前の壊れたタブレット内にしか写した写真がないと思っていたのですが
SDカードの方にありました
このあとは写真付きでお伝えできます
国分寺楼門
これ、我が東久留米市にある米津寺に元々あったものを移設した

奈良時代の国分寺の後継寺院として「国分寺」があり、その楼門になります
国分寺の境内に、万葉庭園があります
万葉集に歌われた植物をいっぱい集めてあります


私の知る限り、東京には、板橋区、立川の昭和記念公園内とここの3個所万葉植物園があるのですが
ここが一番密集している感じ
おたカフェでお洒落なカレーを食べ

資料館へ
以前入らなかったのですが
門のある建物は中も入れる
国分寺村の名主を代々務めた、本多家の長屋門を移設


七重の塔の再現もありました

さあ資料館
国分寺のジオラマ


おじさんに話しかけてみました
ここと府中って同じ時期なんですか?
府中は、県庁所在地的なもので、政治を行っていた行政府(国衙[こくが])
国分寺は、あくまでも仏教の施設
やはり、各国の国分寺は、国衙という近接しているところが多いらしい
その後、違うおじさんが来た
説明してくれる学芸員の人だと思われ
質問ないですか? と聞いてくれた
さあ、来ました
今までも色んなところで言ってきましたけど
話すのが好きでたまらないおじさん大好き
ここから、至福の時間が始まりました
30分以上話し込みました
聖武天皇の話
行基の話
国分寺跡、さっき行ってきましたが、無茶苦茶広いですよね
そうなんです。
公地公民なので、立ち退きをさせる必要がない
あの大化の改新の中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)が天智天皇となり、日本の国は、公地公民であると宣言した
全ての土地は私有地がなく公地、即ち国のもの
全ての人も、公民。いわば公務員
考え方としては、共産主義に近いかも
府中の国衙と国分寺とを結ぶ、東山道
めったやたらに広い
公地公民なので、いくらでも広く作れる
まーっすぐ

道幅12mと、めったやたらに広く、溝が掘られている
なんでこんなに広いか分かります?
交通量が多いからじゃないんです。
権威の象徴
こんなに広い道を作れるんだぞと
実際には、道幅全てを使うわけではないので
次第に、端のほうは草ぼうぼうになったり
勝手に畑にして耕したり
結構長く、国の区分けは変わりませんよね
そうですね
最初は例えば下総(しもうさ)と上総(かずさ)は一緒で総(ふさ)の国と言われていた
大きいので2つに分かれた
都に近いほうが上。ここでは船で行くので、南側が上
上野(こうづけ)と下野(しもつけ)は毛(け)の国
都に近い西が上野
越前、越中、越後は都に近い西が前
備前、備中、備後は都に近い東が前
武蔵(むさし)と相模(さがみ)は
賀茂真淵の説として、武蔵と相模は元々「牟佐」という一つの国であり、それを上下に分けて「牟佐上(さがみ)」と「牟佐下(むさし)」と呼んだのが始まりだという説もあります
これには大感動
なるほどっ
確かに相模と書いて「がみ」が付いているのはとても不自然
賀茂真淵に一票
いっぱい話し込んで楽しいのなんの
とても良い時間を過ごさせていただきました
















