[名僧] 顕如。織田信長を徹底的に苦しめる

名僧シリーズ
蓮如(れんにょ)の話はしましたね
一向一揆というグループ
巨大勢力になって、一つの国を持つまでに、ということでした。

本を読んでいると、この一向一揆という巨大勢力
まだまだ後半戦がある
その後半戦の中心にいたのは、顕如(けんにょ)です

顕如
浄土真宗本願寺派(一向宗) 1543~1592年

8代蓮如の息子が9代実如(じつにょ)
その孫が10代証如(しょうにょ)
その子が11代顕如(けんにょ)になります。
にょろにょろです。
蓮如実如証如顕如、と3回言えたら100万円ですね

証如にしても、顕如にしても、先代が急死したことにより
幼くして本願寺の跡を継ぎます。

証如は10歳、顕如は12歳
2代続けて、若くして、であれば勢力も弱まりそうなもんですが
どっこい、どんどん拡大していきます。

戦国時代に突入していき
その中で巨大な勢力というのは、武装化が進み
大名との関係が強くなっていきます。

基本的にその力をあてにしたのは、室町幕府側の重臣たち
まずは、細川家
細川春元の時には、証如に依頼があり、兵を率いています。

そして、最盛期で顕如となります

一番この力を恐れたのが、室町幕府を倒そうとしている新勢力
織田信長です。

まずは、ジャブを打ちます。
5千貫の金を寄越せ

はあ?
そりゃまたなんで

ずいぶん考えましたが、ここは一旦折れて時間稼ぎ
また何か言ってくるに違いありませんから
いつでも戦えるだけの戦力を蓄えておこう作戦

石山合戦
2年後
よしっ、いよいよか
こっちから仕掛けよう

信長が三好一族と戦い、摂津の野田・福島に兵を向けたのだが
そこへいきなりどどっと

ビックリした信長は大慌てで退散

このあと長く続く「石山合戦」の始まりです。
実に11年にも渡って戦闘を繰り返します。

ただずっと戦っていた訳ではなく
戦いを仕掛けて、威圧し、交渉を有利にして和睦
みたいなのを、こっちから、そっちから

そうこうしているうちに
信長を面白く思わないもの達が本願寺に味方するようになります。
信長包囲網です。

将軍義昭であり、甲斐の武田信玄です。

もちろん本願寺側には、各地に一揆と呼ばれる一向宗の強力な部隊がいます。

さあ、天下分け目の戦いが始まるのか

ところが一番強力な、武田信玄が急死してしまいます。

結局はお互いに決め手を欠き、ずるずると

ところが事態は急展開します。

信長が、将軍義昭を京都から追い落とし
浅井朝倉の両氏を攻め滅ぼす

包囲網を一気に切り崩すのです

勢いに乗った信長
伊勢長島の一向一揆を攻め立てた
追い詰められて降伏したが
信長は許さなかった
男女含めて二万人を皆殺しにします。
「伊勢長島の皆殺し」と言われています。

さらに越前。
加賀に続いて「百姓の持ちたる国」が実現したところです。
信長の総攻撃を受けて壊滅

強力な拠点二つを失ったことは顕如としても痛かった。
一旦和睦

ただ、これは仮のもの

信長はいよいよ本丸、石山総攻撃をかける
一気にかたがつくと思われた。

ところが顕如は強かった
籠城し、それから5年もの間戦い続けた。

でも次第に、味方の毛利がやられる等して、いよいよ衰弱していく

ついに顕如は、最終的な和睦を決意
本願寺及び、それに所属する寺を保証することを条件に
石山から完全撤退した。

とはいえ
本能寺の変のあと
今度は、豊臣秀吉がその勢力を利用しようとし
一向宗という名前は失われたものの
浄土真宗本願寺派は、仏教界で大きな影響力を持ち続けるのです。

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