[昭和歌謡]60 狙いうち。ウララウララ~

昭和ヒット曲全147曲の真実シリーズです

狙いうち
山本リンダ
作詞 阿久悠 作曲 都倉俊一
1973年

♪ウララ ウララ ウラウラで
ウララ ウララ ウラウラよ
ウララ ウララ ウラウラの
この世は私のためにある

ビックリしましたね
どうにもとまらない

こまっちゃうナ

何言うてんねん、とツッコミを入れたくなるほどの歌を歌っていたのにね

イメージチェンジは徹底的に行うべし
のバイブルですね

へそ出すとは

ありがとうございます。です

この歌が来たとき、ようやくイメージを変えられると大喜びの彼女
でも、実際に始まると
求められるイメージは思っていた以上で
コテンパン

もっと、怒って歌うんだよ

それが、彼女はとても嬉しかったと言います。

へそを出すのは、彼女自身の提案。

当然発表するや否や、日本国中が驚いて
大ヒット

よし、続けとばかりに、「狂わせたいの」
ぼやぼやしてたら 私は 誰かのいい子に なっちゃうよ…

じんじんさせて

阿久悠、都倉俊一の黄金コンビでガンガン行きます。

空前のリンダブームが起き
ちびまるこちゃんも大喜び

子供って、真似してたら大人に怒られるかも、的ギリギリのところにワクワクします。

でも、さすがに飽きられるんじゃないのと思っていたとき
後に、スタンダードナンバーとなる、この曲が生まれる訳です。

甲子園の応援ブラスバンドは、ピンクレディのサウスポーと並んで
狙いうちが採用率で常にトップクラス。

プロ野球でも、応援歌やチャンステーマとして数々採用される

野球好きな人の中では、脳に刷り込まれたメロディとなった。

都倉俊一が曲を阿久悠に渡すとき
ウダダウダダウダウダダ
と鼻唄も吹き込んで入れた。

疲れていたんでしょうか
良い歌詞が浮かばず
ラララララララララララ
という歌詞で始めちゃったんだけど

やっぱりインパクト弱いなあ
あっそうだ
都倉さんの、そのまま採用しちゃえ

出来た作品を聞いて、都倉俊一はびっくり

こらーっ
ちゃんと仕事せえ

どうせそのままなんだったら
ウダダでしょう!

この時の一連のリンダブームの感覚。
黄金コンビにより
ピンクレディへと受け継がれていきます。

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キンモクセイ

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[昭和歌謡]59 さそり座の女

昭和ヒット曲全147曲の真実シリーズです。

さそり座の女
美川憲一
作詞 斎藤律子 作曲 中川博之
1972年

♪いいえ私は さそり座の女
お気のすむまで 笑うがいいわ
あなたは遊びの つもりでも
地獄の底まで 付いていく
思い込んだら 命命命がけよ
そうよ私は さそり座の女
さそりの星は 一途な星よ

作詞、斎藤律子さんはプロの作詞家ではない。
主婦
昔、横浜にあったバンドホテルの社長夫人です。

恵まれた生活をしていた時、
モテモテのご主人が、遊んだ女性の話を冗談で笑いながら話しているのを聞いて

冗談じゃないわ、このバカ旦那
今に痛い目見るわよ
と、相手の女性の立場に立って、作った歌詞

恐ろしいですね。

そのあと、ホテルは潰れちゃって、収入は無くなっちゃうんだけど
この歌の印税で暮らしが成り立ったらしい。

さあ、旦那さんは、奥さんに何て言ったんでしょうね。

美川憲一
美川憲一は全てこの歌のお陰ですよね

柳ヶ瀬ブルースが大ヒットして以来
釧路の夜等、ヒットは続くんだけど
それほど、印象には残っていません

さそり座の女、で見事カムバックという感じかと思うと
数字的には、柳ヶ瀬ブルースや釧路の夜とかの時に比べるとそれほどでもない。

なのに、なぜ、美川憲一イコールさそり座の女、ってイメージかというと
約20年後、コロッケのモノマネによります。
コロッケに助けられた人は随分いますね。

それからは、元々持っていた強烈な個性が
バラエティの中で、強烈なオバサン?キャラとして確立したんでしょうね

さそり座の女が無く、柳ヶ瀬ブルースだけだったら
コロッケはモノマネしなかったでしょう。

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ピンポンマム

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[昭和歌謡]58 そして、神戸

昭和ヒット曲全147曲の真実シリーズです。

そして、神戸
内山田洋とクールファイブ
作詞 千家和也 作曲 浜圭介
1972年

♪パパーヤー
神戸~ 泣いてどうなるのか
捨てられたわが身が みじめになるだけ

出ました。
わが兵庫県の代表ソングでございます。

どうだっ、て感じの王道ですね
パパーヤーがまた良い

改めて神戸ってブランドだなあと思います。

震災でどうなるんだろうと思ったけど
ブランドとしての価値は何ら変わりない

神戸~ 泣いてどうなるのか
という歌詞は、
震災後、歌う前川清としてはキツくて
しばらく封印していたらしいんだけど
いやあ、逆にそのままじゃないでしょうか
予感していたかのごとき歌詞

関西人を甘く見てもらっちゃ困る

泣いてどうなるのか
そうやそうや、どないもならん
前向くだけじゃあ

神戸震災記念館に行って気づいたのは
防災も大事だけど、復興の方がもっと大事
瓦礫の中に立つ木に、花が咲いていて
「それでも花は咲く」と貼り紙がしてあったのが、強烈に印象に残っている

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鑑賞用トウガラシ

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[昭和歌謡]57 喝采

昭和ヒット曲全147曲の真実シリーズです

喝采
ちあきなおみ
作詞 吉田旺 作曲 中村泰士
1972年

♪いつものように幕が開き
恋の歌うたう私に
届いた報せは
黒い縁取りがありました。

出ましたね、喝采。
レコード大賞取りましたね
今も思い出せます。
レコード大賞は・・・・喝采

リリース後、わずか3ヵ月の大賞受賞は最短記録だった。
あの時期が、レコード大賞というイベントが一番盛り上がっていた頃かも知れません。

ちあきなおみは、21歳の時レコードデビュー
それなりの注目は浴びたものの、ヒットしたとは言いがたい。

デビューからの3曲の作詞を担当したのが吉田旺

その後、3年ほど、ちあきとは離れていた。

ちあきから、吉田に曲の依頼があった。
吉田は、その依頼に特別なものを感じる

調べると、その後の彼女の歌の売上は下降線を辿っていた。

特別な思いで作った曲
デビューからすると、実に12曲目になっていた。

売れなかった。
禁じられた恋の島

応えられなかった。

吉田としてもこれでは終われない。
他の仕事はそっちのけになった。

何曲も何曲も、彼女のためだけに詞を書いた。

違う。売り方が違う。
彼女はアイドルではない
並外れた歌唱力、表現力に合うストーリーが必要。

練りに練ってストーリーができる。

歌手を目指した若者が恋人を残して上京
その恋人が亡くなったとの報せを受ける

受け取ったちあきは愕然とする
これは・・

鍵を開けないといけない
強く閉じた鍵

レコードデビュー前の下積み時代
彼女には兄のように慕った人物がいた

ところが突然病に倒れ、この世を去ってしまう。

忘れるためにずいぶんの箱を用意し
鍵をかけては、また次の箱に入れる。

吉田は知る由もない、全くの偶然。

歌えません。

ずいぶんの葛藤があった

レコーディングの時は、黒いカーテンで中を見られないようにしてもらって
裸足で挑むことになる

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ルリマツリ

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