2025年でーこんの今年の3大ニュース

2024年でーこんの今年の3大ニュース

毎年、年末はこの話題

今年は圧倒的にこれ

1.添乗始まる
添乗に明け暮れた1年でした
本業のITに勤めつつの添乗
異常に忙しかった
そのため、ブログもかなり休み休みになっちゃいました。ごめんなさい
添乗についてブログに上げちゃいけないという決めごとがあるので
具体的な1つ1つの添乗のレポートを上げられていませんが
実はかなりの数、添乗に行っています
なんと44回
行った目的地の数でいうと、111箇所です


つくづく、頑張って旅行業界にチャレンジして、本当に良かった
楽しいのなんの
ウォーキングイベント終わるたびに、得も言われぬ幸福感に見舞われるのですが、
添乗でも同じ感覚になります
ああ幸せ

本業のIT業界の仕事は派遣なので、年齢からして今のプロジェクトが終わればおそらく終了
前から分かっていたので、社労士試験とかにも挑戦して
IT業界が終わっても食っていけるよう、頑張ったけど
社労士試験は難しすぎた
結果的には、社労士より、旅行業界にして本当に良かった
ほぼ確実に、来年はIT業界終了が現実になります
なんとか間に合った

2.長女、孫を懐妊
ああ、良かった
やっぱりあんなことがあると、長女が可哀想すぎて。

ずっと孫がほしくて、前回は嬉しくて、はしゃいじゃったけど
今は、孫より長女のこと
ほぼ動かず、いっぱい管に繋がれていた孫だったけど
夫婦とも、ほんとに可愛がっていた
遺骨をちっちゃな卵型の遺骨ケースに入れて持ち歩いている
すごく明るい娘だから
自然にそうしているんだけど
次のステージに移してあげたかった

もう大丈夫
1月末出産予定

3.英検3級合格、TOEIC355点
例年なら、これが筆頭なんでしょうけどね
頑張ったなあ
でも、なんだか昔の事のよう
今、英語とは無縁の毎日に戻っちゃいました
人生造りの一環でいっぱい模索した中でのひとつ
添乗という道が見つかったので良しとしましょう
英語の勉強は楽しかったので、悔いなし

いつものように、去年までの三大ニュースも掲載します
今年で12個目なんだなあ
十二支を一回りってこと
日本の歴史、大好きだけど
でーこんの歴史を作り、記録していっている

2024年私の三大ニュース
1.旅行業務取扱管理者に合格、旅行業界へ
2.孫が亡くなった。次女が北海道に移住
3.鼠径ヘルニアの手術成功

2023年私の三大ニュース
1.長女に孫誕生
2.社労士試験に不合格で断念
3.長女夫婦大阪へ。次女が一旦戻ってくる

2022年私の三大ニュース
1.社会保険労務士試験、挑戦初年度、結果は残念
2.コロナにかかった
3.むぎちゃん来る

2021年私の三大ニュース
1.歴史検定日本史2級合格
2.次女が帰ってきた
3.東京都全市町村踏破

2020年私の三大ニュース
1.長女が結婚
2.次女が独り暮らし
3.ウォーキングした場所1800箇所を超える

2019年私の三大ニュース
1.くうちゃん、危篤も一旦治る。でもその後、亡くなる。おこめちゃんが来る。
2.花カレンダー、新江戸百景巡りコンプリート。玉川上水完歩
3.家族で北海道旅行

2018年私の三大ニュース
1.江戸検定2級合格
2.キャベちゃんがくる
3.シリーズあれこれや花カレンダー等の企画を始める

2017年私の三大ニュース
1.長女が戻ってきて4人暮らし
2.くうちゃんが卵を生んだ
3.ウォーキングで東京23区制覇

2016年私の三大ニュース
1.次女の就職
2.シャケちゃんがくる
3.とんがりさん終了

2015年私の三大ニュース
1.ウォーキング同好会開始
2.長女の就職
3.くうちゃん来る。その後、海ちゃんも。

2014年私の三大ニュース
1.ブログ開始
2.18kgダイエット
3.ノンプログラミング終了

それでは、みなさま、良いお年をお迎え下さい

掘割を巡ってきました、の続き

掘割を辿ってきました
の続きです

関東大震災の後の復興事業で、楓川と築地川を連絡させるための運河が掘られたと言いましたね
三吉橋
そのつなぎ目に三吉橋という、三叉路の橋がかけられた

当時の写真がこちら

今は運河が埋め立てられて高速道路になっていますが、ほぼイメージがそのまま

関東大震災前の地図だとこうですが

その後の昭和初期の地図ではこうなっています

この2つの地図は、東京時空地図というアプリです

今度は八丁堀の堀割跡を確認しに行きましょう
この右側の建物が八丁堀でした


江戸時代は、八丁堀には、与力や同心といった、今で言う警察官が住んでいました

北側の今の茅場町のあたりまでで、地図で「カ」となっているのが与力の住んでいた場所です

アプリ時空地図には航空写真もあるのですが
八丁堀や築地川が、ちょうど埋め立てられようとしている経緯がよく分かります

中央区郷土資料館
八丁堀埋め立ての土地に、令和4年12月に、京橋図書館と中央区郷土資料館がオープンしました
前明石町にあった中央区郷土資料館が移設したとのことです
行ってみたかったので行きましょう

うーん
以前がいっぱい展示物があって充実していただけに
あらま、中央区ともあろうものがどうしちゃったの?感
いっぱいタッチするといろんな資料が出てくるのは分かるんだけど
郷土資料館は実物をいっぱい置いてほしいなあ

良かったのが、面白そうな資料が購入できたこと

文化財マップはかなり充実していて、中央区を今後歩くにはかなり長く困らない

「まちかど展示館」という取り組みの存在が分かったのが大きな収穫
墨田区でも積極的に推進している取り組みで
区内の老舗の伝統工芸的なものを扱っている商店や工場や問屋さんなどに、展示をしてもらって、区がバックアップするというもの
色々面白いものがあるので回ってみたい

まだまだ続きます
続きはまた

[お出かけ]シリーズはこちら(少し下げてね)

掘割を辿ってきました

「川と掘割20の跡を辿る江戸東京歴史散歩」という本を読みました

徳川家康が江戸に幕府を開いたあと、どういう考え方で江戸の都市計画を行い
江戸から東京になってどう変わっていったか
その跡地を巡りながら考えましょうという何とも魅力的な企画の本

舟運から埋立へ
家康が目指した江戸の都市計画の考え方は「水の都」
江戸中に運河を張り巡らせて、舟での輸送を容易にして経済を活発化させよう

でも、それがこの令和の時代まで続くわけではなく
運河は埋め立てられて道路になり
舟運は道路と鉄道の輸送に取り変わっていく

よしっ、私もこの足で確認しようじゃありませんか
今日は、この赤線で囲われた部分を歩きました

まずは、銀座一丁目駅から歩くことにしましょう
江戸の街は、下町と言われる部分は埋め立てられて出来上がった部分が多い
埋め立てるにしても、間をちょっと開けて、運河にしておいた上で埋め立てていく

歩きつつ今の場所が江戸時代にはどうだったろうと知りたい時の強力なアプリが、大江戸今昔巡り
江戸時代の地図と現在の地図がオーバーラップして見れる

まずはこの右側のビルになっているところ

江戸時代には三十三間堀(さんじゅうさんけんぼり)だったところを埋め立てた

幅はちょうどビルの幅が、三十三間堀の幅

地図でいうと上側の楓川(かえでがわ)から
クイッとL字に曲がる辺りは、今埋め立てられた跡に、京橋公園が出来ている

いつ埋め立てられたかというと、関東大震災の跡、瓦礫が大量に出て、処分する場所がなくて困ったから
それが分かるこんな看板もあった

青丸のところが京橋公園

そのもう少し上、京橋川は、埋め立てられて、高速道路になっている

面白いのは、南北に伸びる高速道路が真っ直ぐなこと
江戸時代の掘割がそのまま、埋め立てられて高速道路になったとすると、間がちょっと足りない
楓川はその下の三十三間堀にクイッと曲がって繋がるのであって
下の築地川とは繋がっていない
実は、関東大震災の跡、楓川と築地川を連絡するための運河が新たに開削されている
江戸時代には舟運が重要視されていたから、運河をいっぱい掘る必要があったけど
明治時代に、馬車や路面電車が出てきて、道路が重要になってくる
さらに鉄道が敷かれていくから
運河は重要視されなくなっていくだろう
関東大震災のあとは、復興事業として、運河は埋め立てられて、道路に変わっていくのだろう
と思いきや
半分あっていて、半分間違っている
関東大震災の災害時には道路や路面電車はほとんど役に立たなかった
むしろ、運河の船の方が役に立った
更にいうと、この頃の船は、江戸時代とは違って、動力が付くようになっているから
早いし、多くの荷物を運べると、再評価されている
楓川と築地川を連絡するための運河を作り、水上バス網を構築していく

赤い印をつけたのは、関東大震災後に新たに開削された運河

まだまだ続きまして話が長くなりますので一旦区切ります
続きは明日

[お出かけ]シリーズはこちら(少し下げてね)

[織田信長]11 石山本願寺、松永久秀との戦い

[織田信長]1 まむし殿の娘、濃姫
[織田信長]2 二人だけの時間では
[織田信長]3 美濃はそなたに差し上げる
[織田信長]4 血戦桶狭間
[織田信長]5 天下をお取りになるまでは
[織田信長]6 上洛の大義名分
[織田信長]7 義昭を将軍に
[織田信長]8 姉川の戦い
[織田信長]9 武田信玄西上
[織田信長]10 長篠の戦い
の続きです

石山本願寺
一向宗(浄土真宗)の本拠地、石山本願寺は当時強大な軍事力を誇っていた
歴史を読んでいて、これが感覚として分かりづらいところです
戦国大名たちが領土を取り合って戦うのは分かるとして
なんでまた、寺がそこに関わるの?と思うのですが
何度も出てくる石山本願寺は、戦国大名だと考えた方が良い気がします

石山本願寺のある場所は、今の大阪城がある場所
八町四方の城郭で、柵逆茂木を五重につけ、
その内に広さ五間ばかりの空堀を深くうがち、その後にまた総堀を構え、
櫓々に鉄砲を配し、諸門を固く守って、正しく難攻不落であった
この後、石山城と表現することにします

信長が最も苦戦した敵は、まさしくこの石山本願寺

石山城はあまりにも堅牢なので、信長は兵糧攻めにする作戦をとる
本願寺側は、急使を毛利氏に送り、援兵と兵粮とを至急送ってくれるように頼む
毛利は強大。中国地方はほぼ毛利の手中にある
毛利としても、石山城が落ちれば、信長が次にこちらに来るのはわかっている
何とか本願寺に頑張ってもらわなきゃいけない
石山城は一面が海に面しているから、織田勢が周りを囲むには、船を配備

毛利は超優秀な水軍を持っている
水の上なら任しとけ
水軍素人の織田勢は阻止できなかった
毛利方は、運んできた兵粮の凡てを、石山城内に入れることに成功した

とすると、
兵糧攻め作戦自体が意味を無くしてしまった
かと言って、総攻撃をかけようにも城が強固すぎる
ただ囲んでいるだけで、いたずらに時が過ぎていくのみ

松永久秀
かつて強大な勢力を誇った三好氏の家臣だった松永久秀
三好長慶の息子義興が病死し、お世継ぎがいなくなる
仕方ないので養子義継を迎えるが、幼かったがゆえ
松永久秀が義継をうまく使い、三好内で欲しいがままに権力を奮い
近畿では最大の大名となる
それでも、信長には到底かなわないと
早い段階で、信長に数々の贈り物を届け、傘下に入る

それなりに、織田連合の中で活躍し地位を確立していく
ただ、残念ながら、人望も無く器が小さかったので
たびたび信長に罵声を浴びせられたりもする

石山本願寺が膠着状態にあることを好機と考え
松永久秀が反乱に転じた
信長が北陸に出兵中に兵を上げる
信長の嫡子信忠が将となり、佐久間、丹羽、羽柴、明智等が征伐隊に加わる
石山本願寺と連絡を取り、同様の籠城作戦
第二の石山城となり強固な防御

包囲網も2つに分かれざるを得ず、持久戦がさらに長引くと思われた

ある夜、一人の男が城を抜け出し石山本願寺等に援軍を求めようとする
ところが暗闇で道に迷い、気がつけば佐久間信盛の陣地に紛れ込んでしまった
たちまち捕らえられ、拷問を受け、合言葉を白状した

〇〇〇、第一陣の援軍到着いたしました
城兵は喜んで受け入れる

城門に向かって突進し、中から門をこじ開ける
なだれ込む包囲陣
勝負あり

松永久秀は燃えさかる天守閣の中で自刃した

続きはシリーズの次回

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