[旅行] 全国祭り巡り。四国編

[旅行] 全国温泉巡り。東日本編
[旅行] 全国温泉巡り。中部西日本編
[旅行] 全国渓谷巡り。東日本編
[旅行] 全国渓谷巡り。中部近畿編
[旅行] 全国渓谷巡り。中国四国九州編
[旅行] 全国城巡り。国宝重要文化財編
[旅行] 全国城巡り。国宝重要文化財以外
[旅行] 全国洞窟巡り。
[旅行] 全国海岸巡り。西日本編
[旅行] 全国滝巡り。東日本編
[旅行] 全国滝巡り。西日本編
[旅行] 全国陶磁器巡り。六古窯その1
[旅行] 全国陶磁器巡り。六古窯その2
[旅行] 全国陶磁器巡り。美濃焼は陶器界の革命児
[旅行] 全国陶磁器巡り。あれこれ東日本編
[旅行] 全国陶磁器巡り。あれこれ西日本編
[旅行] 全国橋巡り。東日本編
[旅行] 全国橋巡り。西日本編
[旅行] 全国祭り巡り。北海道、東北編
[旅行] 全国祭り巡り。中日本編
[旅行] 全国祭り巡り。西日本編
の続きです

四国
四国は今や全国区になり、あちこちで開催されている踊りのあれとあれ

■徳島
阿波おどり
♪踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損損
東京の高円寺で一世を風靡して以来、うちの清瀬の商店街でも毎年阿波おどりが開催されます
色んな商店街で阿波おどりの何とか連が引っ張りだこなんじゃないでしょうか

やっぱり本場はすごい
徳島市で開催される4日間は、街が踊り一色に染められ、
鉦や太鼓の「ぞめき」のリズムにのせられた踊り子たちが、
練習で磨いてきた個性あふれる踊りを次々と披露しエネルギーを爆発させます。
大地が揺らぐ。町が踊り、笑い、弾け、そして狂う。
偶発的に町のあちこちに発生する「輪踊り」に加われば
踊らにゃソンソン


■高知
よさこい祭り
全国に広まったといえば、阿波おどりだけじゃなくよさこいも
高知で始まったが
札幌の「YOSAKOIソーラン祭り」が大人気となり、あれよあれよと言う間に全国至るところで踊られる事になった
全国に広まった理由の一つは柔軟性
どんな踊りでも、どんな曲でも、以下の2つのルールを守れば
1.鳴子を持って前進する。
2.楽曲に一部「よさこい鳴子踊り」を入れる。
札幌の「YOSAKOIソーラン祭り」はよさこいとソーラン節を合体させちゃった

もう一つの理由は小学校
高知、北海道、東北、関東ではかなり多くの小学校でよさこいを踊るらしい
次女はダンスの授業は地獄だったというが、よさこいだけは踊れる
会社の宴会の余興で、課のみんなでよさこいを踊ろうと次女が提案し、練習して優勝したのが自慢


九州はむちゃくちゃ多いので、次回回しにします

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芭蕉ゆかりの地を巡る

芭蕉記念館に行ってきました
の続きです

記念館を出て、隅田川の方へ
おくの細道の句がパネルになっているところがあるのですが
かなり経っているんでしょう
文字の判別が厳しい

芭蕉庵史跡展望庭園
おっと今日はこっち向いている
時間によってこっち向いたり横向いたりするのよね
この像は、杉山杉風(さんぷう)の書いた芭蕉像を元にしています

この場所、みつまたと呼ばれて小名木川(おなぎがわ)と隅田川が合流する地点で、昔から風光明媚な場所として、歌川広重も名所江戸百景に描いている

第何回目かの芭蕉庵の場所

芭蕉稲荷
さっきの芭蕉庵史跡展望庭園辺りからこの芭蕉稲荷辺りまでが芭蕉庵
ここの下から例の蛙の石像が出土
最初はここに記念館を作ろうとしたけどあまりに手狭だったので芭蕉記念館の場所になった

平賀源内旧居跡

audibleで平賀源内の本を聞いた
すごいっ
平賀源内ってエレキテルと土用の丑の日を広めた、ぐらいしか知らなかったけど、ものすごい人ですね
今度じっくり書こうと思います

本邦セメント発祥の地
浅野セメントの地

浅野総一郎は国産セメント工場の創業者の一人で、渋沢栄一から民間への払い下げを受け社長となる

新井白石住居跡
吉宗派に追いたてられてここへ。折りたく柴の記はここで書いた
でも不思議
ここで合っていると思うのですが、案内板がどこにもない
新井白石ほどの大物になぜ案内板がないんだろう

亀堀公園

この土地周辺は、江戸初期の寛永18年(1641)に江戸市街で起こった火災に伴い、
日本橋本材木町・神田佐久間町付近から移転されてきた「深川で最初の材木置き場」でした。
江戸の大火の一因が、高積みされた材木だったことから、幕府は材木置き場を市街地の外に集めることとし、江戸市中に近く、水運の便がよい等の理由から深川が移転先に選ばれました。
新たな材木置き場では、貯木と搬送のために基盤の目状に掘が作られ、火災でも材木が燃えないよう掘に沈めて貯木していました。
その後、材木置き場は、元禄14年(1711)に現在の木場公園のある場所に移転し、
跡地は「蔵の町・深川」を担う流通の拠点として生まれ変わり、佐賀町周辺を流れる仙台掘・油掘を南北につなぐよう運河のネットワーク化が図られました

仙台堀
江戸時代、この堀の北岸、現在の清澄公園の西隣に
仙台藩の深川蔵屋敷があり、
この堀を利用して仙台から送られた米等を運び入れたことから「仙台堀(せんだいぼり)」と呼ばれました
ちなみに、JR御茶ノ水駅周辺の神田川も、その開削工事を仙台藩が請け負ったことから、かつて「仙台堀」と呼ばれていました。
ここは何が良いかって、おくの細道の句が立てられている
おっ、新しくなって漫画付き
前は単に句が書かれていただけだったんですけどね
全部詳しく解説できますよ
その内、有名なのだけ写真載せましょう





採荼庵跡(さいとあん)


ここはおくの細道に旅立った場所
おくの細道に旅立つということで、住んでいた芭蕉庵を売り払った
現実に出発するまでの間、門人にしてパトロンであった杉山杉風(さんぷう)宅に居候
ここから、船で隅田川に出て、千住まで行き、そこから実質出発

売った芭蕉庵の方には、句を立てかけておく
草の戸も 住み替る代ぞ 雛の家

訪ねて見ると、既に家族が住んでおり、女の子の声が聞こえる
ああ、ここで3月になるとお雛様とかが飾られるんだろうなあ

この句は連歌の発句でもある
連歌は最初五七五を詠む
すると別の人が、続く七七を作る
するとまた別の人が、その七七につながる前の句の五七五を詠むというふうにどんどん繋げていく遊び

芭蕉は連歌の先生なので
この句が元の芭蕉庵だった家に掲げられていたら
芭蕉を訪ねてきた人が
ああ、芭蕉はここにはもういなくて旅立ったんだなと分かる
そして、続く七七を作って横に掲げてくれるだろう

臨川寺
芭蕉の禅の先生が仏頂和尚
その仏頂和尚がいたのが臨川寺なので、ここにも頻繁に通ったらしい

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芭蕉記念館に行ってきました

(1/25[日]の事です)

今、おくの細道にハマっています
Audibleというアプリの存在を知りました。
とってもすぐれもので、なんと、Audibleに登録されている本なら、朗読してくれる
通勤途中とか、本を読むのが難しい時間にもってこい

Audibleは年間契約して読んでもらい放題なので、すでにかなり多くの本を読んでもらいました
その中に、ちょっと砕けた感じの解説付きで読み上げてくれる奥の細道

びっくり
奥の細道ってこんなに面白かったんですね
東北や北陸を旅しながら、俳句が50句収められている
私は俳句より短歌の方が性に合うという概念が強すぎて
俳句の世界にはあまり近づかないでいた

読んでみるもんです
奥の細道って俳句だけが書いてあるわけじゃなく
歌枕と言われる古くからの短歌の聖地を尋ねる旅であり
旅行ガイドでもあり
歴史の探究確認の旅でもあるんですね
私が好きな要素満載ですやん

ってことで、奥の細道で2冊本を通読し
さらに3冊購入
その内2冊は古文書で、現代語訳つきのもの

よしっ
芭蕉記念館に行こう
以前2回ほど行っているけど
奥の細道にハマっていた今とは違うので、サササっと見ただけだった

芭蕉記念館

2階に、俳句の色んな人の展示
芭蕉の旅行した道

一番最後に行ったおくの細道がいちばん長い

奥の細道は、元々そういう名前の道が東北にある
奥州だから奥の細道で、短い区間の道なんだけど
芭蕉は、長旅の奥州道の紀行文の名前として拝借

江東区の記念館の場所は、芭蕉が14年間住んだ芭蕉庵の近く
深川には14年間住んだけど、2回引っ越していて
それぞれが完全に特定されていない
この辺りであることは間違いない

古池や蛙飛び込む水の音
は芭蕉庵で行われた句会で作られた

芭蕉が大事にしていた石の蛙がこの辺りから出土された

装束

芭蕉自身が書いたおくの細道

まだまだ続きます
続きは明日

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[ことば日本史] お目見え

ことば日本史シリーズ、江戸時代です

お目見え
将軍に直接会うことができる、つまり将軍から見える立場の人の身分を「御目見(おめみえ)」といった。

平安末期から、武家社会で主従関係をむすぶために従者となる者が主人に謁見する儀式は「見参」と呼ばれていたが、
安土桃山時代に「御目見」というようになり、
江戸幕府にいたってその言葉が幕臣の格式をも示すものとなった。
御目見することには、将軍との君臣関係を確認するという意味があったが、
御目見以上であるか以下であるかによって、家格はまったく違ってしまう。
御目見以上は、一万石以上なら大名、
一万石以下なら旗本。
御目見以下は御家人である。

この武家社会の制度をふまえて、
一般町家でも奉公人が奉公に入る前に、
まず主人に御目見して、試傭期間である「御目見奉公」をするということが行われるようになる。
こうしたことから、やがて身分の高い人に会うことを一般に、御目見というようにもなった

もう一つのお目見え
この言葉は演劇分野にも転用された
特に江戸時代の歌舞伎界で役者が名題(なだい)に昇進し、
初めて大役を担って観客の前に立つ時、
それを「お目見え」と称して特別な扱いをするようになったのです。

この慣習は、歌舞伎だけでなく文楽、能、さらには落語や講談など、広く伝統芸能に継承されました。
お目見えには、その人物の将来を占う意味や、
芸の成熟度を世間に示す目的が含まれており、
観客との初対面という以上の象徴的価値がありました。

明治期以降、西洋演劇が導入されるなかでも「お目見え」という表現は日本独自の舞台文化として残り、
俳優の初出演や新作舞台の発表などに使用され続けています。
特に、俳優や劇団が「本格的な商業舞台にデビューする」瞬間は、今なお「お目見え」として記録されることが多くあります。

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