中野区を歩いてきました

[2026/4/9の事です]
お出かけしましょう
23区中、現在行っている数が61箇所で一番少ない区
中野区

西武新宿線、都立家政駅から鷺宮駅に向かっていきます
仙蔵院

とても立派な松があり、丁寧に庭が整備されていました

福蔵院
すごくきれいなお寺でした


これだけきれいに十三仏が揃っているのは珍しい

鐘楼に登れました

鐘楼からの景色

屋根に太陽光パネル

とても美しい庭

鷺宮八幡神社
隣の福蔵院と昔は一緒だったんでしょう

面白かったのは、絵馬
願い事別にかけるところが違い、上のパネルの形が違う

このあとは石仏巡りになります
白鷺2丁目庚申塚
5つもあります

明治20年代に疫病が流行した時に、
大変ご利益があったと伝えられる。
戦後しばらくは、子どもたちがいたずらをして倒して遊んでいたが、昭和30年頃整備され、地元の人びとが管理している。
一番古いのは延享3(1746)年のもの
何とか年を読み取ろうとしたとき、「大」の字が目に入った
大の付く元号か、何だっけ、と思いつつ、下の字
ん? 正?
江戸時代だとばかり思い込んでいた。
江戸より前は超レア
まさか、明治以降の大正時代になってまで、石仏を作ったんですね
初めて見ました

交通厄除け地蔵尊
交通事故が多発したので、厄除けとしてお地蔵さんを作った

何と何と、昭和12年に作られたものらしい
交通安全のお地蔵さんって日本初なんだって
大正時代の石仏を初めて見たと思ったすぐ後に、昭和のお地蔵さんがあったとは
各神社には当たり前に「交通安全」の御守を売っている訳だから
「交通安全」のお地蔵さんがあってもおかしくない

つげの木地蔵というのがあって、車が突っ込んだ事があり
以下のような短冊がかかっていると本にあった
「勿体なや御堂こわせしダンプ車をとがめ給はぬ石仏さま」
ぜひとも見たかったんだけど
いくら探してもの場所にお地蔵さんを見つけられなかった

子育地蔵
新青梅街道を南に渡り、住宅街の中を行くと、鷺宮4、5丁目の境、神社の東角にある。
宝暦9(1759) 年銘の地蔵尊 (丸彫)である。
施主の上鷺宮村の大野弥三郎が、子どもが育たないのでこれを建てたといわれている。

道を挟んだすぐ近くに、
台石が道しるべになっていて破損された地蔵尊(丸彫)と
延享2(1745)年銘の庚申塔 (笠付型、青面金剛)があった

願掛け地蔵
中杉通りを北へ、新青梅街道を越した練馬区との境に、2体の石仏がある。
大きい方の地蔵尊は正徳5(1715)年銘、
小さい方は造立年不明で阿弥陀如来と思われる石仏である。

祈願する人が頭から水をかぶって身を清め、
白装束姿で、夜中に祈願しながら
小さい方の石仏を倒すと、
大きい地蔵は、倒された小さい石仏を起こしてもらいたいために、願いごとをかなえるという。
願いごとがかなったら、祈願した人は、自分が倒した小さい石仏を起こしに行くらしい

続、孫がやってきた

孫がやってきた
の続きです

一夜明けて
今日は、新宿区にいる、娘の旦那様のお母さん、孫からするともうひとりのおばあちゃんのところに、孫ファミリーが遊びに行きます
向こうのお母さんとしても、東京に来たんなら孫の顔見せてよ、となります

午前中はこっちで遊んで、午後向こう
旦那様は仕事があるのでその後大阪に帰って
私が新宿区まで孫を迎えに行きます

朝はごきげん

カミさんはやっぱりすごいなあ、と思った
2人の子供を育て上げた「お母さん」のプロであるのに加えて
仕事で子供相手にしていますので。

ひっきりなしに赤ちゃん言葉で話しかけ、
どこを触ってあげると気持ち良いとかも分かっている
童謡とかもかけて一緒に歌って
プロはすごいなあ

こっちはずぶの素人
娘が赤ん坊だった頃なんて、完璧に忘れている

カミさんの見様見真似で
今度は、おじいちゃんですよ

娘はすっかり「お母さん」になっていた
昔、赤ん坊だった娘
なのに、自分が子供を産んで2ヶ月半たったら
もう、孫からすると頼りになる「お母さん」

幸せの絶頂って感じが満ち溢れている
孫を見てるのも嬉しくてたまらないけど
そんな娘を見ていると、これもたまらない

幸せそうだね、どう?

うん、楽しくて楽しくて

旦那様は3月末まで育休を取っていた
我々の若い時、父親が子育てのために1ヶ月くらい会社休むって
制度以前に発想として無かった気がする
1ヶ月はその目的に従い、ひたすら子供を可愛がった
確かに私に子供ができたとき可愛くて仕方なかったのは分かるけど
仕事が忙しくて、育児はほとんどやらなかった気がする
すごいわ
娘に聞いても、母乳をあげる以外何でもできるとのこと
「お父さん」が可愛がっているのを見ても、またまたほっこり
夫婦仲もより一層良くなっている気がする

カミさんも
娘も
旦那様も
みんな孫を中心にして
幸せ幸せ

赤ちゃんを見る機会って、もう何十年も無かったけど
不思議な動きをする
ひたすら手足を動かし続ける
ふとすると今度は一生懸命泣く
また、ふとすると今度は寝ている

その繰り返し
それを繰り返しているだけなのに
なぜこんなにも、周りの家族を幸せにできるんだろう

幸せの天才

[家族]シリーズはこちら(少し下げてね)

孫がやってきた

孫が産まれてから、2ヶ月半
カミさんは大阪に行きましたが
私はまだ会ったことがありませんでした。

娘夫婦と孫が、大阪からやってくる
連休までこちらにいるとのことです

大掃除
さあ、大変
カミさんは大ハリキリ
3人を迎えるために、部屋の大掃除と模様替え
私にもバンバン指示が飛びます

えっ、何すんのよ
障子がところどころ破けています

障子張り替えといて
なんとごむたいな
果たしてハイハイもできない孫を迎えるために
障子を張り替える必要があるのでしょうか

大変な思いをして障子も張替え

おむつや、おもちゃや、ふとんや、
色んなものを買い揃え
チャイルドシートもレンタルして
さあ、いつでもいらっしゃい

やってきた
大阪から9時間かけて、孫ファミリーが車でやってくる
夜遅くに、近くから電話が来て、お迎えに駐車場まで

いらっしゃい
お疲れだったね

はじめまして
おじいちゃんと言います

うーん
こりゃ可愛い
毎日送られてくる写真と一緒
しかも、動く

よく頑張ったね
疲れたね

カミさんがおむつを変えて
お風呂に入れてあげる

はい、タオルをこうやって、抱きとめてね
初抱っこです
おおっ、なんとも言えない幸せ
いい子だいい子だ

その後、カミさんがお着替え
諸々の片付けを終えて戻ってきたお母さんにバトンタッチ

眠たくなったのか、ぐずって泣いたけど
お母さんに抱っこされて、やがてすやすや
疲れたろうから、早く寝かせてあげましょう

娘夫婦とも可愛いよね談義を若干して
疲れたでしょう
お風呂入って、もう寝てちょうだい

さあ、明日から、孫のいるにぎやかな我が家になります

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中央区を歩いてきました

[4/8の事です]
新富町にちょっとした用事があってお出かけ
せっかく都心に来たのだから、GoogleMapで「行ってみたい」にマークしてあった場所を潰していきましょう

新富稲荷
明治維新後、外国人居留地の外国人向けに、このあたりに新島原という遊郭が作られた
でも、あまり利用されず、2年9ヶ月で閉鎖になった
このすぐ西に歌舞伎の守田座が作られた

この建物素晴らしいなあ

こっちの足袋屋さんも

江戸湊
江戸時代のはじめ慶長年間に湊が開かれ、水運の中心として賑わった。
その後も伊豆七島などへの航路の出発点として、昭和11年まで使われた。

霊岸島検潮所・量水標跡
日本各地に標高○○という表記があるけれど、どこからの高さなんだろう
はーい知ってます。国会議事堂の近くに水準点があります、行ってきましたよ
と、思っておりましたが
さらにその前があった
海面から、なんだけど、その海面って潮の満ち引きで上がったり下がったり
平均をとってはいこれが海面の高さね、って事になる、その正確な測量が霊岸島で行われた
今は、その役割が三浦海岸油壺の観測所に移ったらしいんだけど
跡地に作られたモニュメント

さらにその近くに水準点「交無号」と言われる印
国会議事堂の近くの水準点は、ここから測量した
交無号とは交差する「交」と0という意味の「無号」による

民営洋式造船所発祥の地
1853年に水戸藩が石川島造船所を創設した、日本における近代的造船業の発祥地です。
1876年に平野富二が民間の造船所として再出発し、近代的な蒸気船などを建造しました
って事でかなり頑張って探したんだけど、碑が見つからなかった
水戸藩の徳川斉昭、15代将軍徳川慶喜のお父さんが黒船来航のあと軍艦作ったところだから、どうしても見たかったんだけど
このあたり

本当はこんな碑があったはず

かなり歩いたけど、ここまで来るとさらに欲が出てくる
月島を越えて勝どきまで行ってみよう
勝どき・豊海歴史資料展示館
中央区まちかど展示館のひとつ
月島第二児童公園というとても広い公園の中にある
まといや神輿や山車が飾ってある



十返舎一九の墓
東陽院というお寺に、弥次さん喜多さんの東海道中膝栗毛を書いた十返舎一九の墓がある


ただ、墓があるという碑はあるんだけど墓地がどこにあるか、その入り方がどうしても分からなかった

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