[仏像の見分け方] 閻魔大王

仏像の見分け方シリーズ

閻魔大王(えんまだいおう)については過去にも書きましたのでそっちも見てね
閻魔様に舌を抜かれるぞ

閻魔大王

ウォーキングやっていると気づくんだけど
閻魔様信仰って、結構あちこちであるんだなあ

文京区 源覚寺(こんにゃくえんま)
新宿 太宗寺
深川えんま堂
板橋文殊院

仏像の見分け方で、天部の中での紹介ということになると若干の違和感

仏教の密教の中で十二天といういうのがあり、閻魔天はその中の一人
ところが、この十二天、あまりメジャーじゃない。
有名どころは、帝釈天、梵天、毘沙門天くらい

今度は、道教に、十王というのがあり
閻魔様はこちらにも所属している
閻魔大王と呼ぶときは、こちらの閻魔様を指します。
閻魔大王以外は聞いたことのない
初七日や四十九日に行われる裁判は、閻魔大王だけではなく
十王が分担するらしいです。

一般的に、閻魔天というよりは、閻魔大王と言う方がしっくり来るので
十王の方が採用されているんですね

それじゃあ、仏教じゃないってこと?

まあ、その辺は極めて曖昧。

地獄という世界観についていうと
ほとんどが仏教から来てはいるんだけど
三途の川、賽(さい)の河原、奪衣婆(だつえば)については、日本で新たに追加されたもの

三途の川、賽の河原なんてかなり浸透しているから、日本人って地獄が好きだったんでしょうね
地獄が好き、って言い方も変だけど
子供に言うことを聞かせるときの材料、殺し文句

子供に
よく母さんも色んな言い方してました。

あんたな
そんなことばっかりしてると

閻魔様に舌抜かれるで

賽の河原で石積まなあかんねんで
ひとおつ積んでは親のため
ふたあつ積んでは親のため
そんでもな
積めた思たら
鬼ががちゃがちゃって壊しに来んねん
もう一回最初からやり直しや

えーん
言うこと聞くさかい、それ以上言わんとって

子供って、親が思っているよりずっと大人で
ここで怖がってあげた方が嬉しそうやな、と思うと
怖がるふりができる。

そんなん、石積んだらええがな
おもろそうやん
鬼が壊してしもたら
もうぉ 無茶しなやぁ
とか言いながら

と心の中では思っています。

うちの母さん特有なのか、地域の問題なのか
一番多用されたのが

サーカスに売り飛ばすで
サーカス行ったらなあ
酢飲まさせられんねん
酢飲んだら体柔らかなるからな
酸っぱいでぇ

今思えば、サーカスの人達に大変失礼だなと思うんですが
たまにサーカス団の人達がやってくると、内心思っていました。

酸っぱぁ

奪衣婆
ウォーキングするようになって、
新宿の太宗寺で奪衣婆を初めて見たときはびっくりしました。

なんでまた、こんな汚ない婆さんがこんなところにいるの
お乳なんて垂れちゃって、腰のあたりまでぶーらぶら

どうも閻魔様とセットらしくて
先日、板橋でも、閻魔様の横にいました。

三途の川を渡るときに六文銭を持っていない人がいたら
着ているものを身ぐるみはぐ担当者

それはそうだとして、その人を祀って拝むというのは
なぜ?何のため?

百日咳に効くんですと。
そりゃまた唐突な
関連が良く変わりません

でも、不思議と地元ではかなり愛されているらしい。
運動会のかけっこで一等賞だったよ、とか
何かにつけて報告に来る

婆ちゃんって、見た目が汚なかろうが
何度か見てるうちに愛すべき存在になるのかも。

渋沢栄一 その1 クーデター計画

小説渋沢栄一という本を読みました
上下巻の分厚い本なので、今後、何回かに分けて紹介していきたいと思います。

渋沢栄一(しぶさわえいいち)はとにかくすごい人で、何でもかんでも渋沢栄一、
というのは前から分かってはおりました。
歴史を色々見ていると、すぐに渋沢栄一にぶち当たる

とはいえ、途切れ途切れなので、一度通読したいなとは思っておりました。

読んでみてびっくり
すごい人、どころの騒ぎじゃない
なんなのこの人

まず、その1は、幕末までね

生まれ
渋沢栄一は農民です。

まずこの時点で、えええっ

ネギで有名な、現在は埼玉県深谷の生まれ
ネギじゃなく、そこで藍(あい)を作っていた
藍染めに使う藍

藍作農家は藍を作るだけで、そのあとの染める作業だの
藍染め職人へ藍を売るという商売的な事は別の人

ただ、米じゃない商品、特に藍あたりは、その辺の境が曖昧だったりします。

栄一のお父さんは、無茶苦茶前向きな人で、一生懸命勉強し
栄一にも徹底的に学問をやらせます。
農家だけじゃなく、商人的な分野まで多少入っていた。

この事が、後の渋沢栄一その人の基礎になるんですね。
相手を見て、丁々発止のやり取りまで経験する。

幕末の動乱
ペリー来航で世の中がひっくり返ります。

栄一は学問があるので、農民とはいえ、日本の行く末を熟慮します。

仲の良かった、いとこの渋沢喜作(きさく)とある計画を立てます。
クーデター計画です。
栄一まだ22歳
この喜作さん、結構行動を共にするんですが
後に、成一郎と名を変えて歴史上極めて重要な役割を担うので覚えておいてね。

まず、高崎城を乗っとり、そのあと横浜の外国人居留地でひと暴れ
外国人を皆殺し。

お父さん
剣術の道場に通って良い?

かの有名な、坂本龍馬も修行した北辰一刀流の玄武館道場

実は、その前にも親に言われて、神道無念流は習っているので
そんなにあちこち行かなくても良い。
剣の修行が目的ではない。

全国から、攘夷の志士が集まってくるのを知っての同士集め。

ここで、色んな人と交流し、着々と準備を進めていく。

喜作が後の将軍慶喜(よしのぶ)の一橋家の人と知り合いになる。

今度、お供で京都に行くんだけど、付いて来ない?

行く行く

一橋家って幕府側な訳だから、
クーデターを考えている栄一からすると一橋家は敵みたいなもん。
でも、ちょっと嫌らしいこと考えた。

事を起こして逮捕されたとき、一橋家の人と仲良くなってれば、罪を軽くしてくれるかも。

京都に行くとなると、例の計画をちゃんと大事な人には話しておこう。
ずっと学問を教えてくれていた、親戚の尾高先生に打ち明けた。

お前はアホか

尾高先生は一足早く京都に行って、八月十八日の政変を見てきている
世の中は過激な攘夷派から公武合体派に主流が移ろうとしていた

お前は、自分は討ち死にしても、それを見てあちこちで同じ動きが起きる筈というが
それはないです。
あなたちょっと古い。

そもそも、あなたは農民です。
農民が武器持って騒いだら、
それは、百姓一揆
追随する訳ないでしょう。

その場では反論したものの
一晩寝て、気持ちが落ち着いたら

言うこともっともやなあ

ここが、渋沢栄一の良いところ
良く考えると違うなあと思うと、ちゃんと現実的な路線に変更できる。

今後、どうしようかなあ
いいや、とりあえず、京都に行こう

京都で
喜作とともに京都で手伝ったのは全国から集まってくるお客さんの接待

ここでも、藍の商いの時の経験が役に立ち、
常にみんなを喜ばせることができた。

一橋の責任者も喜んじゃって、
正式に一橋家で働かない?

それが、どういうことを意味するかは、頭の良い栄一の事
すぐ分かります。
幕府は時間の問題で倒れる。
そちらの一員になると、将来真っ暗

それは、ちょっと

その少しあと、江戸から報せが届く
クーデター計画の仲間が捕まった
しかも、栄一が出した過激な手紙を持った状態で捕まったらしい。

あかん、捕まる、殺される。
どうしようもない。

この時、人生で一番弱気になった
もう、一橋家に守ってもらうしか方法がない。

この前のお話、やはりお受け致します。

農民が武士になっちゃった瞬間です。

改革
どうせ後がないのなら
やるだけのことをやって散ろう

遠慮している場合じゃない。
時間がない。

漫然と年貢米を金に変えていたのを、
清酒で有名なところに持っていって売れば高く売れる

こっちであるものを仕入れて、こっちで高く売って
今あるものが相場が高くなりつつあるから、安くで買っておいて、高くなってから売る

でしゃばって色んな事をしてたちまち、財政を好転させていく。

そして、とうとう、一橋慶喜に拝謁できるところまで至った

良い考えがございます。
人を集めて訓練し、来るべき戦に備えましょう。

一橋家って、将軍予備のためだけの家なので藩じゃない
戦を目的とした武士は全くいません。
それでも今までは問題なかった。
公務員のように事務作業をしてればね。

でも何らかの戦は目の前に迫っているし
一橋家は渦中に投げ込まれるでしょう

黙って聞いてただけだけど
気に入ってくれたんでしょう。
数日後、人集め係りに任命された。

わざわざこの時期に幕府側で兵隊となって戦争しようという人を集める訳です。
かなり困難を極めましたがなんとかなりました。

この部隊、後に実際に出動します。
第二長州戦争
負けちゃうんだけどね

慶喜将軍に
14代将軍家茂が病気で急死し、とうとう一橋慶喜が将軍に
もう、慶喜に会うことは全く無理になりました

そうなるとエキサイティングな提案とかは無理。
ただ、忙しく雑多な業務をこなす。

せっかく頼みの綱の慶喜が将軍になったのに皮肉なもんです。

ああ、このまま面白くない日々のが続くのか

ところが、あの運命の出来事がおきます。

長くなりましたので、この続きは、その2でね

[昭和歌謡]36 男と女のお話

昭和ヒット曲全147曲の真実シリーズです。

男と女のお話
日吉ミミ
作詞 久仁京介 作曲 水島正和
1970年

♪ 恋人に振られたの
よくある話じゃないか
世の中変わっているんだよ
人の心も変わるのさ

すごかったですね
衝撃的でした、あの歌い方
歌って感情込めて歌うもんだとばかり思っていたのに
見事にその概念を突き崩しました。

みんな真似しましたもんね
日吉ミミの真似をしたことないって人、いるんだろうか
逆にいうと誰でも真似できた。

歌詞は、当時の歌謡曲へのアンチテーゼでもあった
愛?
恋?
しょうもな

思い詰めた恋愛より
もっとフランクなんじゃないの現実は

3番の歌詞が好きです。

ベッドで泣いてると
涙が耳に入るよ

いいわあ、この世界観

でも、ちょっと日吉ミミさん可哀想だったなあ
あまりにも特殊な歌い方で売れちゃったから
もう他の、普通の歌い方は出来ないです。

和算はここから始まった。吉田光由

江戸の理系力シリーズ

今日から、数学の具体的な人に入っていきます。

吉田光由
よしだみつよし 数学者 1598~1672

和算という言い方は、西洋から入ってきた「洋算」に対する概念なので
当時から和算と言っていた訳ではない。

ただ、振り返って、思えばここが和算の始まりだなあと思えるポイントがある
中国から伝わったそろばんが日本でも普及し
京都でそろばん塾を開いていたのが毛利重能(しげよし)
元和8年(1622年)に日本最古の「割算書」という本を書く

これが和算のスタートかとなるとちょっと厳しい
計算、の域を余り出ていない。

このそろばん塾に入ったのが吉田光由
家業が土木業なので、算術は必要不可欠

毛利先生のおかげてそろばんはバッチリ。
仕事はスムーズに進められる。

目的は達せられたので、普通はそこでやめちゃうけど
吉田光由はそうじゃなかった。

これは面白いかもよ

中国の「算法統宗」という本を手に入れ、徹底研究

塵劫記
塵劫記(じんこうき)という本を書き、大ベストセラーになる

上中下に分かれる
上は基礎編
そろばんを使った加減乗除
中は応用編
実際の生活に即した例題をあげ
実践的な利用方法
下はさらに発展編
ここでは、そろばんを離れ
平方根や立法根の求め方まで書いてある。

塵劫とは、塵がチリのようなちっちゃな数、劫が逆に大きな数という意味。

ベストセラーになったのは、寺子屋の教科書として使われたからなんだけど
それだけじゃなく、大人にまで大流行になった。
絵入りで分かりやすく解説してくれているから
独学でも理解できる

それにしても、これがベストセラーになるって
江戸時代の庶民はどれだけ向学心があったんでしょう

それまで掛け算の九九が一部の知識人の遊びの世界の中だけだったのを
広く普及させたのも、このベストセラーのおかげ。

経済と表裏
この塵劫記の大流行は、当時の経済の発展と裏表でしょう。

経済が大きく発展するにつれ
流通の及ぼす地域が飛躍的に拡大した
それまで、ごく限られた地域の内部的な経済活動が
全国規模に広がった

そうすると関西で使われていた銀貨と、関東で使われていた金貨を
その時々の相場で換算する必要がある

相場の変動を見極めつつ
いつ交換した方が得かというような計算も

商売の側面もそうだし
工業建設機械等、複雑で精密な仕事が求められるにつれ
高度な計算が必要になる

そんな経済背景があるから、塵劫記がベストセラーになった
逆に塵劫記で数学が広まったから、産業が進んでいけた。
相乗効果ですね。

当時は著作権が確立されていないから
類似のなんちゃって塵劫記がなんと300種類も作られたらしい。

熊本藩
塵劫記で有名になった吉田光由は熊本藩に招かれた

藩主、細川忠利の家庭教師
みんな勉強好きですね

また京都
細川忠利が亡くなったので、また京都に戻る
そして執筆活動

吉田光由の偉いところは
それだけ有名になったんだったら左うちわで暮らしていけそうなものなのに
今で言う社会貢献をしている

京都嵯峨地方は、保津川が低いところを流れているので
農地に水が引けず、常に水不足に悩まされていた。

吉田先生、何とかなりませんか

それ、私に言う?

元々の家業が土木業なので、全く知らない世界ではない。

よし、じゃあ上流にダムを作り、各農地に水道のトンネルを作って水を流そう

得意の数学でサインコサインタンジェント
この設計図でいきまひょか

こうして作られたのが菖蒲谷池と水道トンネル

何と今でも現役で使われているそうです。