葛飾区のウォーキングの続き

葛飾区のウォーキング
の続きです

水元公園

最近少しずつ見かけるようになった、クライミングの壁
こんな巨大なのは始めて見た



蓮の時期はすごく綺麗なんだろうな

一部残っていた

松浦の鐘
このあたりは松浦家の領地
松浦家が菩提寺の龍蔵寺に奉納した鐘
廃仏毀釈で龍蔵寺が廃寺になったあとは村の所有になり
今はポツンと水元公園のすぐ横にある

また、水元公園に戻ります



懐かしいなあ
2回ウォーキングイベントで来た
あの伝説の大雨の中でのバーベキュー
今でも話題に出ます

香取神社


この手水舎は、享保20年に氏子中から寄進されたもの
徳川8代将軍吉宗の時です

長伝寺

宝篋印塔
天明7年のもの
徳川11代将軍家斉の時
宝篋印塔に風鐸が吊り下がっているのは始めてみた

南蔵院

しばられ地蔵で有名

8代将軍吉宗の頃
呉服問屋の手代が荷車に反物を乗せて、南蔵院の前を通り掛かった
一休みしているうちに、ついうとうと
目が覚めると反物を乗せた荷車がない

青くなって番所へ

裁くは名奉行、大岡越前守忠相
「寺の門前に立ちながら、泥棒を黙って見ているとは不届き千万
直ちに縄打って召し取って参れ」
地蔵はぐるぐる巻きで、市中引き回しの上南町奉行所へ

何だなんだ
野次馬たちが奉行所へなだれ込んだ

頃を見計らい、門を閉める
「天下のお白洲へ乱入するとは不届きものめ。罰として、反物一反の科料と処す」

出された反物の中に盗品があり、盗賊が判明

地蔵のおかげ
越前守は立派な御堂を立て、縄解き供養を行いました

この縄は100円出して私が縛ったものです

東江寺
東江寺の方向へ歩いていくと道の突き当たりに面白い形の建物

まるでトトロの世界のような東江寺内の東江幼稚園
中には色んな個性的なものがありました

次から次から自転車に乗ったお母さんたちが来るんだけど、何かのイベントの風でもない
幼稚園の先生もお母さんたちをお出迎えしみんなニコニコ
毎日こうなのかな

角っこの塀がくり貫かれて、童六地蔵というのが納められていました

[お出掛け]シリーズはこちら(少し下げてね)

葛飾区のウォーキング

今月から、仕事が同じ場所ではあるんだけどチームが変わります
新しいチームの方が、受け入れ体制が整っていないとのことで
出勤扱いにして良い「自宅待機」
ラッキー
出勤は11日から

って事で毎日、英語の勉強をしているんですが
そればかりやっていると気が狂いそうになるので
今日はお出掛けだっ

地域別集計で、23区中一番行った箇所が少なかったのが葛飾区
都心から西側に住んでいる私としては、ちょっと遠目
よし、葛飾区だ!

金町から
■金蓮院(こんれんいん)

ずらっと板碑的なものが並んでる

十一面観音の心温まるエピソード

ラカンマキが江戸時代から有名

おおっ、金剛組が本堂を建て替えるらしい
金剛組は、西暦578年創業。聖徳太子の時代にできた宮大工の会社で
今も続いている会社
世界最古。日本最古じゃなく「世界」最古

↓今の本堂

愛染明王(あいぜんみょうおう)
二十六夜待供養の本尊
宝永7年というから徳川6代将軍家宣の時。かなり古い

二十六夜待とは、江戸時代に旧暦の1月と7月の26日の夜に月の出るのを待って拝む行事
月を待つので、基本的に一晩中起きていてみんなでワイワイ
その記念碑ということになります
だいたい、石に文字を刻む程度ですが
愛染明王の仏像を刻んであるのは始めてみました
そもそも愛染明王の仏像を見たこと自体、3つ目くらいかな

■葛西神社
酉の市をやっていた

熊手を買った老夫婦とすれちがった
「今年も無事来れたねえ」と言っていた
毎年来て、熊手を買うんだろう

石造鳥居
宝暦13年とあるので、徳川10代将軍家治の時代

白蛇がいた
撫でると良いことがあるらしい

面白かったのが、この蛇の顔、あなたはどんな風に見えますか、という趣向

私は優しい顔に見えた
今までの苦労が報われて幸運が訪れるとのこと
ありがとう、と言いながら撫でました

■光増寺

庭が良く手入れされて、きれいなお寺さんでした

親鸞の愛弟子、法海が開山
親鸞自体も訪れている

ここにもまた古いお地蔵様
元禄7年なので、徳川5代将軍綱吉の時、今日一番の古さです

■半田稲荷神社

昔、湧水だった「神泉遺構」
水ごりで身を清めていた

拝殿の上を見てびっくり
これ、鏝(こて)だけで描いた鏝絵じゃないのかなあ
ああ、良いもの見た

■江戸川
江戸川が近いので江戸川に出てみましょう
江戸川も広いなあ
気持ちがスッキリします

■関所跡
旧水戸街道の江戸川を渡る地点での関所
通常は渡し舟だが、将軍が鹿狩りで出かける時だけは、舟を並べて板を乗せたその時だけの橋が作られた

ウォーキングはまだまだ続きます
続きは次回ね

[お出掛け]シリーズはこちら(少し下げてね)

合格証来たあ。そして今後

旅行業務取扱管理者の資格
ホームページに受験番号があったから
合格に間違いないとは思いつつ
やっぱり心配

書留が全国旅行業協会から届いた
来たあああ

ちなみにこの前の旅程管理主任者の方はこれ

合格証だけじゃなく、採点とかのデータも送られて来るんじゃないかと期待したけど
それはありませんでした
最終的な合格点は何点で、何点で合格したのかは分からずじまいになりそうです

この前の添乗員の面接ではアピールとして役立ったので
やっぱり取って良かった

今後
国内旅行業務取扱管理者を取っていれば
海外もOKになる総合旅行業務取扱管理者は科目免除があり
2科目受ければ良いことになる

順当にいけば、「今度は総合に挑戦だ!」になりそうだけど
結論からいうと、総合への挑戦はしない

就職活動をするなかで見えてきた事がある
1.旅行代理店の営業所(資格で言うと旅行業務取扱管理者)
2.ツアーコンダクター(資格で言うと旅程管理主任者)
3.ツアーガイド(資格は不要)
という仕事のなかで
受験後、1や3は求人サイトやハローワークに行ってみて
もう20社以上応募して、見事に1社たりとも面接にすら行かせてもらえない

1.旅行代理店の営業所は、社員採用になるので
未経験者の64歳は全く無理なのだろう
資格がそれほどの威力を持っていなさそうなので
頑張って総合を取っても、やっぱりダメな気がする

ツアーコンダクター(添乗員)での海外は
この前受かった会社で明確に言われたのは
60歳超えての未経験者は海外添乗はやらせてくれないらしい

正直言うと「助かった」
海外添乗なんてやらされて、海外でロスバゲ(スーツケースが出てこないこと)なんてあったら
大パニック

海外への旅行の仕事は消えた

添乗員はやらせてもらえることになったので良いんだけど
繁閑の差が激しいので
それだけで生計をたてるのは厳しいらしい

ダブルワークをするとして
今のIT業界の現場は契約が延長になったので
その仕事をチョコチョコ休ませてもらいながらダブルワークになるかと思う

本当なら、ツアーガイドとダブルワークにしたい
ただ、就職活動をしてみて、ツアーガイドは、
英語ができないと全くとってもらえないことが分かった
さあ、どうするか

英語
自分自身で作ってしまっている壁
[英語には近づかないようにしよう]

高校で落ちこぼれた
大学には行きたくないと言ったら、母さんに泣かれたので
受験科目が3つだけの大学に絞って、その科目だけに集中
特にほぼ英語ばかりだった
受験では、読み書きだけで良かったから
ひたすら単語を覚えるという作戦
それで英語がしゃべれるようになるとはとても思えなかったけど
大学に受かれば良いとだけ考え、しゃにむに頑張った
運良く合格

案の定、全く聞き取れないし、ましてや喋る事なんてできない
あまりにも膨大な時間は使ったのに「大学合格」の目的以外には何ともならなかった
英語って目的じゃなく手段
英語を使うべき目的もないのに、今後英語の勉強するのはやめよう
英語習得にかける時間があるならば、他の事に向けよう
その時、そう思ってしまった

英語を使うべき目的がありそうなら
そっちの道は避け続けた
今まで何とかなった
結果として「英語が全く分からない人」になってしまったが
それはそれで良いと思っていた

まさかこの歳になって「英語を使うべき目的」が現れようとは

「英語を使うべき目的」即ちツアーガイドをあきらめるべきか
調べてみようと思う
自分で作ってしまっている壁はどの程度強固なものなのか
自分は本当に「英語が全く分からない人」なのか

やってみなきゃ分からんだろうと
実はもう英語の勉強を始めている

「英語が全く分からない人」では無さそうだ

とはいえ、目指すレベルが高すぎる
就職の時、アピールできれば良いというもんじゃない
英語ができます、ってツアーガイドの会社に入ったら
当然、外国人へのガイドを担当させられるだろう

外国人に英語でガイドできるレベル

今まで「英語が全く分からない人」だったのに
そんなの無理に決まっている

結論はほぼ見えているけど
「おい、でーこん、ぐだぐだ言わずにやってみりゃあ良いじゃないか」
と心の声が叫ぶ

今、どんな風に英語の勉強をしているか
今度、お話ししますね

[旅行]シリーズはこちら(少し下げてね)

[ことば日本史] 敵に塩を送る

「ことば日本史」戦国時代から

敵に塩を送る
甲斐の武田信玄と越後の上杉謙信は、
北信濃の領有をめぐって、信濃国水内郡川中島で、
長期間にわたり何度も激しく戦った。

信玄が北信を制圧する有利な展開ではあったが、
ともに兵力を疲弊させつつ、決着はつかないままになった。

その後、武田信玄は今川義元の子、氏真の領地をねらうが、
今川氏は北条氏と組んで、武田領へ通じる街道を封鎖してしまい、
甲州に塩が届かないようにしてしまった。
甲斐には海がないので塩を入手しようとすると、今川や北条の
静岡神奈川から運んでもらっていた

この民衆までも苦しめる作戦を知って義憤を覚えた上杉謙信は、
越後の塩を甲州へ送り届ける。
もう一方の日本海側からという事です
塩を入手するための残された道はそれしかないので
長年のライバル上杉謙信が、おおそりゃ良いこと聞いたと、塩をストップすれば
甲斐は滅びたかも知れません

謙信が信玄に送った手紙には、
「争う所弓箭(きゅうせん)に在りて、米塩(べいえん)に在らず」と書かれていたそう。
その荷を見た信玄は感激のあまり、思わず涙を落とした。

という有名な話ですが
実は江戸時代に創作された話。

敵が困っているときに助けることを表現するには
とても分かりやすいエピソードになるでしょう

困った人を助けようという感情は世界共通だとは思うが
こういう話が作られ、長く伝えられると
日本人たるものこうあるべし、みたいな価値観がより強くなり
国民性が形づくられるのかも知れない

ことばと価値観の結びつきを考えさせられることばだと思う

[ことば]シリーズはこちら(少し下げてね)