「ことば日本史」シリーズ、戦国時代から
三日天下
1582年、本能寺の変で織田信長を討った明智光秀は、
京都に入って天下を掌握。
しかし、わずか11日後の山崎の戦いで羽柴(豊臣)秀吉に敗れ、
逃走の末に討たれた。
このことから、実際の天下は「三日間」ではなく約11日間だったものの、
「三日」と表現されることで短さが強調されている。
光秀を生んだ岐阜県では、伝説が伝わっている
光秀の母は、懐妊したとき、岩の上に立って水垢離しながら、
と祈った。
「たとえ三日なりとも天下を取るような男子を授けたまえ」
短期間だけ政権や権力を握ったものの、
すぐに失脚してしまうことを指す言葉として、一般的にも使われる
明智光秀は本当に天下を取るつもりだったんだろうか
私は個人的に、本能寺の変は日本史三大謎の一つだと思っている
こういった謎は、色んな人が説を展開するものなので
いくつか紹介してみましょう。
1. 野心説(天下取り説)
「光秀は自ら天下を狙っていた」
光秀は織田家の重臣の中でも高い地位にありましたが、
織田信長の下ではこれ以上の出世が望めないと考え、
自ら天下を取るために信長を討ったとする説。
2. 怨恨説(個人的な恨み)
「信長の過酷な仕打ちに耐えかねた」
信長は短気で気性が荒く、家臣に対しても厳しかったことで知られています。
光秀も何度か信長に冷遇され、屈辱を受けたとされています。
けっこうこの説が一般的でしょうか
3.黒幕説
「謎もの」には黒幕説ってつきもの
黒幕は誰かについては、その事件で結局は一番得したのは誰なの?
って発想から名前が上がっていきます
織田信長が死んで得する人
(1)朝廷
織田信長は朝廷を軽視していたようなので、そういう説が生まれます
(2)豊臣秀吉
単純に、織田信長の次に天下を取ったのは、秀吉だから、って発想ですが
光秀は秀吉に討たれた訳ですからね
この説だと、秀吉が光秀をそそのかして信長を討たせ
その後、さらに秀吉はその光秀をうってところまで計算していたということになるのでしょうか
(3)徳川家康
これはまた、大胆な説
まあ確かに、秀吉のさらにあとに天下を取ったのは家康ですが
そこまで遠大な計画をしていたのだろうか
まあ、歴史学者じゃない我々一般人は結局正しい答えなんて
最後まで分かりっこない。
一番面白い説を信じるっていうのが歴史を楽しむ方法だろうと思う
まあ、誰かに迷惑がかかるわけではないからね
とはいえ、私としては、やはり一般的に言われている怨恨説が中心ではありますが
単純な怨恨だけではなく、他の理由もあった複合的なものだったんだろうと思います。