掘割を辿ってきました
掘割を巡ってきました、の続き
の続きです
伊勢神宮で割込みを入れちゃいましたが、掘割巡りにはまだ続きがあります
伊勢神宮にも続きがあるものの、掘割を一旦続きを書いて、その後また伊勢神宮に戻ります
桜川公園
八丁堀は途中で桜川と名前を変えます
それが埋め立てられた跡は桜川公園

八丁堀(桜川)だったという案内板

さらにその右隣りは桜橋第二ポンプ所

ポンプ所って何かというと、以前お話しましたが、川ってどんどん底に土が溜まっていって川底が高くなってしまう。
そうすると溢れて洪水になる危険性が高まるから、堤防をどんどん高くする
って事で、現代の下流の川は周りの土地より高い所を流れるという宿命を持っています
ここでいうと隣の亀島川や隅田川
そうなると、降った雨は自然には川に流れ込まず、常にポンプで川まで持ち上げて流す必要があるのです
マンホールの蓋を見ると雨水と書いてあるのと汚水と書いてあるのがあります
雨水は雨水が流れる下水管です。汚水はトイレとか台所からの生活排水。
雨水の方は浄水場に行かずにそのまま川に流せますので、
こういったポンプ所に集まります
ポンプ所の屋上は公園になっています

鉄砲洲稲荷神社
鉄砲洲稲荷神社には富士塚があるのですが、
あらゆる富士塚の中で3番目に古い由緒正しいもの

ただ、あれれ?
江戸時代の地図の富士山の場所と違うけど。。

そうなんです
明治7年に区画整理で鉄砲洲稲荷神社が今の場所に移った時、一緒に富士塚も移動しました


ちゃんと登れて、上から見下ろすとちょっと怖い

亀島川

■南高橋(みなみたかはし)
関東大震災の後の復興でかけられた橋
両国橋が震災で損傷。損傷していない部分をこっちに持ってきてかけた
都内の鋼鉄トラス橋としては、八幡橋に次いで2番目に古い

霊岸島
寛永元(1624)年、霊巌雄誉上人が、
元は低湿地だった場所を埋め立てて霊巌寺を建てたことから「霊岸島」と名付けられる。
でも、明暦の大火後、霊巌寺は深川に移転してしまう

ここには、越前福井藩の広大な下屋敷があり、その周りに堀が巡らされた。
越前堀と呼ばれる


その跡地にある公園
越前堀に使われた石垣が置いてあった


明治になり、歌舞伎役者の市川左団次が住み
四谷怪談が大当たりしたのをありがたいと、於岩稲荷田宮神社を作った
お岩さんの神社としては四谷に2つもあるのだが
ここで3つ目


新川
新川はあの河村瑞賢が作った
[河村瑞賢]1 江戸へ


河村瑞賢の旧居跡
これこれ、これが見たかった。
ああ、ここに河村瑞賢が住んでいたのね

ウォーキングはまだ続きます
続きは明日





























