毒味をさせた毒味役

磯田道史先生の「日本史の内幕」から

毒味
時代劇とかを見ていると良く出てくるのが「毒味」という言葉

確かに権力者になればなるほど不審な死を遂げたものは多い
毒殺されたんじゃ、と疑いたくなるケースもある

ただ、磯田先生は、不思議だなあとの感覚を持っていたらしい

山ほどの古文書を読んだけど
毒味役が「私が毒味役です」と書いた文書を見たことがない

毒味役の存在は全く疑っている訳じゃないけど
これは一体何故なんだろうと

例えば「定本 江戸城大奥」という本では
将軍夫人の食事は「御広敷番頭 及び中年寄の御毒味」を経て提供されていたと出ている

毒殺を避けるため、10人前も用意されていた
毒殺しようとすると、10個全部に毒を盛らないといけないから
かなり大変な筈だ

その内、二膳が毒味役に回される

残りの3膳が、将軍夫人の前に出される
そのなかの二つにランダムに箸を付ける

残りはというと、捨てる訳じゃなく
お付きのものが当番で食べる
この仕組みのために、お付きのものは、美味しい食事にありつけるんです

長い期間を経て、先生はようやく毒味役が自分で書いた文書にゆき当たった

東京目白台の旧熊本藩細川家の永青文庫

ちょっと前に椿山荘の前に行ったらお休みだったところです

細川忠興、絶世の美女細川ガラシャの旦那様
激しい性格
孫の細川光尚は、当主になったとき、忠興に毒殺されかねないと思ったらしい

茶坊主や料理人から、誓約書を取った

「私は、忠興様に主君を変えるつもりは毛頭ございません
御食物にはいよいよ念を入れ
少しでも怪しいものは出さないようにします」

そして、毒味役、坂井七郎右衛門の誓約書

「私は毒味の役を命じられました
殿にあげるものを良く吟味し
それぞれ調理する者に毒味をさせた上で、上げます
調理人のみならず、上げる食事に近づいた者には良く良く毒味をさせます」

毒味役とは、毒味をする人間ではなかった
調理したり運んだりしたものに毒味をさせるための責任者だったのだ

[歴史]シリーズはこちら(少し下げてね)

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