[旅行] 富士山は4層構造

今度、忍野八海とともに富士山五合目に添乗に行くので
富士山について調べてみました

富士山


見た目の話は何ら解説の余地はありません
ただただ美しい
ああ、この富士山が見れる日本に生まれて良かった

出来た経緯や中身の話をしましょう
経緯
なぜ富士山は不二(ふじ)即ち唯一無二なのか
特殊な場所にある事に関係します

以前、港区の気象科学館に行ったときに、噴火の仕組みについてお話しました
気象科学館に行ってきました
プレートがぶつかり合って、一方が下に入り込むとき
海水が巻き込まれ
その水分が要因でマグマが発生。
比重が軽くなるから、地中で浮き上がっていってマグマ溜まりが発生し
どんどん圧力が加わって、ある時爆発する

そのプレートが富士山の場所では、
3つのプレートの境なんです

これだけ見ても爆発しそうです

4層構造
結構噴火するわけですが
その中でも、山の構造そのものが変わるほどの大噴火が
地球の長い歴史の中で4回起きています

1.先小御岳
まずは先小御岳
今から100万年〜70万年ほど前の事
この時の噴火は海底火山でした
実は2004年までは、3層構造だと思われていたんですが、
一番下に埋もれていた火山が発見されたのです。

2.小御岳
約70万年前
小御岳が活動を開始
この小御岳の頂上が現在の富士山五合目
今回まさしく添乗で訪れる場所
小御岳の頂上に、小御岳神社があります
大興奮
小御岳神社は、富士山の五合目の神社であるだけでなく
小御岳の頂上にある神社な訳ですから

3.古富士
今から10万年くらい前
小御岳の中腹あたりから噴火
何度も何度も噴火
噴火して溶岩が吹き出したと思うと
山崩れで崩れていき
またその上に噴火、が繰り返される
この時の噴火、及び、浅間山や男体山の噴火で
大量の火山灰が関東一円を埋め尽くす
関東ローム層と言われる赤土です

4.新富士
今から1万年前ほど
ここでようやく縄文時代です
古富士とは違ったタイプの溶岩が吹き出す噴火が始まります
古富士の時は粘り気の多いネトネトな溶岩
マグマが噴火までの時間が長い時、化学変化していき、安山岩タイプになります
それに比べて、新富士の溶岩はサラサラ
マグマの元々の形に近い、玄武岩です
サラサラなので遠くまで流れていき
現在のような裾野の広い円錐形になりました
何度も何度も噴火が繰り返され
ミルフィーユのように何層も何層も重なっていきます
なんと5000年も活発な噴火が続いた
1万年前から5000年だから半分ずっと活発な噴火です

もし、最初からサラサラ溶岩なら、ただ平べったい山にしかならなかったでしょう
古富士は通常よく見るゴツゴツの山でしたが、その土台の上にサラサラが流れていったためきれいな円錐形になった
4層構造なので日本一の高さになったし、4層構造で最後がサラサラだから日本一美しい山になった
この順番は奇跡だと思う

古富士は安山岩なので、カチカチで水をほとんど通しません
その上にある程度水を通す玄武岩
富士山に降る雨や、雪の雪解け水が
玄武岩に少しずつ染み込み
その下の古富士の安山岩のところで止まり
古富士の斜面伝いに、その横の玄武岩に染み込んでいく
ある程度水を通すと言ったってそこは岩石、染み込んでは染み出しなので
古富士伝いに水が下まで降りていくのに何十年もかかる
裾野で湧水として再び現れる頃には、完璧に濾過されて
神秘の透明度
忍野八海がその典型
美しい湧水も、やはり4層構造のなせる技です

[旅行]シリーズはこちら(少し下げてね)

[旅行] 忍野八海の神秘の水

今度、山梨の忍野八海の添乗をします
事前説明で自分自身も作りながらまとめていこうと思います

忍野八海(おしのはっかい)
忍野八海は世界遺産です
富士山の構成資産

かつて湖がありましたが、水が枯れ
ところどころ残った池
富士山に降り積もる雪解け水が、
地下の不透水層という溶岩の間で数十年の歳月をかけてろ過され、
澄み切った水となりました。
美しく神秘的です

出口池(でぐちいけ)

八海の中で一つだけ離れた場所にあり最も面積が広い池です。
後方はすぐ山となり、
ちょうど池を見下ろす林のなかに出口稲荷大明神の神社があります
この池の湧水は「清浄な霊水」と呼ばれ、
富士登山を目指す行者たちはこの水で穢(けが)れを祓いました。
そして、この水を携えることで無事に登山ができるという昔からの言い伝えがあり、堅く信じられてきました。
このような理由から、別名を精進池といいます。

お釜池(おかまいけ)

釜中に熱湯が沸騰するように湧水するという形状から
この名が付けられたといわれています。
八海の中で最も小さな池です。
バイカモが揺れ動く景色や水深の青さを観賞できます。
昔、この池のほとりに年老いた父と美しい2人の姉妹が暮らしていました。
妹娘が洗濯していると、池から大きなガマガエルが現れ、
娘を水中に引きずり込んでしまいました。
近所の村人を集めて必死で娘を探しましたが、
いくら探しても娘の遺体すら浮かんでこなかったといいます。
それ以来、父親と姉娘はお釜池のほとりにとどまって、
妹娘の冥福を祈り過ごしたという悲しい話が残っています。
この伝説から、お釜池を大蟇(おおがま)池ともいいます。

底抜池(そこなしいけ)

「はんの木林資料館」の入口から古民具などを展示する建物を通り過ぎ、
敷地の一番奥のとちの木の大木や樹林が生い茂る静かな場所にあり
八海の中では一番昔の風景を保っています。
唯一個人所有の池です
「はんの木林資料館」の敷地内には、鯉池もあり鯉に餌をあげられます
昔から洗い物をしているときに、
あやまって洗っていた道具や野菜を手から離してしまうと、
渦に巻き込まれ消えてなくなってしまうと言われていました。
そして、なくしたものはどんなに探しても見つからず、
しばらくすると池の底を潜り抜け、
お釜池に浮かび上がってくることがたびたび起こりました。
村人たちの間では、この池で洗い物をすることは、
神様の怒りを買うことになると語り継がれてきました。

銚子池(ちょうしいけ)

縁結びの池と伝えられている
酒を注ぐ銚子の形からこの名が付けられたといわれています。
湧池から阿原川沿い脇の草地の中にひっそりとあります。
池の底の砂地から砂を巻き上げ水が湧いているのがよく見えます。
昔、ある家の花嫁が厳粛な結婚の最中におならをしてしまった。
その音がすごく大きかったので、包み隠すことができず、
年若い初心な花嫁はこれを深く恥じて、結婚式の席にいたたまれず、
隙を見て席を抜けだし、銚子を抱いてこの池に身を投げた。
その後、花嫁の履いていた草履が
池の底に映って見えることもあるといわれている。
この悲しい伝説が基になり、今では縁結びの池と伝えられている。

湧池(わくいけ)

八海一の湧水量と景観を誇る池
八海の中で一番賑やかな通りに面する池です。
土産物屋が立ち並び、向かいには水車小屋があります。
湧水量も豊富で、揺れ動く水面や深い水底の景観が美しく忍野八海を代表する池です。
1983年にはNASAが宇宙で雪を作る実験にこの湧池の水を使用しました。
昔、富士山が噴火した際、人々は焼け付くような熱のため大変苦しみました。
そしてのどの渇きや人家の火事、また野火を消すためにと、
人々が水を求めて叫ぶ声が天地の間に広がりました。
このとき、天の一声で「わたしを信じなさい。そして、永久にわたしをうやまうならば、私がみんなに水をあたえよう」という大変美しい声が聞こえました。
この声の主が木花開耶姫命と言われています。
その後まもなく溶岩の間から水が湧き出し池となりました。

濁池(にごりいけ)

湧池に隣接し、阿原川と合流しています。名前は濁池ですが、今では水は清らかで濁っていません。池底からごく少量ですが、湧水が確認されています。
もともと澄んだ水であった池で、村人の飲料水となっていましたが、
ある日、見るからに乞食のようなみすぼらしい行者がやってきて、
この池の地主の軒先に立ち止まり、一杯の飲み水を求めました。
しかし、その家の老婆がただの乞食と思って無愛想に断った途端、
池は急に濁ってしまったという伝説があります。
しかし、その濁り水を器にくみ取ると、
不思議なことに澄んだ水に変わったといわれています。

鏡池(かがみいけ)

湧池から続く賑やかな通りの北側にあり、鏡池は湧水がとても少ないです。この池は条件が整えば、水面にはっきりと富士山が映り込み、見事な逆さ富士を見ることができます。古くは鮗(このしろ)池とも呼ばれ、この池には全ての事の善悪を見分けるという伝説があります。
鏡池の水は、すべて諸事における善悪を見分ける霊力があるといわれ、昔から部落内で何かもめごとが起きたときには、事を万事まるくおさめるために、争っている双方がこの池の水を浴びて身を清め、祈願したといわれています。

菖蒲池(しょうぶいけ)

菖蒲池は鏡池の東側にあり、大人の背丈ほどに成長したショウブ(サトイモ科)と外来種であるキショウブ(アヤメ科)等の植物がみられます。
奥には八海菖蒲池公園があります。
伝説によると、この菖蒲を身体に巻くと病気が治るといわれています。
昔、この池の近くで暮らす若夫婦がいて、夫が肺病にかかってしまいました。
妻はできるだけの力を尽くして食事や医薬の世話をしましたが、
夫の病は重くなるばかりでした。
妻はもう神仏に助けを求める以外にないと考え、
この池の水を浴びて身を清め、一心不乱に祈願しました。
すると、ちょうど37日目に「池の菖蒲をとって夫の身に巻けば、夫を苦しめている病魔は必ず退散する」という神のお告げを聞き、
そのとおりにすると1か月もたたないうちに快復しました。

中池

人工の池なので、忍野八海の八個の中に入っていないにも関わらず
最も感動的で、最も混み合っているのがこの池
最も水深が深く、最も澄んでいるからです
ああ、生きていて良かったと感じられるスポットです

[旅行] 鋸山、日本寺の事前説明

今度の木曜日、4/24に、千葉県の鋸山に添乗です

前回、吹割の滝の事前説明をしました
[旅行] 吹割の滝の事前説明

なんと添乗当日の朝、私の業務携帯に電話があり
水かさが多すぎるので、滝沿いの遊歩道が通行禁止になったとのこと
ヒエーッ
あれだけ楽しみにしていたのに

吹割の滝は近くまで行ってその迫力に圧倒されて大感動!なので
普通に考えて絶望です

いや、気持ちを切り替えよう
お客様には
こんなことでめげる私ではございません。
と言って
その変わり、六角堂に行って上から眺め
そこで私が、徹底解説します!と宣言
さらに、浮島観音堂にも行って、そこでも徹底解説いたしましょう、と

事前説明のブログを書いておいて良かった
ウォーキングイベントでもそうですが
ブログに書くと覚えられるので
完璧な徹底解説をつらつらつらとできました。

この前の富士山が見えない山梨添乗でもそうでしたが
なかなか、予定したものがちゃんと揃わないもんだなと実感
でも、ここからが添乗員の腕の見せどころ
逆にファイトが湧きます

やっぱり私の場合は、そういうときのリカバリーは徹底解説
よし、ネタを思い切り仕込んでおこう

ってことで
また今度の鋸山、日本寺も、事前説明いたします
よろしければお付き合いください

鋸山(のこぎりやま)
鋸山は千葉県安房郡鋸南町と富津市の境にある標高は329.4メートルの山
バスツアーで登山?
いえ、目的はそこではありません
地獄のぞきと日本寺

バスで中腹まで行けるので、そこから登ります

日本寺(にほんじ)ってどういうことかというと
この山の多くが日本寺という寺の敷地になります。
この日本寺がむちゃくちゃすごい
私はご存知の通り、思い切りいっぱい寺は行っていますが
ここまですごい寺はそうあったもんじゃない

目玉は、百尺観音と、大仏
それ以外にも、千五百羅漢があったり
あるわあるわ、色んな仏像。
仏像ならば大得意。いくらでも喋れます
時間は2時間しかないので、どれだけ喋れるかはやってみないと分かりませんが
早めに最後の地点の手前まで行っておいて
時間の許す限り、色々説明することにしましょう

■百尺観音
鋸山は山全体が、房州石という良質な建築石材の石切り場です
環境上の理由で現在は役割りを終えていますが
石を切り出した後の断崖絶壁の連続

四角く切り出した奥に、作られたのが百尺観音
昭和35年(1960年)に、世界大戦の戦没者や交通犠牲者の供養のために、
高さ30mの石像として建立されました。
石切場跡に6年かけて彫刻され、昭和41年(1966年)に完成

下の人間と比べるといかに大きいかが分かります

ここで、観音様とは何かの徹底解説をする予定

その奥にはラピュタの壁と言われる幾何学的な壁もあります

こっちがラピュタ

ここから見上げると、ピョコっと飛び出した石切り後が・・

あれが地獄のぞきです

■地獄のぞき
横から見るとこう

先端まで行って、下を見ると地獄が見える

眺望がすごい

このあとは、ひたすら階段を降りていきます
■西国観音
西国三十三ヶ所の観音様
西国三十三ヶ所とは、奈良の長谷寺の住職さんが
閻魔様に告げられて、奈良を中心とした2府5県の三十三ヶ所の寺に観音様を安置しようとしたことに始まる
その時は、実現せぬままなくなるんだけど
閻魔様から預かった、三十三の宝印を保管
270年後に、花山天皇が意思を受け継いで、西国三十三箇所観音を完成させる

『一法を見ざれば、すなわち如来。方に名けて観自在と為すことを得』
一法というのは、一つの見方
一つの見方にこだわれば自分自身を縛ってしまう
何にもこだわりを持たなければ、もうそれは如来、すなわち悟りを開いたことになる
そのことで、自由自在な状態(観自在)に達することができる

■通天関

「巌陜く関を過るが如く 柳面すれば天に登るに似たり」
(がんさくにかんをすぎるがごとく やなぎめんすればてんにのぼるににたり)
困難な状況を乗り越え、努力すれば、簡単に道が開け、最終的に成功へと至ることができる

■大仏
出ました。日本一の大きさの磨崖仏です
磨崖仏とは、山の岩石自体を利用して作られた仏像なので、後ろは山そのもの

鎌倉大仏が11m、奈良大仏が18m
この大仏が31mなのでいかに大きいかが分かる
正式名は「薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)」。
人々を病から救う仏様で、左手に持っているのは、薬の壺。
原型は1783年に大野甚五郎と27人の門弟が3年かけて彫刻した27メートルの大仏だったんだけど、だんだん崩れていって、荒れ放題になっていたのを
1966年(昭和41年)から仏師・八柳恭次を中心に修復が行なわれ、
1969年(昭和44年)に完成した。

薬師如来をちゃんと正式名称の薬師瑠璃光如来と呼んでいる仏像を見たのは初めてかも知れない
ここでも、薬師如来の見分け方等の話をいっぱいする予定

[添乗]シリーズはこちら(少し下げてね)

[旅行] 吹割の滝の事前説明

今度の日曜日、添乗で群馬県沼田市の吹割の滝に行きます

だいぶ前になりますが吹割の滝にはカミさんと行っていて
最初、えっ、これ滝? と思ったんだけど
確かに滝だよな
これぞ滝

と印象が変わっていき
「一番好きな滝は?」と聞かれると
吹割の滝! と間髪入れずに答えています

今、私の中での「滝」は
「吹割の滝」と「その他の滝」です
概念が違うんです

そんな吹割の滝
大興奮なので徹底解説したいのですが
40分しかない
浮島観音堂まで寄ってしまうと、普通に回っても30分らしい
添乗員としての手続があるのでギリギリです

男性である私は
ツアーのバス旅行に参加すると
なんで土産物屋ばっかり寄るのよ
と思っていましたが
添乗員になってみると、逆だということが分かりました
特に女性は、土産物が大好きらしい
土産物ショッピングに、いつどれだけ時間を取ってもらえるかという質問が一番多い

バス駐車場のある土産物屋で時間を取らなきゃいけないので
解説はそこそこにせざるを得ません

フラストレーションを解消すべく
このブログで事前説明することにいたしましょう

浮島観音堂
大回りしてしまうと1時間かかるので、浮島観音堂にちょっと寄ってから
短い方を一周する予定

納められている浮島如意輪観音(うきしまにょいりんかんのん)は、
かの有名な左甚五郎(ひだり じんごろう)が作った仏像
左甚五郎は、日光東照宮で「眠り猫」をはじめ数千の彫刻を完成させた
その後、何度か日光東照宮に訪れているのですが
その帰りに、この近くの、追貝宿(おっかいやど)に泊り
一夜にしてこの観音像を彫りました。
ずっと白木の観音像だったんですが
明治26年、ある者がこの観音像を前橋の石丸という塗師の家へ持参して、
金箔に塗ってくださる?
ええよ

ところが何があったのか、そのままいつまで経っても引き取りに現れませんでした。
石丸家はいつ取りに来られても良いように、大切に保管
代々引き継いで、昭和になりました。
昭和20年8月5日の前橋大空襲の際には石丸家も全焼しましたが、
その寸前に奥さんが、大切な家財と一緒に観音像をリヤカーで運び出し、
間一髪で焼失をまぬがれました。

とうとう昭和27年、大勢の人たちに迎えられてこの地へ帰って来たんです
綺麗な金箔塗りでした

ただその時は、この場所ではなく、追貝の海蔵寺(かいぞうじ)に仮安置されていました
平成2年4月26日、浮島橋が開通
その日、ようやく97年ぶりにここに安置されました。

吹割の滝
千畳敷を経て

吹割の滝でーす
写真だけじゃ迫力が分からないんですけどね

横からしか見れないんですが、それでも大迫力
上から見るとこんなふうになっています

吹割の滝の滝つぼは、竜宮へ通じています。
村で祝儀などの振舞ごとがあった場合
「何日に○○膳お願いします」と手紙を書いて滝に投げ込むと、
渦に巻き込まれて深い竜宮へと吸い込まれていき、
前日には頼んだ数の膳椀が傍の岩の上にきちんと置かれていました。
三日のうちにお礼の手紙をつけて、もとの岩の上に置けば
いつの間にか見えなくなり、竜宮へ返されていたのです。

ところがある年のこと、借りた膳椀を返すときに数を間違えて
一組だけ返し忘れてしまいました。
それ以降、いくら丁寧に頼んでも借りられなくなってしまったということです。
今、この膳椀は竜宮の椀とよばれ、大切に保存されています。

どうかなあ
どの程度話せるだろうか

[おでかけ]シリーズはこちら(少し下げてね)