先方のご両親と顔合わせしてきました

長女が結婚します。

彼氏のご挨拶を椿山荘で受け
よろしくお願いします。

結婚式も決まったようです。
4/25にホテルで行います。

あと3ヶ月か

私とカミさんの時は披露宴もやっていませんし
良いんじゃないの
そんなのやらなくても
と言ったのですが
そうも行かなかったようで。

顔合わせ
両家の顔合わせなるものをすることになりました。

土日はカミさんが全部仕事だったもので
仕事終わりの平日でも良いですか?

先方のお父さんはとても仕事が出来る人で
えっ、あの?
とみんなが分かるような、急成長した会社のお偉いさん
今は、引退して、自分で会社をやられているとか。

仕事の出来る人と話すの大好き

先方のご両親が席を予約していただけました。
ヒルトンです
そんなの入ったことございません
漢字で書くと昼豚です

うちの長女でほんとに良いんでしょうか
ずっと本ばかり読んでいて、家事一切何にも出来ないんですけど。

新宿から自転車で通えるような場所に3階建ての自宅を建てて
その実家に住んでいるひとり息子
そりゃもう、どれだけ可愛がられていただろうと思うと恐ろしいですね

今までは何も考えなくても何でも出てきたでしょう。
二人で暮らし始めて気付きますね
あれ?何にも出てこないぞ
ふと横を見るとおそらく本を読んでいます。

ただ、私の姉もほとんど似たような状態から嫁に行きましたが
立派にこなしましたから
いざとなると何とかするのかなあとは思います
今はコンビニとかあるし、そっちで何とかしちゃったりして。

終わりました
いやあ、いい人でした。
楽しい楽しい

かなり時間オーバー
時間は持つかな、なんて思っていたのに

お金持ちの筈なのに、こちらに話を合わせてくれる
彼氏とも、改めて仲が良いんだなあと思った

もちろん愛されているって事は分かったけど
ひとり息子特有の感じもなかった

万事OK

[家族]シリーズはこちら(少し下げてね)

築地の外国人居留地巡り

浜離宮恩賜庭園で庭園ガイド
の続きです

旧芝離宮恩賜庭園と浜離宮恩賜庭園だけで帰るのももったいない

築地方面に行ってみましょう

えっ、あんなところに何で踏切が
浜離宮恩賜庭園を出るとすぐに向こうの方に道の端に、踏切のカンカンカンが見えます
こんなところに電車走っている筈ないし
行ってみました

なるほど!
旧汐留駅から築地まで貨物を運ぶ引き込み線があって、その信号の跡だったのか

こういう、グーグルマップにすら載っていない、遺跡を見つけると
宝物を見つけた気になります。

築地本願寺
とても建物が印象的。

イベントでも来ています
突然大雨が降りだして、雨宿りした思い出の場所

本願寺は、名僧シリーズで色々調べましたので
今また訪れると格別の感があります。
[名僧]教如、東本願寺と西本願寺の対立
[名僧]顕如。織田信長を徹底的に苦しめる
[名僧]蓮如。勢力拡大はこうしましょう。一向一揆の作り方
築地本願寺は西本願寺側です。


以前来たときは気づかなかったんですが
その後に得た情報で、パイプオルガンがある

築地本願寺と言えば、動物探し
建物の色んなところに動物がいます

築地外国人居留地
私がこんなに歴史にはまっちゃっているのは
ある人にいただいた明治4年に撮影した江戸城の写真から

2016年の事でした
写真にどっち方面かの書き込みがしてあって、その中に「ツキジホテル」というのがあった

えっ、明治4年。明治維新がなったばかり
ホテルって何よ、ホテルって
そんなのある訳ないけど間違いなく明治4年に書き込まれた文字

不思議で不思議で。そこから色々調べ出した
明治4年にツキジホテルって何だろそれ

そのツキジホテルの有った、築地外国人居留地にやってまいりました。

横浜と築地に外国人居留地ができたけど
横浜は大人気だったけど、築地はいまいち
そう思っていたけど
若干イメージと違っていたようです。

横浜は、商社がいっぱい
大きな港が出来ましたから
それに対して、築地は公使や領事、宣教師や教師等の文化人が多く住んだようです。
そこからキリスト教系の大学等が数多く生まれていきました。

キリスト教系ではありませんが
慶應義塾大学発祥の地

天は人の上に人を作らず

立教女学院発祥の地

蘭学の発祥
先程の慶應義塾大学発祥の地と同じ場所に、解体新書の記念碑もあります
前野良沢の所属した中津藩の武家屋敷があったということでの繋がりです

解体新書については
解体新書、ターヘルアナトミア その1
解体新書、ターヘルアナトミア その2
を見てね

シーボルト
公園の中にシーボルトの胸像がありました

シーボルトの娘、いねの産婦人科医院が築地にあったようです
シーボルトについては
シーボルトの激烈日本愛。でも何かある?
シーボルトの続き。あの事件とその後
その娘いねについては
楠本イネ、壮絶なる人生

おでかけマップ

浜離宮恩賜庭園で庭園ガイド

お正月、鷹狩りの時、浜離宮恩賜庭園(浜御殿)に行ったり来たりして
結局、浜御殿の方の庭園ガイドには参加出来なかった

今度、3/7に浜御殿でイベントを企画しているから
以前一度庭園ガイドを聞いてはいるものの、もう一度聞いておかないと。

旧芝離宮恩賜庭園
11:00からのガイドにはかなり早めに着いちゃいました。
3/7イベントでお隣の旧芝離宮恩賜庭園もやります
確かちょっと高めだったから買わなかったけど旧芝離宮恩賜庭園の本を売っていた
受付で本だけ買って来よう

済みません。年間パスポートというのがあるんでしたっけ

違う事言ってますね
今度は都立9庭園共通年間パスポートというのを買ってから入ろうと思ったのを思い出しました。

4000円になります。

お願いします。

確か旧芝離宮恩賜庭園の本があったかと思うのですが

済みません。売り切れなんです。
もうすぐまた入荷しますが。

そうなんですか

本だけ買いに来たけど
時間もあるし
年間パスポートも買っちゃったから、入らにゃソンソン

ということで一通りぐるっと回りました。

浜離宮恩賜庭園
浜御殿もかなり早めに着いちゃいました
年間パスポートさえありゃあ、何度でも出入りできるのさ

一旦入りましょう

3/7にしたのは、菜の花がきれいに咲く筈だからですが、うわあ、もう咲いちゃっている。
(でも、後で聞いたら大丈夫。場所をずらしながら、かなり長く咲くらしい)

菜の花バックの梅の花

小腹がすいたので一旦出て、パンでも買ってきてもう一回入ろうかな

要は、年間パスポートを買ったのが嬉しくてたまらない訳です。

パンを買ってきて
よし間に合った。

よろしくお願いしまーす。

以前、浜御殿の庭園ガイドは聞いているんですが
浜離宮恩賜庭園に行ってきた。
何せ浜御殿は広いしテーマがぎっしりなので何度か聞いて組み合わせる必要がある

三百年の松

海からの運河(川)は江戸城まで続いて、物資をここから城まで運ぶために使われた。
この階段(雁木という)はその時の荷上げに使われたそのままのもの
そのままの形で残っているのはここだけです。

延遼館
ジョサイアコンドルの設計で、初の迎賓館施設
2020年にこの場所に延遼館を復活させると東京都が決定したんだけど
決定した時の知事は桝添さんだったのでうやむやになっちゃった

花木園
良かったのは、吉宗時代の浜御殿について聞けたこと
ここが幕府の直轄領、浜御殿になったのは、6代将軍家宣の時から。

せっかく今まで何にも使っていなかった、幕府が自由に使える広大な土地
吉宗は、色々やってみたい事をここの土地で試した

織殿(おりどの)薬草園(やくそうえん)
織殿とは機織り機(はたおりき)を何台か置いて布を織った。
色々試して、幕府直轄の産業を起こそうとしたんじゃないかな
塩田とか、刀とかも作っている

部下に給料が払えなくなるほど、幕府の財政は切迫していましたので。

浜御殿は庭園というより実用目的

ただ、全てが全てではないのが面白いところ
これは実用じゃないでしょっていうのが、象の飼育
浜御殿で、象を飼っていました。

吉宗は好奇心の塊で、発想が世界に向いていたので
象の存在を本で知り

外国にはそのようなものがあるのか
持って参れ

ベトナムから象を2匹輸入
鎖国中なので、陸上げ出来るのは長崎だけ
そこから江戸へと歩いて行きます。
その時の楽しい話はこちら

三人で回ったんですが
その内の一人が
あの銅像は何ですか?

この時のガイドさんの解説に感動

この銅像目につくところにある割に
可美真手命(うましまでのみこと)とそれ誰よ
できれば素通りしたいくらい

この銅像は、明治になって銅像ってなんだか分からない人達が作った、
日本で三つ目の銅像なんです。

ええーっ
(そうきたか)

一番古いのは、兼六園にあるヤマトタケルノミコト
ここで、そのヤマトタケルノミコトを見たことがある一人が大盛り上がり

二番目が、靖国神社の大村益次郎
ここは、私が大盛り上がり
三番目がここで

四番目が上野の西郷さん
みんなで、おおおおーっ

温州みかんの品種改良の元、クネンボがなっているところで
家斉がここに来た食べた弁当も見せてくれた

真ん中辺の上にあるのがクネンボ

さあ、庭園



緑の石の意味とか、
富士見山の意味合いとか、
ここに塩田があったんですとか
鷹狩りの詳しいやり方とか
吉宗の馬への好奇心とか
桜を見る会はここが最初ですとか

色々いっぱい聞けました
ああ面白かった

おでかけマップ

毒味をさせた毒味役

磯田道史先生の「日本史の内幕」から

毒味
時代劇とかを見ていると良く出てくるのが「毒味」という言葉

確かに権力者になればなるほど不審な死を遂げたものは多い
毒殺されたんじゃ、と疑いたくなるケースもある

ただ、磯田先生は、不思議だなあとの感覚を持っていたらしい

山ほどの古文書を読んだけど
毒味役が「私が毒味役です」と書いた文書を見たことがない

毒味役の存在は全く疑っている訳じゃないけど
これは一体何故なんだろうと

例えば「定本 江戸城大奥」という本では
将軍夫人の食事は「御広敷番頭 及び中年寄の御毒味」を経て提供されていたと出ている

毒殺を避けるため、10人前も用意されていた
毒殺しようとすると、10個全部に毒を盛らないといけないから
かなり大変な筈だ

その内、二膳が毒味役に回される

残りの3膳が、将軍夫人の前に出される
そのなかの二つにランダムに箸を付ける

残りはというと、捨てる訳じゃなく
お付きのものが当番で食べる
この仕組みのために、お付きのものは、美味しい食事にありつけるんです

長い期間を経て、先生はようやく毒味役が自分で書いた文書にゆき当たった

東京目白台の旧熊本藩細川家の永青文庫

ちょっと前に椿山荘の前に行ったらお休みだったところです

細川忠興、絶世の美女細川ガラシャの旦那様
激しい性格
孫の細川光尚は、当主になったとき、忠興に毒殺されかねないと思ったらしい

茶坊主や料理人から、誓約書を取った

「私は、忠興様に主君を変えるつもりは毛頭ございません
御食物にはいよいよ念を入れ
少しでも怪しいものは出さないようにします」

そして、毒味役、坂井七郎右衛門の誓約書

「私は毒味の役を命じられました
殿にあげるものを良く吟味し
それぞれ調理する者に毒味をさせた上で、上げます
調理人のみならず、上げる食事に近づいた者には良く良く毒味をさせます」

毒味役とは、毒味をする人間ではなかった
調理したり運んだりしたものに毒味をさせるための責任者だったのだ

[歴史]シリーズはこちら(少し下げてね)