英語ペラペラで、いかにもインテリって感じでした
やはり、外交面では足跡を残したけれども
政治腐敗の問題で足元をすくわれる
自民党分裂で、ジエンド、という結末になります。
宮沢喜一

海部後の総裁・総理選びも、また竹下派主導となった。
象徴的だったのは、竹下派の小沢一郎会長代行が、
派閥事務所に宮沢喜一ら総裁候補を呼んで面談したことだ。
宮沢は72歳にしてようやく総理になる。
懸案の国連平和維持活動(PKO)協力法案は、
1992年(平成4)6月の通常国会で公明、民社両党の協力を得て一部修正のうえで成立。
9月には自衛隊がカンボジアに派遣された。
7月の参議院選挙で自民党は70議席を得て、復調をはたしている
しかし、東京佐川急便事件に絡み、
竹下派の金丸信会長が5億円の裏金を受け取っていたことが暴露され、議員辞職。
金丸会長の後継者をめぐる内紛で、竹下派から12月に小沢一郎と羽田孜が離脱。翌1993年(平成5) 3月、金丸は巨額脱税事件で逮捕、起訴される。
自民党はいよいよ政治改革を迫られ、
同年4月に単純小選挙区制を柱とする政治改革法案を提出。
宮沢総理は通常国会中に「改革を必ず成しとげる」と発言したが、
竹下派の梶山静六幹事長が「改革は次の参院選後」と一蹴。
これに自民党内の改革派が反発し、
野党が出した内閣不信任案に同調、可決されてしまう。
宮沢総理は衆議院を解散するが、
その直後に自民党からの大量離党が発生し、
新党さきがけ、新生党が結成された。
選挙結果は自民党が223議席と過半数に届かず、
野党の7党1会派が連立したため、
自民党は1955年(昭和30) の保守合同以来はじめて、
政権の座を明け渡すこととなる。
