三菱史料館と事件現場巡り
の続きです
日比谷公園
次の目的地までせっかくなので、日比谷公園の中を通っていきましょう



ガーデニングショーというのをやっているぞ

面白いなあ、部分的なパーツが作品になっているのか







噴水を越えて

広いっ

放送記念碑

現在はおしゃれなスポット
太平洋戦争の末期にはNHKがこの場所にありました
■宮城事件(きゅうじょうじけん)
1945年(昭和20年)8月14日の深夜から15日にかけて、宮城(皇居)で一部の陸軍省勤務の将校と近衛師団参謀が中心となって起こしたクーデター未遂事件
日本の降伏(ポツダム宣言受諾)を阻止しようと企図した将校達は
近衛第一師団長森赳陸軍中将を殺害、師団長命令を偽造し
近衛歩兵第二連隊を用いて宮城(皇居)を占拠した。
玉音放送をやめさせようとしたが失敗
玉音放送と日本の降伏表明は当初の予定通り行われた。


日本プレスセンタービル

■大正政変
時代は大正時代、首相は桂太郎
民衆による護憲運動が盛り上がってきて、日比谷公園で数万人の大集会が行われたりした
一部の群衆が暴徒化し
桂政権支持の都新聞社が襲われた
その都新聞社があったのが、ここ日本プレスセンタービルの場所
もちろん、暴力は良くない事だけど
結果として、一連の護憲運動により、桂太郎内閣は倒れるから
当時の民衆のパワーはとても大きなものだった
霞ヶ関1-2の交差点

■足尾鉱毒直訴事件
足尾鉱毒の惨状を目の当たりにした国会議員、田中正造は
この問題の解決に一生を捧げようと決意
「政府は、すぐに銅の生産をやめるように命令すべきである。」と演説
ところが何一つ変化が見られない
残る手段は天皇への直訴しかないと命を捨てる覚悟
議員をやめる
天皇への直訴は死刑に匹敵する
明治34年(1901年)12月、国会開会式の日、
正造は黒の羽織、はかま姿の正装で被害の様子を書いた直訴状を高く差し上げながら、
明治天皇の乗る馬車めがけてかけよる
残念ながら、すぐに警官に捕まってしまう
その場所が、この交差点
直訴は入れられなかったが、死刑にはならなかった
この事件は大きく報道され、世論が盛り上がっていく
政府は鉱毒調査会を設立
ようやく昭和48年(1973年)、
日本の公害問題の原点といわれる鉱毒問題を起こした足尾銅山が閉山となりました。














