後二条天皇
大覚寺統 1301~1308年

鎌倉時代も終わりが近づいてまいりました。

しめ縄が落ちたという訳の分からない理由でたった2年で交替させられた後伏見天皇
今度はまた大覚寺統の後二条天皇。
じゅんばんこ原則があるので次(皇太子)は持明院統。
関心事は、次の次
また大覚寺統に戻ってきた時に誰を天皇とするか
若い後二条天皇にはまだ皇子がいない。
大覚寺統の大ボス亀山法皇は、孫にあたる、後二条天皇の弟、
尊治王(たかはるおう)に決めた。
後の後醍醐天皇です。
待ってれば後二条天皇にも息子が生まれたかもしれないけど
早く決めたかったんでしょうか
分かったな
大覚寺統の面々を納得させ一件落着
ところが、想定外の事が起きる
なんと、亀山法皇おじいちゃんに、実子が生まれる
名は恒明親王(つねあきしんのう)。
お盛んです。
自分の子供が可愛くなった。
方針転換ーっ
この前言ったのは嘘
次の次は恒明親王だからね
分かったな。絶対だぞ。
そう言って亡くなった。
後宇多上皇としては、自分の息子、尊治王(後醍醐)の方が可愛いに決まっています。
恒明親王?
おじいちゃんそんなこと言いましたっけ
私にはよく聞こえませんでした。
いらん火種がまた出来てしまいました。
ただでさえ、両統に分かれていがみ合っているのに
さらに大覚寺統が真っ二つ
もう一度、後二条天皇の話に戻しましょう。
この天皇の治世、徳治2 (1307)年、たいへんな凶作だった
さらに不運なことに、疫病まで流行した。
天皇の不徳のいたすところだ、という声が高まる。
しめ縄が落ちたぐらいで譲位せよと大騒ぎするのだから
これは立派な交替すべき原因
そうなると、次の次すなわち皇太子を明確に決めなければならなくなります。
さあ、どうしましょう。
敵の敵は味方と言います。
持明院統としては、敵の内部でもめてくれた方がありがたい。
恒明親王一派と手を握ります。
例によって、関東への馬比べ
幕府にこっちに味方になってもらおうと、強烈な運動が繰り返されます。
たまたま、一方の後醍醐天皇がとてもやり手の天皇だった。
この分裂騒動が、後醍醐天皇をして相手に味方しようとする幕府に対する反感
そして倒幕へと動く理由になろうとは。