[神社] 八幡神こそが最強の神様

今まで、神社シリーズで、「古事記」「日本書紀」で登場する神様を紹介してきましたが
このあとは、それ以外の神様を紹介して参りましょう

となると、まずは八幡神
日本の神様がなぜ一神教と比較して八百万(やおよろず)の神様と言われるかというと
「古事記」「日本書紀」に多くの神様が出てくるからではない
「古事記」「日本書紀」以外にもいっぱい神様がいるから

「古事記」「日本書紀」を編纂させた持統天皇は
天照大御神(アマテラスオオミカミ)をトップにおいて、ピラミッド型のヒエラルキーを考えたのかも知れない
ところが、その意図は実現出来なかった

八幡神がいたからです

八幡神は、「古事記」「日本書紀」には登場しない
アマテラスオオミカミからの神様の体系には属さない
「古事記」「日本書紀」に出てくる神様の名前は全員「ン」がつかないけど
八幡神は「ン」がついているというところからも分かる

残念ですが、天照大御神をトップとしたアマテラスファミリーの神々は
日本の政治に何ら影響を与えなかった。
伊勢神宮で静かにしていただけ。

それに比べて、八幡神は、平安時代から、江戸時代に至るまで
八幡神は、どの時代でも、日本の政治に影響を与え続けた
言い方を変えると、それぞれの時代の権力者たちは
八幡神を利用した
自分が何かを成し遂げたいとき、八幡神のお告げがあったと言うことにした

元々は、九州大分県に移り住んだ渡来人たちの氏神様だった
宇佐八幡の始まり
鉄を作る技術を持っていたから、武力的にも経済的にも力を持っていった

仏教が伝来したとき、積極的に仏教を取り入れる

聖武天皇が奈良の大仏を作るとき、
九州から出てきて、資金提供をかって出る
神様と仏様を合体させた
神仏習合の象徴となる

天皇家と強く結び付き
なんと、八幡神社は、応神天皇を祀る神社ということになる

となると、天皇家は、天照大御神を横に置いておいて
八幡神こそがわが天皇家の守り神だという言い方をするようになる
天皇家の神事は、ことごとく八幡神が中心に回っていく

岩清水八幡神社という京都での拠点を確立する

そしていよいよ宇佐八幡宮神託事件が起きる
称徳天皇は女性天皇なんですが、彼氏が道鏡というお坊さん
なんと、八幡神から次期天皇は道鏡にすべしというお告げがあったと称徳天皇が言い張った
結局は失敗に終わったんだけど、これが成功していたら
天皇以外の人物が天皇になったことになる

岩清水八幡神社で産湯を使い
八幡神を強く信仰したのが源義家
八幡太郎義家と呼ばれます

その子孫の源頼朝が鎌倉幕府を開く
鎌倉は、八幡太郎義家に象徴される八幡神社を中心にした首都造り
宇佐八幡、岩清水八幡、に続く関東での拠点、鶴岡八幡宮です
公家の世から武士の世に変えるにあたり
天皇の神様を自分の神様ともすることで
抵抗感を減らそうとしたのかも知れない

以降、室町時代、江戸時代と変わっていっても
常に権力者たちは、八幡神を掲げていた

よって、八幡神社は全国津々浦々に作られ
日本で一番多い神社となった

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[首相]47 宇野宗佑。短命内閣

首相シリーズ

宇野宗佑

うーん、どう表現すれば良いのでしょうか

消費税導入を果たした竹下登内閣は、リクルート事件で1989年(平成1)に退陣を余儀なくされる。ポスト竹下の有力候補として白羽の矢が立ったのは、伊東正義元外務大臣だった。
だが伊東は、「表紙が変わっても、中身が変わらなければだめだ」と固辞。

緊急避難的に竹下総理が後継竹下総理指名したのが、中曽根康弘派の宇野宗佑外相である。
派閥リーダーではない自由民主党総裁は初だった。
宇野ははじめて閣僚と政務次官の資産公開を妻子を含めて行ない、
政界浄化をアピール。
だが、急ごしらえの政権のあらはすぐに露呈する。
宇野が芸者に手切れ金を払おうとして断わられたというスキャンダルを、
同年6月の総理就任後まもなく週刊誌が暴露。

宇野新内閣は発足直後から失速した。
そのまま7月に参議院選挙に突入したため、
総理に遊説を依頼する候補もいないありさまだった。

結果は自民党36議席(改選前は60議席)と予想以上の惨敗に終わる。
消費税導入とリクルート事件、農業問題の3点セットと、
総理の女性スキャンダルが敗因だった。
いっぽうの社会党は46議席と大勝し、
土井たか子委員長は「山が動いた」。
責任を取って宇野は退陣。
宇野の在職60日は、史上4番めに短い
(東久邇稔彦、羽田孜、石橋湛山に次ぐ)。
逆に以外
私はてっきり、最短だと思っていた

教養人
総理になったくらいの人だから、良いところも見なきゃね

宇野は文人として知られ、俳人協会から『宇野黎子句集』を出す。
また、シベリア抑留記『ダモイ・トウキョウ』を書き、
1977年(昭和52)に、「私はシベリアの捕虜だった」の題名で映画化された。
ピアノ、ハーモニカ、絵画にも長じ、
「総理にさえならなければ、深い教養をもった政治家として尊敬されて終わっただろう」(評論家・渡部昇一)といわれた。

[旅行] 全国陶磁器巡り。六古窯その2

[旅行] 全国温泉巡り。東日本編
[旅行] 全国温泉巡り。中部西日本編
[旅行] 全国渓谷巡り。東日本編
[旅行] 全国渓谷巡り。中部近畿編
[旅行] 全国渓谷巡り。中国四国九州編
[旅行] 全国城巡り。国宝重要文化財編
[旅行] 全国城巡り。国宝重要文化財以外
[旅行] 全国洞窟巡り。
[旅行] 全国海岸巡り。西日本編
[旅行] 全国滝巡り。東日本編
[旅行] 全国滝巡り。西日本編
[旅行] 全国陶磁器巡り。六古窯その1

六古窯(ろっこよう)の残りの産地に詣りましょう

越前焼
福井県です

常滑焼の影響を強く受ける
同じく鉄分を強く含んだ粘土が取れたので、赤っぽく丈夫で、大型の製品が多い
最初は、常滑焼同様に釉(うわぐすり)を使わなかったが、
途中から灰を使った灰釉陶器(かいゆうとうき)も作るようになっていきます

六古窯のうち、唯一日本海側
越前の港から日本海側の全国各地に広く流通したので、越前焼は有名になっていきます

信楽焼
滋賀県です。滋賀なのでしがらき焼と覚えましょう

こちらも常滑焼から技術を教授してもらったので、
最初は大型の製品で無釉
その後、作れるものは何でも作るという積極性で建築用のタイルに至るまで幅広い製品を作っていく

代名詞ともいえる“たぬきの置物”が誕生したのは1951年。
昭和天皇の信楽行幸にて、主力商品である火鉢を積み上げてアーチをつくり、
信楽たぬきに日の丸の旗を持たせて並べ奉迎した。

それを見た昭和天皇は喜ばれ
「おさなとき あつめしからに なつかしも しがらきやきのたぬきをみれば」
と歌に詠まれました。これを機に全国で人気となります。

1970年に開催された大阪万国博覧会のモニュメント
「太陽の塔」の背面にある直径約8メートルの「黒い太陽」は、
信楽の当時の技術を駆使して制作されたものです

丹波焼
わが兵庫県。丹波篠山です

一貫して、素朴な風合いの製品を作り続けている

江戸時代には朝鮮式半地上の登り窯が導入され、
短い焼成時間で大量生産が可能になります
丹波立杭焼の特徴は、「灰被り(はいかぶり)」という独特の色と模様です。
登り窯で最高温度約1,300度の高温のなか約60時間焼かれるため、
焼成時にかかった灰と、土に含まれる鉄分や釉薬と化合され、
独特の模様が現れます。
炎の当たり方や灰のかかり方によって、
ひとつひとつ異なった表情が生み出される。
日本六古窯の多くが右回りのろくろで作られるのに対し、
丹波立杭焼は日本では珍しい左回転ロクロ「蹴りロクロ」と呼ばれる
独特の伝統技術で作られています

備前焼
岡山県です

備前焼の起源は、古墳時代の須恵器にあると言われています。
須恵器の生産が終わる平安時代後期に生活用器の椀、皿、瓦などが生産されたのが始まりです。

鎌倉時代の中期、主に壺。甕・すり鉢が作られるようになります。
備前焼特有の赤褐色の焼き物も作られるようになっていきたのもこの時代からです。
室町時代は最も広範に備前焼が使われ、南・北・西に本格的大規模な共同窯が築かれます。

江戸時代になると藩の保護・統制もあり小さい窯が統合され、大きな共同窯が築かれました。
共同窯は窯元六姓(木村・森・頓宮・寺見・大饗・金重) による製造体制が整えられます。

六古窯以外にも、有名な産地がいっぱい
そもそも、全国の陶磁器の半分以上を占める美濃焼は六古窯に含まれていません

次回は美濃焼をはじめとした六古窯以外の陶器と、磁器の産地を紹介していきます

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[添乗員] バス研修。厳しくも楽しい

今日はいよいよ、添乗員のバス研修
静岡に向かいます

やはり実際に添乗員デビューすることが大前提での研修だけあって
講師の先生もかなり厳しい

先日足が震えた朝の最初の挨拶では、足が震えることはなくなったものの
言うべきことが2つもすっ飛んだ

ただ、それで終わりにならない
再度やり直しが回ってきた
今度はなんとかこなせる

やはり繰り返していくと、1回目より2回目の方が良くなる

最後の挨拶もほぼ同じで、最初は言うべきことがすっ飛んだけど、2回目は全部言えた

本当の添乗員デビューの時は、この添乗員は新人で覚えたてのを言っているなとさとられないよう
堂々と話せるまで練習しよう

まだまだではあるものの、結局は気持ちの中の余裕があるかないかだと言うことが分かってきた
「いけそう」という感じがしてきた

やることが満載で、仕事としての大変さはひしひしと感じたものの
一方で
とは言っても「楽しい」仕事であることは変わりないと思った
講師の先生から楽しんでいる余裕はないんだからね、と言われるので
ここだけの話なんだけど
楽しいものは楽しい

職業に貴賎なしと思うので
どんな仕事であれ、就いた仕事は何であれ天職だと思いつつ生きてきた
ただ、自分が選べる仕事なのであれば、楽しいにこしたことはない
増してや、人生の中で最後の仕事
最後の仕事は自分が最高に「楽しい」と思えるものにしたいと
準備を重ねて取りにいった職業

仕事としてやるべきことはきっちりやるとしても
内心は目一杯楽しんじゃおうと思っている

柿田川公園というところに行った
沼津にある富士山からの伏流水が大量にこんこんと湧き出る場所
ここからの大量の湧き水だけで、日本一短い、柿田川という一級河川が出来ちゃうというほどのもの
日本一短いのに、あの長良川や四万十川とともに日本三大清流に選ばれているんです

第二展望台のところにある、パワースポットと言われている湧き水の場所をみた

事前にきれいな写真を見たとき、ああ、清正の井戸みたいな感じかなと思った
明治神宮の中にあるパワースポットに良く似ている

実際の湧き水を見て度肝を抜かれた
写真の限界なんですよね
どうしても、写真って画像を目一杯入れようとするから
大きさが全く分からなくなる
なんと、清正の井戸の10倍もあるどでかいもので
湧き水の量がものすごい
写真じゃなく、行かなきゃすごさが全く分からない場所の典型だと思った

ああ、行って見て良かった
私は、東京を2900箇所も歩いて、東京の素晴らしさに誇りを持っているから
無理してお金を使って全国に行かなくても、
少ない交通費だけでいくらでも良い場所があるんだと思ってきたし、
今もその考えは変わっていない

だから、添乗員を目指さなければ柿田川公園には一生行かなかったと思う

それで東京の良さが微塵も変わるものではなく
どーんと私の中の「楽しいジャンル」が追加された

正直、東京以外は、お金も時間もないので添乗員を仕事としない限り、
私には行けないところだったと思う

さあ、明日からもっと厳しい2日間が始まります
見事な湧き水の思い出を胸に、やりきることにいたしましょう

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