ニューしゃこたん号と定山渓温泉

♪ウニ、ウニウニ、ウニを食べよう
の続きです。

ニューしゃこたん号
神威岬(かむいみさき)が思いの他時間がかかったため
3岬全ては行けないなと断念。

島武意(しまむい)海岸はスルーして黄金岬の方へ
黄金岬のところからは、ニューしゃこたん号という観光遊覧船が出ます。

海側から見る岬



迫力に圧倒され、積丹ブルーに感激

船底が透明になっていて
積丹ブルーの透明な海が見れます。

黒くて丸いのはウニです。

帰りがけに、カモメの餌付け体験
パンの耳が大量に配られ
ポンポン投げると
空中でキャッチしてくれる。
最もうまくいくと、手に持っているのを持ち去っていく。
これは、次女が一回だけ成功。

ものすごい数来たのですが
決定的瞬間を撮そうとすると難しかったぁ

定山渓温泉
泊まる旅館は、定山渓温泉
ぬくもりの宿ふる川、という旅館。

ギリギリ明るいうちに着いたので
定山渓の渓谷を散策




渓谷ファンとしては、涙がじんわりと。

夜にはイルミネーションのイベントも行われました。

岩にプロジェクションマッピングがなされ
幻想的な音楽が流れます。

ふる川
何が良かったかというと、旅館そのもの
ふる川は素晴らしかった。
ぬくもりの宿、とうたっているだけの事はあります。

あちこちに自由に使えるくつろぎスペースがあり


どこのスペースにも、癒しの写真集を中心とした、かなりの数の本が用意され
色んな椅子があります。
相田みつをの言葉もあちこちにあります。
ガラス美術展も。

ここは、目的だと思います。
どこかの観光のために泊まる場所じゃなく
ふる川に行くために旅行する
そんな圧倒的なコンセプト館です。

食事
食事も良かったなあ。
どれひとつ、これは今いちだったかな、というのがなかった。



翌日の朝食

この器の中に、水を入れて再度蓋を閉めると
ガタガタッと言い出して、湯気がどぉーーっと噴出
中で蒸しものが蒸し上がるという手品のような演出も。

一生、ふる川の事は覚えていると思います。

支笏湖
2日目にして最終日はゆっくりめの観光
支笏湖だけにしました。

手前にある公園は、高原のような雰囲気でした。

ああ、有意義な北海道でした。

どこ行こう、そうだ!おでかけマップ

♪ウニ、ウニウニ、ウニを食べよう。

(ザ・ビーナス、キッスは目にしての節で)
♪ウニ、ウニウニ、ウニを食べよう。
誘惑の罠(ウニウニ、ウニウニッウニ)

北海道
ただいま北海道ーっ

どうもウニはこの7月が旬のようで。
東京に出てくるウニは、腐らないようにミョウバンだったりを混ぜちゃうので味が変わっちゃいます。

次女が大学が北海道なので、一回来てお寿司をたらふく食べました。
確かに美味しいけど
東京だって、美味しいとこはこんな感じかなあ、と思った。
ウニだけは違いましたね。

えっ、全然違うやん。

さあ、旬のウニはいかがでございましょう。

あっ、そうそう。
ひとつ言い忘れていた事が。
長女は、ウニどころか、生ものの寿司全部食べられませんので、今回は不参加。
可哀想に。
まあ、もうすぐイギリスに行くなんぞと言うとりますので
そちらで楽しんで来ていただきましょう。

カミさんは旅行好きでウニ好きなので、
半年も前から企画してうかれっぱなし。

女性は大変ですよね。
何着て行くかから始まりますので。
おばさんなんて、誰も見てないと思いますが。
私まで、服を新調させられました。

積丹(しゃこたん)
さあ、観光より前にまずはウニ。
目指すは積丹(しゃこたん)

この辺です。

次女が徹底調査の、新家寿司
カミさんと次女は、前日に小樽でも食べているので、連日です。

バフンウニは貴重で、新鮮なものは無くなってしまう可能性があり、
早い者勝ちです。
ムラサキウニとバフンウニが半々に入った、うにちらしを注文

ちょっと赤っぽい方がバフンウニです。

幸せーっ。
確かにムラサキウニとバフンウニは違う味で
好き嫌いはあるでしょうが、私はバフンウニの方が好きです。

いやあ、やっぱり東京で食べるウニとは別物でございました。

なぜ、観光より前にウニかというと
観光後に、再度違うところでウニを食べようと目論んでいるからです。

さあ、じゃあ観光しようか
と思ったのですが
カミさんが
そんなことしていると、バフンウニがなくなっちゃうかも知れないじゃない。

という事で、急遽、ウニ、ウニ、観光の順に変更。

一ヶ所目は、小樽から始めて、近めのところだったんですが
今度は遠いところ。

積丹(しゃこたん)には、大きく3つの岬の絶景があるのですが
そのうち一番遠い、神威岬(かむいみさき)のすぐ近くの
食堂うしお、というところ

聞くと、バフンウニは
積丹産と、余市産の2種類が仕入れてあるとのこと

先程の新家寿司は余市の方に近いので
余市産だったかも知れません。

積丹産でお願いします。

やっぱり、ムラサキウニとのハーフのウニ丼

うん、これも絶品だねえ。

あっ、大失敗。
写真撮すの忘れた。

ということで、食べ始めてからの写真
そんなもの見せられても全然美味しそうじゃないですね

積丹ブルー
さあ、いよいよ観光です。

まずは、神威岬(かむいみさき)
積丹の3つの岬ともそうなのですが
積丹ブルーと言って、海の青さが、神の領域です。

駐車場に車を置いて、
延々と20分以上、きついアップダウンを経ながらも進みます。

ただ、景色がどんどん変わっていきます。

うわあ、何!あの海の青さ
岩や岬の形、かっこいい!

気がつくと先端まで行っていました。

これ、あまりに素晴らしく
「一生の思い出」「冥土の土産」のレベルなんだけど
言葉で説明するのはとても難しい。

久しぶりに、スライドショーを作りましたので
そちらをご覧ください。

それでは、続きはまた明日。

どこ行こう、そうだ!おでかけマップ

洗足池でお散歩

ほぼ半年前からカミさんが企画し、思いきり盛り上がっております家族旅行。

いよいよその日がやってまいりました。

北海道で、美味しいウニを食べよう! ドンドンドン

次女は大学が北海道なので向こうに友達がいます。
一日前に北海道入りして、友達と久しぶりの再開

カミさんは今朝から現地入り

私は平日は仕事なので仕事が終わってから、20:00の飛行機で北海道に入り
小樽のホテルで合流。

と思っていたんですが
仕事は本番移行が終わり落ち着いたので、全然休んで問題ないことが分かりました。
休むことにしたんですが、決断が遅かったので変更がきかず
20:00発の飛行機は変えられませんでした。

残念!
カミさんと次女は今日小樽のなんたらクルーズで真っ青な海を楽しんでいるようです。

羨ましくなんてないもんね。
私だって20:00までウォーキングで楽しもうじゃありませんか。

羽田の近くまでは行っておきたいな、ということで
選んだのが大田区
例によって、大田区の出しているウォーキングガイドを検索。
この前はその中で羽田に一番近い、穴守稲荷とか大鳥居とかは行っちゃってます。

よしこれ行こう!

洗足池(せんぞくいけ)
掃除とか家の事を一通り終わらせて、昼頃出発。
たっぷり時間はございます。

電車の中でうとうとしていて気づいたら
池袋で折り返し、家の近くまで戻ってきちゃっていたという大失態。
同じことを以前もやっております。

たっぷりの時間のはずが・・・

乗換案内で調べ、洗足(せんぞく)駅へ降り立ちます。
あれ?
確か地図だと駅の前に大きな池があるはず
池がありそうな感じがしない。

だいたいどこの駅にもある、駅周辺地図がないなあ
駅員さんに聞いてみるか
まあ、もう一度地図を確認してから


洗足池駅?

ひょっとして、洗足駅じゃなくて洗足池駅
まあ、でもすぐ近くでしょう。歩いて行けるんじゃない?

路線図で確認

げげっ
2回も乗換えて、6つも先の駅ですやん
私は西武沿線なので、東急という文化圏の異なる場所の事は全く分かりませんでした。

洗足駅(洗足池駅ではありません)って書いとけよ、東急さん

こりゃ同じ間違いをしたひとがわんさかいて
ネットで盛り上っているに違いない

洗足駅と洗足池駅の違い、検索、と

えっ、一件もヒットなし
この世の中で、ひょっとして私一人?
東急沿線恐るべし。
頭の良い人しか住んでいないのか。

そんなバカな事をやっておりましたので、着けばもう14:30でございました。

ああ、広い池

視界の前が海や大きな川や大きな池で、
どどーんと開けていると、なんでこんなに心がスカッとするんだろう。

好きだわあ
気持ち的には、
忙しくあれもこれも見て回って、大興奮、っていつもの感じじゃなく
ゆっくり癒されながら歩く感じ


とはいえ、八幡宮があったりして
おおおっ。八幡さーん
大興奮

おおおっ、弁天さんだ

湧き水が注ぐ癒しの小路


水生植物園もあったりします。

水生植物園に絶対有る八ッ橋

花いかだというのもあり、ゆっくりとあちこちに動いていました

勝海舟
あっ、そうそう忘れてた。
これがあるからこのコースを選んだんだった。

洗足池は勝海舟が最後に済み、お墓のあるところ

これが西郷隆盛の漢詩の碑

この筆跡は、西郷隆盛の実際の筆跡
ダイナミックです。

そして、留魂祠(りゅうこんし)と言って西郷隆盛の霊を祀ったもの

勝海舟と西郷隆盛は、幕府側と新政府側の代表として会見し
江戸城無血開城を成し遂げた間柄

西郷隆盛が、西南戦争で朝敵となった後、復権へ向けて積極的に動き回った。

元々別の場所にあった西郷隆盛のゆかりのものを
自分の墓の横に持ってくるようにした。

西郷隆盛の漢詩の碑の裏側のこの筆跡は、勝海舟のものです。

そして、これが勝海舟夫妻の墓

「勝海舟」という字は、徳川最後の将軍、徳川慶喜の書いたものです。

役者が揃い踏みです。
なんだかジンと来て、目頭が熱くなっちゃいました。

さあ、一番来たかった勝海舟記念館

すごいです。かっこいい建物

大興奮になりそうです。

あれっ?
工事している

工事のお兄さんが
工事中なので入れませんよ

そうなんですか

どうもリニューアルというよりオープン前って感じ

ひょっとして、そもそもオープンしていないんですか?

そうです。

あらまあ。

残念。この夏オープンなんですって。

良く良く見ると地図にも、(仮称)勝海舟記念館となっていました。
オープンしたらまた来なくちゃね。

日蓮聖人
洗足池って、なんで洗足っていうかというと
日蓮聖人が池上本願寺に向かう途中、この池で足を洗ったから
こんなでかい池で足を洗ったとは
よほど汚れていたのか、でっかい足だったのか

袈裟がけの松

出たっ。日蓮さん
眉毛すごっ

トンネル
駅に戻る途中にこんなものが
随分屈まないと向こうに行けません。

入ってみるとすぐ上が枕木と線路
スケスケです。

ということはですよ
ここで待っていて、上を見上げると
電車の裏側の写真がど迫力で撮せるということになりませんか。

ワクワク

しばらく待っていて、
まあいいか
と、帰ってきたんだけど
今でも後悔。
もうちょっと待ってるべきだった。
こんな機会、今後も有るとは思えない。

これは、勝海舟記念館と電車裏側体験に再度来る必要がありそうです。

さあ、それでは、ウニ
なんだけど、
実は、もう少し時間がありそうだったので、もう一ヶ所行ったんです。
超大物。池上本門寺。

ウニを挟んでになるかも知れませんが、
続きもレポートしますね。

今、新千歳空港から小樽への電車の中です。

どこ行こう、そうだ!。おでかけマップ

[大奥]11 家斉。とんでもないお美代。

大奥シリーズ、前回は11代将軍家斉の正室の茂姫でした。
今回は側室です。

お美代
家斉に側室は思いきりいますが
家斉が愛した女性ということになると、お美代。

小納戸頭取・中野清茂が、お美代を見て
なかなか魅力的だぞ
と、出世をたくらむ。

自分の養女ということにして、家斉に会わせる

筋書き通り、家斉はお美代にぞっこんになり
中野清茂は、とんとん拍子に出世する。

お美代は、美貌に加えて、頭も良く機転が効く

それまで例がないんだけど
江戸城ではなく、中野邸で頻繁に会う。

中野清茂には、恩があるけど
もっと大切なのは本当のお父さん。

下総(千葉県)中山の法華経寺の末院
寺格もない智泉院の日啓(にっけい)と名乗る住職

法華宗なので、本当は妻帯を許されていないんだけど、
なぜか娘なんです。

お願いがあるの

大奥の中なら常に監視されているから
めったな事は言えないけど
城外なのでおねだりし放題

いきなり智泉院は将軍家の御祈祷取扱所になっちゃった。

千葉まで結構遠いんですが
大奥の女中達も、ご祈祷に通います。

まあ、ここまでは、そういうこともあるかなという話

ここからがあらぬ方向に展開していきます。

そんな遠いとこまで何で行かなきゃなんないの?
と女中達には不人気かと思いきやさにあらず

女中達もこのおねだりを陰ながら応援

智泉院の近くにいくつかの寺が出来
お坊さんも増員
ついには宿泊所まで出来てしまいます。

後の寺社奉行の調査では
寺の中のいくつかにまるで忍者屋敷のからくりのようなものが存在し
隠し部屋に通じる。

そこでは、若くて男前のお坊さんが秘密のご祈祷をしてくれる。

溶姫
お美代に最初の子供、溶姫(やすひめ)が産まれる
次に仲姫だが早世
さらに、末姫

家斉、子供54人ですから。

いくらなんでも、と言われそうなところを、お美代は先手を打って

子供はみんな宝物。子だくさんはこの上ない幸せな事でございます。
男の子は、全国諸大名のお世継ぎとして
女の子は、嫡子の正室に嫁に出しましょう。
全国に徳川の血が行き渡り、世はますます安泰となるでしょう。

手始めとして、溶姫を加賀百万石に嫁入り。

嫁入りは決して華美にするでないぞ

そんなこと、直接将軍に言われたら
何と言っても百万石
裏読みをして、一世一代の気合い入っちゃいます。

江戸での上屋敷、本郷の今の東京大学のところへの輿入れですが
正門の黒門とは別に
嫁入りのためだけの、赤門作っちゃいました。

当日は、江戸城から赤門まで大行列

行列に参加した大奥の女中は、そのまま加賀藩で溶姫のお付きになります。

さらに、末姫は、安芸(広島県)浅野家43万石に嫁ぎます。

お美代は合わせて、143万石の母になりました。

感応寺
そうなると、もう怖いものなし
父、日啓もさらに野望を持ちます。

目指すは増上寺、寛永寺に次ぐ第三の徳川家菩提寺

古くからの名門、谷中の感応寺が、跡継ぎがいなかったのでしょうか
その時、廃寺になっていました。

感応寺、やらせてもらってよろしいかしら。

何と雑司ヶ谷辺りに、三万坪もの土地をまとめあげ、
感応寺を作ります。

大奥も大喜び
近い上に大きいわ。

でも人の噂には戸は立てられません。

寺社奉行、脇坂安菫(わきさかやすただ)が動き出します。

徳川の歴史に泥を塗るような事が合っては、家康様に申し訳が立たない。

でも、下手なことをすると自分の身が危うい。
慎重に慎重に女性の密使も使い、動かぬ証拠を集めます。

享和3(1803)年5月26日、手入れ敢行

現場に居合わせた男女10人が逮捕された。

江島生島事件が思い起こされる。
芋づる式に大疑獄に発展すると、誰もが思った。

ところが
何とも尻すぼみな結末になった。

歌舞伎役者の二代目尾上菊五郎にそっくりの日潤という一番人気の僧は死罪

ほぼ、それだけで、残りの者は訓戒の上、お暇を給わったくらい

結局、将軍を敵に回すほどの大事であるにも関わらず
その摘発で得をするものが、ほとんどいなかったということかも知れない。

ただ、全てが公になった
そういう話は庶民は大好きなので、
江戸中で知らないものはいなくなった。

長期政権
一番大元の、家斉自身には何のダメージもなかった。
そして、長生きし、将軍の座に座り続けた。

歴代将軍の中でぶっちぎりの長期政権50年を誇り
次期将軍家慶に譲ってからも4年間も大御所政治を続け、家慶の自由にはさせなかった。

68歳にしてとうとう老衰
その時、家慶はすでに49歳になっていた。

待ちに待った家慶は電光石火の早業を見せる
家斉の取り巻きの人材を全て罷免
水野忠邦に政治を任せる。

水野忠邦は大張りきりで、天保の改革を推し進めるが大失敗
たった2年で、みんなの猛反発をあび失職

当時の寺社奉行・阿部正弘がその後、老中になるんだけど
この阿部正弘が切れ者だった。

前の寺社奉行が果たせなかった、智泉院事件の徹底糾弾を再度蒸し返した。

ほぼ揃っている証拠に、さらに後押しする証拠を加えて、日啓は遠島へ流罪
お美代も加賀藩の前田屋敷の中の一室に「押し込め」
「押し込め」とは一室から出られない刑で、牢屋に近い。

索引はこちら
[大奥]シリーズはこちら(少し下げてね)