今度の日曜日、添乗で群馬県沼田市の吹割の滝に行きます
だいぶ前になりますが吹割の滝にはカミさんと行っていて
最初、えっ、これ滝? と思ったんだけど
確かに滝だよな
これぞ滝
と印象が変わっていき
「一番好きな滝は?」と聞かれると
吹割の滝! と間髪入れずに答えています
今、私の中での「滝」は
「吹割の滝」と「その他の滝」です
概念が違うんです
そんな吹割の滝
大興奮なので徹底解説したいのですが
40分しかない
浮島観音堂まで寄ってしまうと、普通に回っても30分らしい
添乗員としての手続があるのでギリギリです
男性である私は
ツアーのバス旅行に参加すると
なんで土産物屋ばっかり寄るのよ
と思っていましたが
添乗員になってみると、逆だということが分かりました
特に女性は、土産物が大好きらしい
土産物ショッピングに、いつどれだけ時間を取ってもらえるかという質問が一番多い
バス駐車場のある土産物屋で時間を取らなきゃいけないので
解説はそこそこにせざるを得ません
フラストレーションを解消すべく
このブログで事前説明することにいたしましょう

浮島観音堂
大回りしてしまうと1時間かかるので、浮島観音堂にちょっと寄ってから
短い方を一周する予定
納められている浮島如意輪観音(うきしまにょいりんかんのん)は、
かの有名な左甚五郎(ひだり じんごろう)が作った仏像
左甚五郎は、日光東照宮で「眠り猫」をはじめ数千の彫刻を完成させた
その後、何度か日光東照宮に訪れているのですが
その帰りに、この近くの、追貝宿(おっかいやど)に泊り
一夜にしてこの観音像を彫りました。
ずっと白木の観音像だったんですが
明治26年、ある者がこの観音像を前橋の石丸という塗師の家へ持参して、
金箔に塗ってくださる?
ええよ
ところが何があったのか、そのままいつまで経っても引き取りに現れませんでした。
石丸家はいつ取りに来られても良いように、大切に保管
代々引き継いで、昭和になりました。
昭和20年8月5日の前橋大空襲の際には石丸家も全焼しましたが、
その寸前に奥さんが、大切な家財と一緒に観音像をリヤカーで運び出し、
間一髪で焼失をまぬがれました。
とうとう昭和27年、大勢の人たちに迎えられてこの地へ帰って来たんです
綺麗な金箔塗りでした

ただその時は、この場所ではなく、追貝の海蔵寺(かいぞうじ)に仮安置されていました
平成2年4月26日、浮島橋が開通
その日、ようやく97年ぶりにここに安置されました。

吹割の滝
千畳敷を経て

吹割の滝でーす
写真だけじゃ迫力が分からないんですけどね

横からしか見れないんですが、それでも大迫力
上から見るとこんなふうになっています

吹割の滝の滝つぼは、竜宮へ通じています。
村で祝儀などの振舞ごとがあった場合
「何日に○○膳お願いします」と手紙を書いて滝に投げ込むと、
渦に巻き込まれて深い竜宮へと吸い込まれていき、
前日には頼んだ数の膳椀が傍の岩の上にきちんと置かれていました。
三日のうちにお礼の手紙をつけて、もとの岩の上に置けば
いつの間にか見えなくなり、竜宮へ返されていたのです。
ところがある年のこと、借りた膳椀を返すときに数を間違えて
一組だけ返し忘れてしまいました。
それ以降、いくら丁寧に頼んでも借りられなくなってしまったということです。
今、この膳椀は竜宮の椀とよばれ、大切に保存されています。

どうかなあ
どの程度話せるだろうか