江戸の肉食

江戸検定で間違っちゃった問題シリーズです。

【24】江戸時代には、獣肉をまったく食べなかったわけではなく、
牛肉の味噌漬けを将軍家に献上していた大名家もありました。
それは、次のどの家でしょう?
い)宇和島藩伊達家
ろ)加賀藩前田家
は)彦根藩井伊家
に)米沢藩上杉家

答は最後です。

牛肉
昔の日本人が牛肉を食べていたかという事に関して言うと
非常に微妙。

太古の昔は、狩猟をしていたのだから肉全般は食べていた。

ところがある時期から公式には食べなくなった。
仏教伝来です。

肉は食べちゃいけません

ただ、公式には、と言ったのには意味があって

そういうことにはなってはいますが
本当は食べています
という資料は残っている。

江戸時代
公式には牛は労働力でしかないんですが
特別にある藩だけに許されたことがあります。

彦根藩にだけ、牛の屠殺が許された。
元々武士にとって牛の皮は鎧や鞍などを作る材料だったんです。

ただねえ
皮だけ取って、肉を捨てちゃうというのもどうなんでしょう。

花木伝右衛門(はなきでんえもん)という彦根藩士が
本草網目(ほんぞうこうもく)という本の中にある一節を発見する。

牛肉は体によろしい

おおっ
じゃあ、余った肉は捨てずに薬を作れる。
作ったのが「反本丸(へんぽんがん)」

良薬口にうまし

この反本丸が、即牛肉の味噌漬けなのかは分かっていませんが

牛肉は薬
という公式見解となり
それならばということで
彦根藩から幕府や主要大名に牛肉の味噌漬けが贈られるということが始まります。

幕末
幕末になって彦根藩の大物が大老になります。
井伊直弼ですね。

井伊直弼はかなり信心深い仏教徒

何と、牛肉の味噌漬けを贈るという習慣をやめてしまいます。

牛肉の味噌漬けが大好物で、毎年楽しみにしていた人がいます。
水戸藩のこれまた大物、徳川斉昭(なりあき)

ちょっとちょっとそれはないんじゃないの
薬ですよ薬。

そこをなんとかうちだけにでも、とお願いしたが
ダメなものはダメ
しつこいなあ


安政の大獄

こっちも頭に来た

桜田門外の変。

えっ? 牛肉の味噌漬けが原因なの?

もちろん原因の中のひとつではありますが
意外に「食べ物の怨み」みたいなのが歴史を変えるのかも知れませんね。

皮肉にも、井伊直弼の行った開国で
外国人からのオファーが殺到し
彦根藩の近江牛はそのあとバンバン儲かることになります。

◆◆◆答◆◆◆
は)彦根藩井伊家

これ難しかったなあ。
全く初耳。

肉はほとんど食べていなかったという話題は、牛乳の話の時にやりましたが
逆に時々は食べていた訳で
そっちまでは分からなかった。

そういう場合は、どうせ1/4なのだから
馴染みのある藩にしちゃうおうかなと。
上杉鷹山で、米沢藩上杉家はやったので
米沢牛は有名だし、と米沢藩上杉家と回答しちゃいました。

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