[首相]21 広田弘毅。雷にうたれたようなものさ

広田弘毅
在位:昭和11(1936)年~昭和12(1937)年 外交官出身

広田は青年時代に外交官になりたいと、東京帝国大学法科大学に進学
外交官領事官試験にトップ合格。
外務省の同期には、戦後に総理大臣になった吉田茂がいる。
中国、イギリス、アメリカ、オランダ、ソ連などに赴任して外交の実践を学び、
斎藤実内閣、岡田啓介内閣で外務大臣に就任した。

2.26事件後
2.26事件は、首都東京を震撼させた。
暗殺からは免れましたが、責任を取って、岡田啓介総理は辞任
後継として貴族院議長の近衛文麿に組閣の大命が下ります。
近衛は健康に自信がないといって辞退

じゃあ、他に誰か
2.26事件後では誰も手をあげる人はいません

岡田内閣で外相をつとめた広田に白羽の矢が立つ。

私ですか

世間には火中の栗を拾った「ひろった内閣」と呼ばれました。

組閣
何とか陸軍の介入を阻止すべく、実力のある者を閣僚として揃えねば。
旧知の仲だった吉田茂を外務大臣にすえる
政党から4人の入閣予定
ところがこの入閣予定名簿がマスコミにすっぱ抜かれる

怒鳴り込んできたのが、陸軍大臣の寺内寿一
結局、吉田茂を諦める
政党からの入閣者は何度もやり取りがあった上で何とか死守

そんなやり取りの中で色んな譲歩をせざるを得ず
現役武官制の復活を許してしまう。
現役武官制とはの陸軍大臣、海軍大臣は、それぞれの軍の現役の大将中将に限るというもの
軍が大臣を出さないというだけで組閣を阻止できるので
過去何度か軍の阻止にあってきた。
山本権兵衛内閣の時にせっかくこの制度を廃止したのに

外交的に一番まずかったのは、日独防共協定の締結
あのヒトラー政権と手を結んでしまう。

衆議院で、浜田国松議員が、陸軍を痛烈に批判
それに対して寺内陸軍大臣が
軍人を侮蔑するような発言があった、と反論

これに、浜田国松議員は
侮蔑などしておらん
ここで再度速記録を読み直してもらって
もし本当に侮蔑する発言をしていたら、割腹して謝罪しよう
その代わり、侮蔑発言がなかったら君が割腹せよ

議場が騒然となる「腹切り問答」

これ音声が残っていて、この前憲政記念館に行ったとき流れていたのよね

陸軍は、議会の解散を要求
解散しては思う壺と、結局広田は内閣総辞職を選択し、広田内閣は終わりとなる

結局、頑張って抵抗はしたものの
現役武官制の復活と日独防共協定の締結という
戦争へ加速する政策を取ってしまった事は否めない

太平洋戦争開戦の5年前

絞首刑
終戦後に広田は戦犯容疑で逮捕され、極東国際軍事裁判(東京裁判)にかけられます。
軍部に積極的に追随し日中戦争を推し進めた容疑をかけられた。
このとき広田は証人台に立たず、一切の抗弁をしないまま、死刑判決を受ける。
処刑されたA級戦犯7名のうち、文官は広田ひとりで、あとの6人は軍人。

東京裁判が開廷される前、面会した家族に、語った。
これは裁判ではない。誰がどうした、どう言ったなどということは言わないつもりでいる

すでに死亡していた陸軍大臣の寺内寿一らに責任を押しつければいいと言う人もいた。
でも「(当時外相や総理大臣をつとめた)自分が責任をとらねばならない」と言い張った。
死刑判決が出た時も
雷に打たれたようなものさ

ずっと前、オランダ公使に任ぜられ、左遷じゃないかと噂された時に詠んだ俳句に
こんなのがあります。

風車 風の吹くまで 昼寝かな

[首相]シリーズはこちら(少し下げてね)

[源平]10 勝利のあとの惨敗

[源平]1 武士の始まり
[源平]2 八幡太郎義家ここにあり
[源平]3 どっちにつこうかプレゼント大作戦
[源平]4 保元の乱(源平編)
[源平]5 平治の乱
[源平]6 平清盛快進撃
[源平]7 平清盛。おごれるものは
[源平]8 神戸に都を?
[源平]9 源頼朝、立つ
の続きです

山木判官兼隆
まずは宣戦布告
そのターゲットとしたのは、誰あろう、山木判官兼隆
北条政子が1日だけ嫁入りした旦那様
伊豆地方の目代(もくだい)即ち、中央から派遣された地方の長官ですから。
因縁の相手ではありますが、北条時政としては一度は娘の婿さんとして選んだ人なのに
ものすごい手のひらの返しようです。

そんな時、京から報せが来る
以仁王と藤原頼政、謀反が発覚し討たれたり

まずい
だが、気持ちは始まってしまっている
引き返せないし、逆に崖っぷちに立たされた。
こうなると、次は源氏の生き残りの頼朝を討ちに来るだろう
一刻も早く事を起こさねば。

治承4(1180)年8月17日
待ちに待ったる日が参りました。おさしずに従って、
かねてさし上げおいた誓紙の如く、勢揃いいたしてござります。
わが君にも、疾く疾く、お身じたくを

賛同する武者たちがほぼ揃い、85騎
佐々木4兄弟の姿が見えない

もう少しだけ待ってみるか
数時間遅れで息も絶えだえにやって来た
4人とも泥まみれ

豪雨で橋が流され、崖崩れにあい、なんとか間に合わせようと必死でやって来た。

その思いに逆に頼朝が声をつまらせた。

朝がけは期を逸したので、夜討ちに方針転換
いざ

狼藉もの!

寝静まった屋敷で叫ぶ声が上がる
山木判官兼隆も飛び起きた。

不意討ちを喰らった割には、守りは堅かった
次第次第に体勢は決していく。

兼隆は見慣れた顔を目にする
貴様、時政かぁっ

首を取った合図となる火の手が上がった。

石橋山の戦い


山木攻めの勝利により、その時85騎に過ぎなかったものが
300騎へと増えた。

ただ、平家が以仁王討ち以降に行っていた、次なる頼朝討ちの準備はそんなものではなかった。
3000騎

石橋山において、谷を挟んで山と山に陣取り、両者にらみ合いの格好になった
攻撃を仕掛けるには、谷に降りなければならない
降りた途端に矢が敵より降り注がれよう

かねてからの大雨で水を含んだ土砂が山崩れを起こした。
それが合図となり、両者一斉に駆け降りる

敵も味方も入り乱れ、矢を放とうにも放ちようがない

平家方は、まだ半数が山の上

山の上に陣取っていた、大将頼朝

十四の年も死ななかった。二十年来死ななかった。死なば天命、ここにいても死のう。
南無八幡大菩薩、頼朝に事を成し遂げさせ給え

真っ逆さまに駆けていった

行き交う声が、源氏方の敗北を伝えていた。

死んだのか
いや生きている。まだ生きている

気がつけば、椙山の谷深かった

お逃げにならなければいけませんっ
馬に乗せられて駆け出す

逃がすな。あれこそは頼朝

一斉に射たれた矢はすんでのところで届かなかった。

北条政子
源氏敗北の報せは政子のもとへも届いた
いよいよのときは自分も自害する覚悟は持っていた。

ただ、生きてさえくれれば。
気がつけば手を合わせている日々

ようやく、報せが届く

ご安心なされい
お父上と旦那様はともにご無事

甲斐へと向かわれた後、お父上は首尾よう舟を手に入れられて、
海路を安房へと、お渡りになりました

頼朝殿も落ち合うべく、舟で安房へと向かわれたようにございます。

そうですか、そうですか。ご苦労さまでした
何度も何度もうなづいた。

天皇シリーズと源平シリーズ、歩調を合わせようと思っていましたが
天皇シリーズが先に安徳天皇の壇の浦まで行っちゃいましたので
このあとしばらくは、源平シリーズのみで追いつこうと思います。

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松尾芭蕉とやっちゃ場と千葉さな

砂場の本店で
奇跡の前にひざまづく
の続きです。

奥の細道プチテラス

出ました。松尾芭蕉

私が見た松尾芭蕉の像としては5つめ

やっちゃ場通り
千住宿へ続くこの道。このあたりは「やっちゃ場通り」と呼ばれています。

やっちゃばとは、青物問屋街で
セリ声がやっちゃいやっちゃい、と聞こえたところから
神田、駒込と共に、江戸の三大青物市場

明治以降も栄え、終戦で解体されるまで続きます。

このやっちゃ場で特徴的なのが、投師(なげし)の存在
転売目的で、野菜を買う
だから、この市場は最も早く始まり、午前3時

この通りは、案内がとても充実している

それぞれの問屋があった場所にその看板が掲げられている



10以上あったと思う。
説明板もいっぱい

一般の住宅にも掲げてあるから、よほど住民一丸となって盛り上げようとしているのだろう

千住歴史プチテラス


建物は、紙問屋の蔵を利用していて、200年前からのものらしい。
中には、やっちゃばに関わる資料がいっぱい
これは給金表

大正6年と書いてあるけど、枠が印刷されている紙があったんですね

火事はんてん
さわるととても分厚かった
バケツで水を被ってから、消火に行っていたらしい。
左側は裏地もおしゃれで、ボタンもついている
女性にもてたかったのかも

出たっ、箱階段
最近「日本の家」読んだばかり
実物が見れるとは感激

立て付けが良いから今も問題なくスムーズに開く

源長寺

出たっ、つくばい
吾唯知足(われただたるをしる)

生まれながらにして人は全て完成している
ただありのままに生きれば良い

千葉さな灸治院跡地



突然現れた
これがあるから、ウォーキングはやめられない。
GoogleMapにも出ていないし
今まで見たどこの本にも出ていない。
出会い頭にガツンとぶつかった感じ

千葉さなは、坂本龍馬の恋人
龍馬が千葉定吉道場に入門して剣の修行をするが
定吉の娘がさなで相思相愛の恋仲になる
結局さなの恋は実らず、龍馬はお龍と結婚

「龍馬が惚れた女たち」という本を以前読んで
さなが灸の治療院をやっていたのは知っていた。
まさか突然目の前に現れるとは。
家に戻って読み返してみると、「千住の」とある
そもそも、千住の地名は、千葉氏が住んでいたからという説もあるくらいの
千葉氏の本拠地

さなの物語は長くなるので、時を改めて書きますね

NTT千住ビル
設計者は日本武道館も設計した、山田守さんです。

千住神社

八幡太郎義家陣営の地でもあります。
八幡太郎義家は本当に人気があるなあ
あるわあるわ、ゆかりの地

ここの恵比寿さんはすごいです
土台から、くりっと360度回転します

富士塚だっ

お約束の合目石

富士講の石碑

頂上

降りるとき、急な方の男坂で降りようとしたんですが
こわいこわい

胎内もありました
胎内というのは、富士塚に作られた洞窟ね

[おでかけ]シリーズはこちら(少し下げてね)

奇跡の前にひざまづく

砂場の本店で
の続きです。

千住大橋を渡るところでしたね

千住大橋
隅田川の橋を渡るときの楽しみは、橋の上からの隅田川の眺め
ありゃりゃ。ここは横に水道橋がわたっちゃっているから見えないよぉ

渡り終えると足立区
ここの一番のウリは松尾芭蕉
奥の細道に出かける出発地点
公園が整備されています。

橋までは弟子たちが見送りに来てくれたけれど
ここからは弟子たちとも別れ、いよいよ旅立ち

行く春や鳥啼き魚の目は涙

春が過ぎ去ろうとしているところに、旅立つ別れを惜しんでいたら、
鳥たちは悲しそうに鳴き、水の中の魚も涙をためているではないか。
より悲しみが沸き上がってくる

こらこら、魚の目の周りは水やないかい
涙は見えんやろう

というツッコミ期待の句ですね
ボケとツッコミの基本が分かってらっしゃる。さすがは芭蕉、とうらなせる句です。


隅田川テラスにも出られました。

下から見ると、さっきの水道橋も大迫力

おおおっ、良いじゃないですか
さっきは邪魔者的言い方してごめんなさい。

千住大橋に関わる色んなエピソードが書いてあって
かなり楽しめました。


例えば大緋鯉の話。

川の主である小さい鯨ほどもある大緋鯉(赤い色のきれいな鯉)がいました。
ずいぶん深いところを泳いでいても良く見えて、みんなに親しまれていました。
ところが大橋を架ける事となり杭を打込み橋脚を作っていくと
脚と脚が狭くて大緋鯉が通れなくなり、巨体がバンバン当たります。
橋奉行は捕獲を指示しますが、ものすごい力なので、網ではどうにも捕まえられません
仕方なく、鳶口を打ち込みましたが、逃げていってしまいました。
しばらく姿を見せませんでしたが
傷が治ったのか、また姿を見せ、暴れるようになりました。

ごめんよ、俺たちが悪かった。

大緋鯉の為に橋脚を一本外したら
うまくそこをするりと抜けて泳ぎ回るようになり
ぶつかることもなくなりました。

潮待ち茶屋というのも面白いです。
満ち潮に変わる時間帯は、下流から上流へと川の水が流れるんですね
その時間に舟を出すと、勝手に何もせずに上流への戻れるから
その時間まで待つ時間潰しのために、茶屋が出来た。

橋戸稲荷神社

私にとっては奇跡とも言うべき事がここで起きます。

案内板に、伊豆長八さんという名人が作った鏝絵(こてえ)があると書いてありました。

鏝絵って過去2回見たことがありますが、漆喰を左官の名人が鏝(こて)一本で絵を書いちゃう。
過去に見たのはお寺の壁面に荒波の絵だった

期待したんだけど、少なくとも前面には、鏝絵はない

神社仏閣は色々回りましたが
「これこれの貴重なものが保管されている」とあっても
外にある石仏石碑だったり墓の類いでない限り、見れることはほぼ無い

そもそも、寺務所や社務所に人はいないし、
住職さんが住まれているんだろうな、という住居のチャイムを押すほどの勇気は出ない。

でも今日は、砂場本店で14代目とお話が出来、気持ちがハイになっている。

最初の写真に写り込んじゃったおじさん
普段着なので、神職の方では無さそうだけど、中の片付けをしていたから
何らかの関係者かもしれないので声をかけてみた。

すみません。鏝絵があると見たんですけど、どの辺にあるんでしょうか

ああ、ハイハイ。裏なんですよね

裏に連れていっていただいた。
鍵のかかった柵で区切られている一画

おかしいなあ

20個くらいの鍵の束が2つ

色々やってみるんだけどどうにも開かない

全部持ってきたんでどれかのはずなんだけど。

ようやく開いて中へ
蔵がある

ええっと、この鍵は、と

どうなってるんだろう、この構造は

とっても古そうなごっつい鍵。
ようやく開いた。

狐の立体的な絵。
はっきり言って、今まで2箇所で見た鏝絵と全然レベルが違う、見事なもの


この母狐の何とも言えない表情

失礼ですが、こちらの住職さんなんですか?

いや、そういうんじゃなくてね
そういう代々の人がいないもんで、僕らが何人かで管理しているっていうか。
ここは滅多に開けないからね。
一年に一回も開けないと思うよ。

一握りの有名な神社仏閣仏閣以外のお寺や神社に共通する深刻な問題。
いくつかのお寺を掛け持ちしたり、
このケースのように氏子の誰かに管理を頼んだり。

20年くらい前になるかなあ
長八さんのお弟子さんの代々の方が来ていただいて、神社に泊まりがけでね
修復してくれたんだよ。
その時は真っ白になってね。
でもだいぶ黒ずんじゃったなあ

もうひとりのおじさんに声をかけてくれた。

僕は何にも分からないから解説したげてくれる?

僕も良くは分からないけど
下から見るらしいんです。

どういうことですか

こうやってひざまづいて拝むものらしいです。
そうすると狐と目が合う。

ひざまづいて見ました。

ほんとですね
目が合いました。
すごいです。


(もう一方は残念。撮影失敗)

あと、ここの線ですけど、洪水でここまで水が浸かったという事のようです。

えっ、そうなの?
僕は66歳だけど、そんな洪水の経験無いなあ

もっと昔は堤防とか無くて、隅田川は結構氾濫してたのかも

少なくとも20年前の修復以降はそんな洪水ないから
その線は修復出来なかったかしなかったか

今後、お弟子さんの連絡先も分からなくなっちゃったから
修復も今後は無理かも。

私はひょっとして、修復以降ほとんど何人かしか見ていないものを今見ているのかも知れない
たまたまおじさんがいてくれて良かった。
声をかけて良かった。
鍵が開いて良かった。

考えられないような確率の奇跡
でも、ウォーキングをずっと続けていると、
そこそこ起きるんだよな、そういうこと

砂場の14代目のご主人といい、
今日は、貴重な貴重な1日

ウォーキングはまだ続きます。
続きは明日ね

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