50音表ってそんな昔から有ったのか

以前、いろは歌について書いたことがありますね。

隠された暗号の話とか、とても奥深い仏教的な意味とか。

そこからすると、せっかくのいろはにほへとを捨て去って
50音表なんぞにしてからに。

明治政府とか、戦後のGHQとか、何してくれんねんと思っておりました。

ところがです。

50音表がイコール新しいって訳でもないって分かってきました。

いろは歌についての補足
50音表に入る前にいろは歌について、もうちょっとだけ。
いろは歌について、この前以降に得た情報をお話ししますね。

いろはにほへとが最初に現れた資料は、1079年の「金光明最勝王経音義」
その時は、漢字で書かれていた。
いろはにほへとって、ひらがなが大前提のイメージだったけど
そうじゃないってことになる。

ただ、実は、その前の宇多天皇の子、斉世(ときよ)親王が作った
サンスクリット語の辞書はいろはの順になっている。
927より前にもうあったということ。
とすると、ひらがなが作られたのとほぼ同じ時期なんです。
ひらがなと同時にいろは歌も作られた。
すごいと思いません?

金光明最勝王経音義では7文字ずつで区切られている。
と言うことは
ほぼ最初っから
とがなくてしす

ところで、この咎なくて死す、だけど
新しい説を見ました。
無実の罪で死んだ人が恨みの気持ちを暗号として
って話しましたが
そうじゃないという説。

咎なくては、罪を犯すことなく
自分に恥じるような事は何もせず
一生を終えるという
あるべき人間の生き方を説いたのだという

う~ん、良いじゃない、この説

50音表
さあ、50音表に戻りましょう。
なんとなんと、いろはが最初に書かれた資料、
1079年の「金光明最勝王経音義」に50音も書かれているのです。

どっこい、50音表もほぼ同じ古い歴史と由緒正しい経歴がある訳です。

ここには、
ラレロルリ ナネノヌニ マメモムミ アエオウイ ワヱヲフヰ ヤエヨユイ
ハヘホフヒ タテトツチ カケコクキ サセソスシ
と書いてある

そして、平安末期になり
今と全く同じではありませんが
かなり近い50音表を作ったのが、天台宗のお坊さん明覚(めいかく)です。

明覚は仏教のオリジナル言語であるサンスクリット語の研究をしていったんですが
サンスクリット語の発音の仕組みから類推して、
今度は日本語の発音の特徴も研究していった。

そこで発見したのが、アイウエオ
この5つは全ての文字に通用する音の響きである。
そして、その原則から
日本語の文字を整然と並べかえられるのだと。

さっきの金光明最勝王経音義も5つずつ区切られていて
母音がアエオウイの順で並んでいるので
ほぼ、近い理解はしていた可能性が有りますが
明確にアイウエオを共通のものとし
縦横に並べたのは明覚。
明覚だけに明確。

今の50音表は
アカサタナハマヤラワ ですね
その時の50音表は
アカヤサタナラハマワ の順に
並んでいます。

これは、五音(ごいん)、五音図として受け継がれ
江戸時代に今の五十音図の並びになったそうです。

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