掘割を辿ってきました
掘割を巡ってきました、の続き
掘割を巡ってきました、の続きの続き
の続きです
原胤昭(たねあき)
茅場町の駅のあたりに江戸から明治にかけての最後の与力、原胤昭(たねあき)の邸宅があった
明治になってキリスト教を信仰
日本で最初にクリスマスパーティを開いた日本人
浮世絵商を営むが、その時販売した浮世絵が反社会的と逮捕され、石川島監獄に入れられる
その監獄内でひどい仕打ちをうけたことが大きく人生を変える
監獄の改良を主張し、教誨師としての活動を始めた。
前科のある人たちは社会的な偏見や差別を受けるため、再犯が多いと考え、
更生保護施設を設立し、1万3千人を超える出獄人を保護した。
児童虐待撲滅にも取り組んでいる

日本橋川
いよいよ日本橋川にやってまいりました


徳川家康が、関八州を豊臣秀吉からもらい、一番最初に手掛けたのが、平川の付け替えです
江戸城はボロボロでしたが、その建て替えや改修には目もくれず、
関ヶ原より前

日比谷入江という湾が広がっていてそこに平川が流れ込んでいたが
日比谷入江を埋め立てるためには、平川の流れを除けておく必要がある
流れを変えたのが日本橋川となる
そのうえで、次の段階で埋め立てや江戸城をするため、船を付けられるよう道三堀も掘っておく

時代がずーっと流れて昭和の戦後
東京内の渋滞が深刻な事態になって、高速道路構想が持ち上がる
とはいえ、もうほぼ出来合っている東京の街にそんなのどう作る?
残っているのは運河の場所
ここなら公共の場所だから立ち退き料もいらない

とうかん堀
日本橋川を過ぎて次に辿るはとうかん堀の跡
なぜ「とうかん」かというと2つのお稲荷さんがあるから
稲荷を音読みすると「とうか」。ちょっと訛ってとうかんになった


1つ目のお稲荷さんは、明星稲荷神社
今は小さなお稲荷さんだが、どっこいとても由緒正しい
元々は太田道灌が江戸城の中に作ったお稲荷さんで、それがここに引っ越してきた

もう一つは銀杏稲荷
巨木ファンの私としては涙ものの神社
樹齢何百年かの大銀杏は関東大震災で焼けてしまったが、それでもこれほど

この辺りは最初、老中田沼意次(たぬまおきつぐ)の屋敷になり、
その後、播磨姫路藩の酒井雅楽頭(さかいうたのかみ)の広大な屋敷
大老も務められる名門中の名門
明治になって北側が西郷隆盛の屋敷になり、南側が越前福井藩だった松平茂昭(もちあき)の屋敷になる
掘割を巡って
いっぱい掘割を巡った
掘割は江戸時代に交通の中心で、江戸は水の都だった
明治になって、道路や鉄道が発達したから、掘割は埋め立てられたと単純に考えがちだが
そう単純なものではなかった
明治大正を通じて交通の中心であり続けたし
大正時代に新たに掘られたものもあった
そんな中でもやむを得ず、という時が2回
関東大震災後の瓦礫処理と東京大空襲後の瓦礫処理
そして、高速道路を作る必要に迫られての埋め立てもあった