[源平]5 平治の乱

[源平]1 武士の始まり
[源平]2 八幡太郎義家ここにあり
[源平]3 どっちにつこうかプレゼント大作戦
[源平]4 保元の乱(源平編)
の続きです。

平治の乱

天皇家で言うと、勝ったのは後白河天皇
基本的に意欲的な人ではあるものの
少なくとも初期段階では、あまり政治に興味がなく
今様(いまよう=民衆の歌謡)が大好き

せっかく保元の乱で勝ったのに
腹心の信西に一切合切任せちゃった。

保元3(1158)年、後白河天皇は二条天皇に譲位する
普通に考えると、院政を始めるためなんだけど
信西にそう言われたから、という方が大きい。

信西は、腐敗仕切った貴族の世界にメスを入れ
どんどん改革を進めていく。

その信西を支えたのが、平清盛だった。

源義朝も信西の権勢のおこぼれに預かろうと、信西の息子を自分の娘の婿にと
縁談を進めようとする

でも、信西から「私の息子は学者。武士との縁談はふさわしくない」
と断られてしまう。

この作戦はあきらめたが
並行して、平家の娘との縁談が進んでいると知って
おのれ信西、と恨みを募らせる。

信西の改革は、もっともで天晴れな事なんだけど
いかんせん、急激すぎたし
既得権益を持った人物たちに取ってみれば
死活問題。

立ち上がったのが、藤原信頼
信西を嫌っている、源義朝に協力を仰いだ

義朝としては、保元の乱で勝ったのに
平清盛の方に報償が厚い
清盛は実際の戦闘においてはほとんど見るべきものは無かったのに
納得が行かない。
信西への恨みに加え
もうひと活躍して目立ってやろうという気持ちもあった。

ということなので
清盛には内緒と言うことで
清盛が熊野詣でで留守の間に兵を挙げた。

敵は基本的に、信西ただひとり
頭は良いけど、武力に秀でている訳ではない
どうっちゅう事はない

一気に攻められた信西は
もはやこれまでと自殺を図るんだけど
武士でもないし、切腹なんて嫌なので
部下に大きな穴を掘らせて中に入り
埋めちゃってね。

すぐに見つかって掘り返され、斬首

その首がさらされているときに、清盛が帰ってきた。

な、何が起きている!

ここで、すぐに動かないのが清盛の頭の良いところ

完勝出来るよう、兵を整えてから動こう。
ありがたいじゃないか
今や平家と源氏は大きく差が開いているものの
完全に潰せるのであればそれに越したことはない
バカな奴らめ

準備の中で、最も頭の良かったのが、天皇への働きかけ

とても危険です。私が責任を持ってお守りしますから
こちらへお越しください。

天皇をこそっと連れ出すことに成功

京都中の、公家や武士にお触れを出した。

今や六波羅(清盛の居所)が皇居となった。
朝敵となりたくないものは、急いで六波羅へ参られよ。

これで藤原信頼と源義朝が謀反人と位置付けられた。

予定通り完膚なきまでの圧勝。

義朝は斬首
この戦いが初陣であった義朝の三男頼朝も斬首のはずだったが
待ったをかけたのが、清盛の継母池禅尼だった
池禅尼は頼朝の助命に執念を燃やす。

ついに折れた清盛
頼朝は伊豆への配流にとどめる。

まさか、20年後に、この判断が自分達を追い詰める事になろうとは
思ってもいなかった。

さあ、このあと
平家の栄華の時代が始まる。

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