[名僧] 曲直瀬道三と施薬院全宗。お坊さんにしてお医者さん

名僧シリーズ。
時代は戦国時代です。

曲直瀬道三(まなせどうさん)
1507~1594年
昔から医学というのは、薬だけ。切った貼ったはずいぶんあと
薬草の知識をどれだけ多く習得しているかが問題。

薬草の書物は中国からの輸入もので、全て漢字
漢字ばかりの本をスラスラ読めるかが最も重要
一番有利なのは、朝から晩まで漢字だらけのお経を読んでいるお坊さんが最も有利

ってことで、お医者さんは、みんなお坊さんでした。
病は気からつてぐらいだから
呪術で治すって技も組み合わせます。

うまく治ったらありがたやって事で仏様を信じてくれるしね

そんな不可分一体の僧と医者を分けたのが曲直瀬道三(まなせどうさん)
もちろん元はお坊さんなんだけど
お医者さんとしてだけでやっていける程になった初めての人

8歳で出家したあと、徹底的に中国の古典を読みあさる

そして運命の出会い
中国・明帰りの医者、田代三喜(たしろさんき)と運命の出会い

中国の金・元王朝時代の名医である李杲(りこう)・朱震亨(しゅしんこう)の医学(略して李朱医学)を日本に紹介した人。
李朱医学の特徴は「体力を養うことで病気を防ぐ」というもの
考え方、合ってますね。

三喜の元で10年も修行したのち
とうとう還俗(げんぞく)
完全にプロの医者としてデビューします。

足利義輝、細川晴元、三好長慶、松永久秀といったこの時代の権力者たちの病を癒します
毛利元就、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康らも道三の治療を受けたようです。

啓迪院(けいてきいん)という医学校を作り、多くの後輩たちを指導
「後世家」という一派を形成し、長らく医者の中心派閥でありつづけます。

本もいっぱい書きました
『啓迪集』

うーん。せっかくの日本人なのに漢字ばっかり
『薬性能毒』

こっちは多少カタカナも
『弁証配剤医燈』『百腹図説』
図説ってあるから、絵があるかなと期待したんだけど
残念!ネットで検索しても画像が出てこなかった。

施薬院全宗(やくいんぜんそう)
全宗(ぜんそう)は比叡山で頭角を現し、薬樹院の住持となる

ところが、例の大事件が起きちゃうのね

織田信長による、比叡山皆殺し

女性も子供も無関係に皆殺しにされた状況を見て、多くの事を思ったでしょう。

還俗して、次に選んだ職業がお医者さん。
曲直瀬道三に弟子入りするんです。

お医者さんとして有名になり、秀吉の耳に入る
専属のお医者さん。
もとお坊さんなので外交僧的な役割もちょこっと

天下人に仕えるとなると、ある程度やりたいこともできるかも
どうしても頭から離れないのが、比叡山の事
ずっと仏教界の頂点にいた訳ですから。

比叡山延暦寺を復興したいんですけど。

あっそう
いいよ

そして、もうひとつやりたかったこと。

時代はずいぶん遡るんだけど、聖徳太子の時代

施薬院(やくいん)というのがあって、聖徳太子が作ったといわれる病院でした。
薬草を栽培して、多くの人たちの命を救う
でも、そのあと廃れちゃっていた。

やくいんと読むのね
「せ」は、どこに行っちゃったのか。

この歴史的な施設を復活させたいんですけど。

あっそう
いいよ

もちろん院長は全宗
名前も施薬院全宗に変えちゃいました。

[名僧]シリーズはこちら(少し下げてね)

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