[伊勢] 伊勢神宮と仏教。

伊勢神宮にとって、仏教とは何で
仏教にとって、伊勢神宮とは何だろう。

神仏習合
江戸時代以前は、神道と仏教は友達だった。
神仏習合。

四文字元号時代の天平神護2(766)年
「伊勢の大神宮寺」についての記述がある

神仏習合の時代には、神社には神宮寺というものが作られていた。
神宮寺とは、神社に付随するお寺の施設
その中で、特に神社を管理統轄する権限を持っているのを別当寺という。

今の伊勢神宮には、どこを探しても仏教の施設はないけど
昔はあったんですね。

ただ、伊勢神宮では、少し仏教的なものを別にしようという意識も働いていた。

宝亀3(772)年には、西に離れた飯高郡度瀬山(現在の松坂市)に移され
その8年後にはさらに遠くに移される。

平安時代になると、伊勢神宮内の仏教用語も別の言葉に変えたりしている

僧侶などは神前に参る事が出来なくなり
二の鳥居までしか行けなくなった。

ただ、伊勢神宮が全面的に仏教色を排除した訳ではない
南北町時代には、真言宗の祈祷所が境内内にあった。

伊勢神宮に仕える神官も個人的には仏教を信仰していた。

伊勢神宮の東北には、朝熊ヶ岳(あさまがたけ)という山がある
そこには、金剛證寺(こんごうしょうじ)というお寺がある
「伊勢を参らば朝熊を駆けよ。朝熊駆けねば片参り」とまで言われている。

この金剛證寺の経筒で、伊勢神宮の内宮の神官荒木田氏と外宮の神官度会氏の
奉納したものが見つかっている。

天照大御神
神仏習合では、本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)というのがあります。
神道の神様は、仏教の仏様が、姿を替えて日本に現れたものだと。
現れた神様を権現(ごんげん)と呼んだりします。

神様の親玉、伊勢神宮の天照大御神(アマテラスオオミカミ)は誰なのかなあ
当然一番偉い人(?)なので、釈迦如来だと思いましたら
観音菩薩だと。
えっ。菩薩はないでしょ。せめて如来。

そんな私の声が届いたのか
途中から変わってきたりします。

大日如来

なるほど真言宗ね

仏教って面白いというか不思議というか
他の一神教のように、唯一絶対的なものを作らない。
釈迦如来がドーンといて、って感じじゃない。

お釈迦様自体が、そんなふうな扱いをしちゃだめよ、って言ったこともあるんだけど。

各派色々分かれる中で、空海の真言宗は
釈迦如来より大日如来の方が偉い、ってことにしちゃう。

それもどうなの?とは思いますが。

浄土宗、浄土真宗では、どちらかというと、釈迦如来より阿弥陀如来ですしね。

伊勢神宮では、空海の真言宗がかなり強く影響していたということが分かります。
さっきの金剛證寺も、今は臨済宗に改宗しているんだけど、元は真言宗でした。

さらに、両部神道(りょうぶしんとう)という考え方が出てくる。
内宮の天照大御神と外宮の豊受大御神は両方とも大日如来
胎蔵界(たいぞうかい)と金剛界(こんごうかい)の違い。

胎蔵界は「胎」ってくらいだから、優しく受け入れる感じ。
金剛界の金剛とはダイヤモンドの事だから、最強のガチガチ
胎蔵界は女性的なので、天照大御神
金剛界は男性的なので、豊受大御神

明治になって廃仏毀釈になると、こういう考え方も全部なくなっちゃうんですけどね。

復興
前回の伊勢神宮の式年遷宮の話で、コメントをいただきました。
内宮の近くの慶光院の尼さんたちが、100年近くも式年遷宮がなされず
荒れ果てていた伊勢神宮を何とかすべく立ち上がった。

それはすごい話だ
調べてみました。

慶光院の尼僧、清順が中心になって再興運動を行い
ついには実現した

そもそも、伊勢神宮内宮は荒れ果てて焼失していたという事なので
慶光院の尼僧は伊勢神宮にとって命の恩人
仏教の力なくして伊勢神宮なし、と言えます。

[神社]シリーズはこちら(少し下げてね)

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