娘の盛子を嫁がせ、正室にした
かつて、摂関家が天皇家に対して行った外戚作戦

二条天皇派の優勢は長くは続かなかった。
4年後、二条天皇自身が亡くなる
亡くなる前に慌てて、一歳の息子六条天皇に譲位し
藤原基実を摂政に据えて、体制継続にしたんだけど
肝心の藤原基実も翌年24歳の若さで急死する

再度、後白河上皇派が力を盛り返す。
後白河のために院御所法住寺殿の敷地内に蓮華王院を造営して進呈
ここの本堂が今も観光名所として名高い、三十三間堂

バランス良く立ち回っていた事が功を奏し
後白河上皇の後ろ楯を得て、とんとん拍子はさらに続く事になる

大納言、内大臣と出世を続け、仁安2年、ついに太政大臣(だじょうだいじん)になる

太政大臣はすごいです。
政治の組織において最も上は右大臣
太政大臣はそのさらに上で、常に置かれている訳ではない。
歴史的に見ても、太政大臣になったのは数えるほど。
もちろん、武士では初めて。

野球で言うと、監督に対する名誉監督みたいなもん

権力というより権威なので
実際に太政大臣が政治を行うことはなく
やっぱり右大臣が切り盛りすることが多い

清盛は太政大臣になると、3ヵ月ですぐに辞任しちゃった。
名誉職で、実際に政治の指揮を行えないなんて邪魔なだけ
「元太政大臣」の肩書きさえあれば十分

平家の家督や朝廷の様々な役職を息子の重盛に譲り
自分は自由な立場でさらなる高みを目指す。

ところが
状況が激変

清盛が寄生虫に犯され、床につく

もう長くないと悟った清盛は出家
入道大相国と呼ばれる

でもこんなところじゃ終わらないんですね

続きはシリーズの次回ね

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