[大奥]11 家斉。とんでもないお美代。

大奥シリーズ、前回は11代将軍家斉の正室の茂姫でした。
今回は側室です。

お美代
家斉に側室は思いきりいますが
家斉が愛した女性ということになると、お美代。

小納戸頭取・中野清茂が、お美代を見て
なかなか魅力的だぞ
と、出世をたくらむ。

自分の養女ということにして、家斉に会わせる

筋書き通り、家斉はお美代にぞっこんになり
中野清茂は、とんとん拍子に出世する。

お美代は、美貌に加えて、頭も良く機転が効く

それまで例がないんだけど
江戸城ではなく、中野邸で頻繁に会う。

中野清茂には、恩があるけど
もっと大切なのは本当のお父さん。

下総(千葉県)中山の法華経寺の末院
寺格もない智泉院の日啓(にっけい)と名乗る住職

法華宗なので、本当は妻帯を許されていないんだけど、
なぜか娘なんです。

お願いがあるの

大奥の中なら常に監視されているから
めったな事は言えないけど
城外なのでおねだりし放題

いきなり智泉院は将軍家の御祈祷取扱所になっちゃった。

千葉まで結構遠いんですが
大奥の女中達も、ご祈祷に通います。

まあ、ここまでは、そういうこともあるかなという話

ここからがあらぬ方向に展開していきます。

そんな遠いとこまで何で行かなきゃなんないの?
と女中達には不人気かと思いきやさにあらず

女中達もこのおねだりを陰ながら応援

智泉院の近くにいくつかの寺が出来
お坊さんも増員
ついには宿泊所まで出来てしまいます。

後の寺社奉行の調査では
寺の中のいくつかにまるで忍者屋敷のからくりのようなものが存在し
隠し部屋に通じる。

そこでは、若くて男前のお坊さんが秘密のご祈祷をしてくれる。

溶姫
お美代に最初の子供、溶姫(やすひめ)が産まれる
次に仲姫だが早世
さらに、末姫

家斉、子供54人ですから。

いくらなんでも、と言われそうなところを、お美代は先手を打って

子供はみんな宝物。子だくさんはこの上ない幸せな事でございます。
男の子は、全国諸大名のお世継ぎとして
女の子は、嫡子の正室に嫁に出しましょう。
全国に徳川の血が行き渡り、世はますます安泰となるでしょう。

手始めとして、溶姫を加賀百万石に嫁入り。

嫁入りは決して華美にするでないぞ

そんなこと、直接将軍に言われたら
何と言っても百万石
裏読みをして、一世一代の気合い入っちゃいます。

江戸での上屋敷、本郷の今の東京大学のところへの輿入れですが
正門の黒門とは別に
嫁入りのためだけの、赤門作っちゃいました。

当日は、江戸城から赤門まで大行列

行列に参加した大奥の女中は、そのまま加賀藩で溶姫のお付きになります。

さらに、末姫は、安芸(広島県)浅野家43万石に嫁ぎます。

お美代は合わせて、143万石の母になりました。

感応寺
そうなると、もう怖いものなし
父、日啓もさらに野望を持ちます。

目指すは増上寺、寛永寺に次ぐ第三の徳川家菩提寺

古くからの名門、谷中の感応寺が、跡継ぎがいなかったのでしょうか
その時、廃寺になっていました。

感応寺、やらせてもらってよろしいかしら。

何と雑司ヶ谷辺りに、三万坪もの土地をまとめあげ、
感応寺を作ります。

大奥も大喜び
近い上に大きいわ。

でも人の噂には戸は立てられません。

寺社奉行、脇坂安菫(わきさかやすただ)が動き出します。

徳川の歴史に泥を塗るような事が合っては、家康様に申し訳が立たない。

でも、下手なことをすると自分の身が危うい。
慎重に慎重に女性の密使も使い、動かぬ証拠を集めます。

享和3(1803)年5月26日、手入れ敢行

現場に居合わせた男女10人が逮捕された。

江島生島事件が思い起こされる。
芋づる式に大疑獄に発展すると、誰もが思った。

ところが
何とも尻すぼみな結末になった。

歌舞伎役者の二代目尾上菊五郎にそっくりの日潤という一番人気の僧は死罪

ほぼ、それだけで、残りの者は訓戒の上、お暇を給わったくらい

結局、将軍を敵に回すほどの大事であるにも関わらず
その摘発で得をするものが、ほとんどいなかったということかも知れない。

ただ、全てが公になった
そういう話は庶民は大好きなので、
江戸中で知らないものはいなくなった。

長期政権
一番大元の、家斉自身には何のダメージもなかった。
そして、長生きし、将軍の座に座り続けた。

歴代将軍の中でぶっちぎりの長期政権50年を誇り
次期将軍家慶に譲ってからも4年間も大御所政治を続け、家慶の自由にはさせなかった。

68歳にしてとうとう老衰
その時、家慶はすでに49歳になっていた。

待ちに待った家慶は電光石火の早業を見せる
家斉の取り巻きの人材を全て罷免
水野忠邦に政治を任せる。

水野忠邦は大張りきりで、天保の改革を推し進めるが大失敗
たった2年で、みんなの猛反発をあび失職

当時の寺社奉行・阿部正弘がその後、老中になるんだけど
この阿部正弘が切れ者だった。

前の寺社奉行が果たせなかった、智泉院事件の徹底糾弾を再度蒸し返した。

ほぼ揃っている証拠に、さらに後押しする証拠を加えて、日啓は遠島へ流罪
お美代も加賀藩の前田屋敷の中の一室に「押し込め」
「押し込め」とは一室から出られない刑で、牢屋に近い。

索引はこちら
[大奥]シリーズはこちら(少し下げてね)

[大奥]11 家斉。とんでもないお美代。」への2件のフィードバック

  1. ピンバック: 東大ウォーキング | でーこんのあちこちコラム

  2. ピンバック: 日暮里からウォーキング | でーこんのあちこちコラム

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です