慶喜、開国論隠して一人芝居

徳川慶喜(よしのぶ)シリーズ第二弾です。

後見職
世間の風潮がどんどん慶喜待望論になっていきます。

1862年、7/6
徳川慶喜が、将軍後見職に
松平春嶽が、政事総裁職に
就任します。

ここは、力関係の大きな転換を意味します。

江戸260年の歴史の中で
ほとんど意味をなさなかった、天皇(朝廷)

尊皇論の後押しを受け
朝廷が幕府の人事に口を出した、という事です。

ここから、実質的な将軍は慶喜ということになります。

松平春嶽
松平春嶽(しゅんがく)慶永(よしなが)は越前福井藩の藩主です。
一つ橋派の中心人物です。

政事総裁職は、内閣総理大臣みたいなものですから
大出世のように思いますね。

どうもそうではなく、本人やその取り巻きはかなり抵抗。
江戸時代の政治システムの大転換なのです。

江戸時代の大臣である老中は譜代でしかなれません。
単純な言い方をすると家康の家来。
商店で言うと番頭さん。

一国一城の主からすると
そんな扱いをされることは、侮辱されたということになります。

攘夷派のアイドル
外交方針を決定せざるを得なくなる
国中でどんどん攘夷派が広がっている。
松平春嶽は、ここは攘夷派に合わせて攘夷を言わないと
おさまりがつかないだろうと考える。
慶喜は、幕府のふぬけぶりが気に入らない攘夷派からはアイドルの
ように扱われている。

松平春嶽が、慶喜に
攘夷ってことでよろしいですよね。

あほか!
開国に決まっとる。

愕然とする。
ボロカスに言われる。
条約を結んでしまっている今
いかに攘夷論が馬鹿げているか
とうとうと説明される。
ぐうの音も出ない。

でも、そうなんだったら
井伊直弼に文句言いに行かなきゃ良かったのにね

松平春嶽も説得されて開国論に転ずる。

問題はその時の全国的情況。
攘夷派の広がり。
慶喜が愛してやまない天皇がガッチガチの攘夷論。
なぜかと言うと、情報をちゃんと伝えていない。
ペリーの顔を鬼のような天狗のような顔に書いた浮世絵を見ただけ。
外人怖い。

公武合体で攘夷しますと約束もしちゃってる。

直接、京にのぼって説得してくる。

これには、回りが大慌て。

慶喜も、
今はちょっと無理かな。

再度、春嶽を呼んで

この前の開国論だけど・・
内緒にしといて

一旦、攘夷を装います。

支持者
慶喜の真の支持者は、いわゆる三賢侯だけです。
越前の松平春嶽、土佐の山内容堂(やまうちようどう)、伊予宇和島の伊達宗城(だてむねなり)
この三人は開国論。

いよいよ、具体的に催促。
何月何日に攘夷をするのか

仕方がない

五月十日。

すでに四月十九日。
あと二十日しかない。

ここから、慶喜の一人芝居が始まる。

私は、準備のため江戸に帰る。

わざとゆっくり江戸へ。
戻ったのは五月八日夜。

老中等、主要メンバーを集めて

朝廷より、攘夷するようにとのこと
五月十日に、攘夷をしなさい
以上。

みんなは、口ぽかん。

質問はさせず、さっと座を立つ。

みんなはどうしたもんかと話し合っているうち期限が過ぎる。

四日後の五月十二日にまたみんなを集める。

思うところあって後見職を辞する。手続きをするように。
以上。

さらに、京の関白へ向けて手紙

かねてから、抵抗が大きかったので
差し違える覚悟で向かいましたが
役人たちの誰一人として動きません。
かくなるうえは後見職を辞職させていただきます。

芝居の結果
結果、
まあそう言わずにとなり、朝廷側には一旦おさまった。

見事な芝居。

ってことではありますが
頭が良すぎる上でのこういったやり方が
少しずつ、不信感を募らせることになります。

中川宮邸にて
朝廷側への工作のため、色んなことをします。
その中で、朝廷の側のひとり、中川宮のところに訪れます。

一緒に行ったのが、
先程話した三賢侯に薩摩の島津久光(しまづひさみつ)。
四賢侯です。
島津久光は一橋派の中心人物です。

例によって、とうとうと大演説。
言い返せるはずがありません。

不幸にも酒が入っていた。
島津久光のことを罵倒してしまった。

薩摩はご存じの通り、途中から
慶喜の最大の敵に回る。
当初から裏で、独自の動きをする。

その事を突いた。

それを皮切りに三賢侯をことごとくなじっていく。
松平春嶽は、とても温厚なので
かなり長く、ついていくていは取りますが
気持ちはこの時に離れてしまったと言っていい

自分は、酔いつぶれてしまう。

もともと、幕臣は敵だらけ。
みんなに嫌われている。
謀反を起こそうとしていると思われている。

とうとう、真の味方をも、自らの行動で失ってしまう。

家茂
家茂は実に性格が良い。
みんなに好かれる。
対比になる。
家茂が好かれれば好かれるほど
慶喜が嫌われる。
ただ、仕事を実際にバリバリやっているのは
誰の目から見ても慶喜。

ある日、家茂が側近に質問した

慶喜が謀反を起こそうとしているのは本当か

いえいえ、とんでもございません。

家茂は自分の言葉を恥じた。
それが家茂の良いところ。
辞表を提出しちゃいます。

この事が、さらに、慶喜憎しの風潮をあおることになる。

そして、この言葉が慶喜の耳にも入る。

もはや、上様にまで・・
自分がどう思われているのかつくづく悟る

こんなふうに思われてまで
私は何で頑張っているんだろう。

仕事
確かに嫌われているのは慶喜の自業自得の感がある。

でも、自問自答し
ここまで嫌われて何で頑張る

でも、自分の目一杯の仕事をする。

こんな将軍後にも先にも初めて。

この後も、色々あって奇っ怪極まるんだけど。
人間としてどうなのかって部分が多々あるんだけど

嫌われようが何しようが
自分しかいないんだし
って

私の中では
良いとか悪いとかじゃなく
この人は特別なんです。

この後も、まだ続きます。

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