[人類]11 なぜ3万年前の祖先はそうまでして海を渡ったのか

[人類]1 日本人はどこから来たのか
[人類]2 ホモサピエンスの世界大拡散
[人類]3 なぜ海を渡る?考えても分からん。
[人類]4 草の舟が完成
[人類]5 草の舟はどうだ
[人類]6 竹いかだはどうだ
[人類]7 竹いかだ出発ーっ
[人類]8 最後の選択肢、丸木船は可能か
[人類]9 暗黒のシケた海の上へのメッセージ
[人類]10 もう漕げない
の続きです。
このシリーズでは最終回になります。

海を渡った
分かった事があります。
我々の祖先、ホモサピエンスたちは、地繋ぎではなく、海を渡って日本列島にやって来ていた。

その中で、どうにもこうにも不思議なのが沖縄ルート
3つのルートの中で最も困難
3万5000年前に海を渡って来たのは分かっている
事実は判明しているので、出来るかどうかの検証は不要

どうやって来たのか、と
なぜ来ようと思ったのか

黒潮があるので、単に漂流しては与那国島まで着かないし
男女数人が同時期に来ないと、その後の子孫繁栄は無かった筈
意図して渡ったとしか思えない

海部陽介さんは実験して感じようと思った
結果から言って、極めて困難な挑戦で、その奮闘ぶりは、今までの10回で紹介した通り

丸木舟で何とか成功した中で、海部さんは何を感じたのか
でーこんとしての解釈も加味しつつ見ていきたいと思います。

どうやって
どうやって、に関して、船は丸木舟
いくつか課題は残った。
命がけという意気込みではあっても、本当に死んじゃってはまずいので
伴走船は監視していた。
現代科学でデータは出ているから
黒潮を渡ってしまえば、潮の流れは与那国島に向いているのを知ってしまっていたから
最後に1人以外全員眠るという選択肢を取り得たのかもしれない

黒潮がかなり強い事が分かっていたのでかなり南側からスタートしたが
海部さんは、あとで考えて、出発地点は違っていたかも、と考えている。

島が見えるか見えないかということ
今回のスタート地点だと近くの山に上っても与那国島は見えない
太魯閣だと、山に登ると与那国島が見えるから
あそこに行きたいと思う可能性がある
黒潮に流されても黒潮を渡りきれたあとに、島さえ見えれば、そちらに向かうことが出来る

なぜ
一番知りたかったのが、なぜ渡ろうと思ったのか
それを「感じる」事こそが今回の最大の目的

山の上からは、遠くにうっすらと与那国島の影が見えるだけで
海部さんはその時、あそこに行きたいという感情が生まれなかったという
降りてしまえば島は見えない訳で、そんなところに行きたいと思うのかと。

結局は本人たちに聞いてみなければ正解は分からないが
同じ事をやってみた人間には感じる事が出来る

ひとつ考えられるのは、台湾の方から追われて、仕方なく新天地を目指したという考え
海部さんや漕ぎ手5人は、それは違うと感じている
そんな消極的な理由で行けるほど甘い海路ではなかった
ポジティブな思考を持ち続けられなければ到底達成できないと。

山の上からやっとうっすらと見えるところに
あっちの方が安全だと考えられないだろうし
今の場所にいくらかの問題点があったとしても
比較して今の場所の方が数段安全だろう。

旧石器人の事を間違ってイメージしているのかも知れない
低い生活技術で厳しい自然環境をなんとか生き抜いてきた原始人
単なる先入観ではなかろうか

調べていくと色んな事が分かってきている。
手間のかかる石蒸し焼き料理を楽しみ、釣りをし、ビーズをつけ
旬になるとカニを捕まえに洞窟を訪れる彼ら

海部さんは、山に上って向こうにうっすらと与那国島が見えたとき
特に行きたいとは思わなかったが
ひとつだけ不思議な感覚を持ったらしい
日の出だ
季節によっては、ちょうど与那国島から日が登る

何年も何年もかかった挑戦の中で関係する者に共通して芽生えてきたのが
「面白い」「やってみたい」という感情

ここからは、でーこん的解釈も加味していくが
毎日、セキセイインコを見ていて思うことがある
仕事もなくて、ただ、食事をして糞をして寝るだけで何が面白いんだろうと思うけど
毎日毎日とても楽しそうに見える
壁紙をかじってはがしてみたり、棚の上のぬいぐるみを落としてみたり
彼らにとっての「課題」に一心不乱に取り組んでいる
それ、何の意味があるの?ってことに、そこまで頑張らなくても、ってぐらい頑張る

海部さんは感じた
海を渡ることは、必要がない
台湾の自然は豊富で、何も困らない
いらぬことをやった挑戦者だと

そこに山があるから登る、というような
理屈では説明できない何か

それがいくら困難なことで、命の危険を伴うことであっても
島の向こうの日の出を見たときにビビッと来るものがあったのかも知れない。
ひょっとしたら「遊び」なのかも知れない

貨幣なる極めて便利なものを開発し、生活の山谷を平準化することに成功したけど
その引き換えに金を稼ぐ事が必要になった。
それを「仕事」と呼ぶとすると、ホモサピエンスたちは「仕事」をする必要がない
食料さえ確保してしまえば、あとは全て「遊び」の世界

海岸からは見えなくても、向こうにあるはずの島は、
噂が噂を呼んで尾ひれが付き
女神がいるだの、永遠の命が手に入るだの
ほらを言い合うこと自体が楽しくて
何世代も語り継がれる中で、「真実」になったろう

夢の島へ行くための船は、競い合うように作られ
同じ船に乗る事こそが男女の愛の誓いになったのではないか

[科学]シリーズはこちら(少し下げてね)

[龍馬と女性]楢崎お龍。誠におもしろい女

平井加尾
千葉佐那
に続いて3人目
正妻の楢崎お龍です

お龍
龍馬伝では、真木よう子さんでした

例によってお姉さんの乙女に宛てた手紙の内容を、物語仕立てといたしましょう。

花を活け、香をきき、茶の湯をしたりして豊かな家で暮らしていたお龍の楢崎家

23歳の時、お父さんが病気で亡くなる

私がお母さんや妹弟たちの面倒を見ねば
家屋敷をはじめ道具、自分で着るものなどを売って何とかまかなっていた

しかし、ついにどうしようもなくなり、家族別々に奉公することになった

13歳の妹は器量良し
悪者がこの子をおだてて島原の里へ舞妓として売り、
16歳の妹はだまされて大阪に遊女として売られてしまった。

お龍が気づき、自分の着る物を売り、そのお金を持って大阪へ乗り込む

悪者二人を相手に、刃物を懐にして喧嘩をし、とうとう大口論

悪者は腕の刺青の彫り物を見せながら、乱暴な口調で脅しをかけてきた。
おうおうおう

お龍は飛び掛って悪者の胸倉をつかみ、顔を思い切り殴りつけた
お前がだまして大阪に連れてきた妹を返さなければ、命をもらうぞ。

何だと。女め殺すぞ。

殺すか殺されるかではるばる大阪へ来たんだ。
それは面白い。殺せ殺せ。

さすがにその場で殺す訳にもいかず
とうとう妹を受け出して京都へ帰った

龍馬は乙女姉さんに自慢したかったのでしょう
講談の如く書かれています。
手紙は、こう続きます。

今言った女は誠に面白い女で月琴を弾きます。
私の危うきときに助けてくれたいきさつもあるので、もし命があれば何とかして、
そちらに行かせたいと思っています。

どうぞ、帯か着物かひとつこの女にやって下さいませんか。
この女も内々お願いできればと言っております。

今の女の名は龍といい、私に似ています

「私の危うきときに助けてくれたいきさつ」は、例の寺田屋事件でしょうか

寺田屋事件
今度は、お龍自身の回顧談を元に、寺田屋事件

私は、ちょっといっぱい、とお風呂に入っていました

コツンコツンという音
変だなあ

風呂の外から肩先へ槍が突き出されました
片手で槍を捕らえ、わざと二階へ聞こえるような大声で

女が風呂に入っているのに、槍で突くのは誰だ誰だ

静かにせい。騒ぐと殺すぞ

お前さんに殺される私じゃない

庭へ飛び降りて濡れた肌に袷を一枚ひっかけ
帯をする暇もないから裸足で駆け出す

行く手を塞いだ男が

二階に客がいるに違いない、名前を言え

薩摩の西郷小次郎さんと、一人は今来たので名前は知りません。

裏から二階へ上がれるか

表からお上がりなさい

バタバタと駆けていく男たち
お龍は秘密の裏はしごを上る

捕り手が来ました、ご油断はなりません

よし心得た

命拾いした龍馬。
お龍は命の恩人
なかなかの武勇伝
誠におもしろい女、になるのも分かります。

次回は続き、新婚旅行のエピソードと参りましょう

[歴史]シリーズはこちら(少し下げてね)

[歳時記]6/15 チャグチャグ馬コ

チャグチャグ馬コ


毎年、6月15日に岩手県盛岡市などで行われるチャグチャグ馬コ
馬コと書いて、うまっこ、と読みます。
2001年以降はより多くの人が参加しやすいよう、6月の第2土曜日に開催されている

昭和53(1978)年に国の無形民族文化財に指定されたこの祭りは、
岩手県の初夏の風物詩としてすっかり定着している

滝沢村の蒼前神社に参拝した後、
子どもたちを背中に乗せて、約15キロ離れた盛岡市の盛岡八幡宮をめざして行進する。
江戸時代に南部藩主から拝領した装束で馬を飾り、
豪華さを競い合ったことがきっかけだという

馬に着せる装飾を「小荷駄装束」と呼び、
その装飾には首鎧・耳袋・鼻隠し・吹き流しなどがあります。
カラフルで豪華に着飾った馬の体には沢山の鈴が付いていて、
馬コが歩くたびに「チャグチャグ」と気持ちの良い音が聞こえます。
装束は、各馬主さんによって用意され、1頭あたり200万円以上もの費用がかかっているそうです。

馬は、明治維新後西洋からサラブレッドが入ってくるまでは、小型の馬だった

乗れるのは乗れるけど、どちらかというと、労力
野良仕事で田畑を耕したり
旅に行くときは、人を乗せるというより荷物を乗せるもの
特に、街道ではマナーとして馬には乗らない
生麦事件はそういうことを分からなかった外国人が、
街道で馬に乗っちゃってトラブルになったんじゃないかと思っています。

馬はお友達だから
着飾って、馬を慰労したって事でしょう

[首相]22-2 戦争について

首相シリーズが林銑十郎が終わり、次は近衛文麿
この首相の時、日中戦争が始まる

ここで、戦争について考えてみたい。

戦争について
好き嫌いで言って、私は戦争が嫌いだ
好きな人はあまりいないとは思うが、
「嫌い」の程度は色々あると思う。

防衛や抑止力としての軍備も一切持つべきではない、と考えているので
世間一般では少数派だと思う。

今までブログでその辺の事は、ちゃんと言ったことがないと思う。
敢えて避けて来たから。

この話題で議論したくないんです。
ある程度の防衛力は持つべしと考えるのが多数派だとも思うし
人それぞれ意見は違って良いと思うから、論破しようとも思わない。
私の考えは、「一切持たない」だというだけ。

首相シリーズを始めるに当たって随分迷いました。
当然、話は戦争に向かっていく訳です。
戦争は暗い。暗い話は嫌い。
日本の歴史の中で、江戸時代が一番好きなのは平和な時代だから。
文明開化が次に好きなのはワクワクするから

何度か言っていますが
私はこの年になって、べき論で生きることをやめた
正しい生き方をしている人について、立派だとは思うが
私は「楽しい生き方」に集中したいと思う。
その内何とかなるだろう、という生き方

それからすると、嫌いな戦争に距離を置いて、考えないようにするというのも
でーこんとしての生き方として悪くない。

でも、首相シリーズをやっていく中で気づいてきた
私はあまりにも何も知らない。
少数派の考えを持つにするとあまりにも論拠が薄い
単純に嫌いだという気分の問題だけ。

でーこんさんは、よく色んな事をご存知ですねとコメントいただける事があって
とても嬉しいし、誉められるの大好きなので、いえいえ、って感じの謙遜はしていない
でも、ここだけの話、事実は違う。
何も知らない。
ブログを書くために一生懸命本を読み、自分なりにそしゃくして書いているだけ。
(内緒ね)

特に首相シリーズは、ほんとに知らなかったなと言うことばかり
こりゃいくらなんでも、もうちょっと分かっていないと、と思った。

謎が解決するどころか深まるばかり。
人を殺しちゃだめ、ってあまりにも分かりやすい単純な事が
国全体として分からなくなっちゃうのか。

犬養毅の暗殺なんて、だめに決まっているのに
世論はむしろ犯人に同情的だった

陸軍が突き進んでと思っていたら
どうもそれだけじゃなく、世論なんじゃないか
分からないと知りたくなる。

暗い時代だと思ってきたけど
それについてもひょっとしたら?と思い出した。
ドラマとかでこの時代を扱うと悲劇になるけど
この時代だって、恋はしているし
子供たちははしゃいでいたろう。
流行ったギャグとかあったりして

ああ、やっぱり知りたい
距離を置くのはやめることにしました。

[首相]シリーズはこちら(少し下げてね)