[赤穂浪士]10 堀部安兵衛。やっぱりこの人で決まり!

赤穂浪士シリーズ、キリの良い10人目はこの人でなきゃあ

堀部安兵衛(ほりべやすべえ)
裏門組 切り込み 馬回り・使い番 34歳

出ましたっ。一番の人気者

剣術の達人で、四十七士のなかで唯一「決闘・討ち入り」と2度の実戦を経験。
義に厚い武闘派で、仇討ちを強く主張した江戸急進派のリーダー的存在。

助太刀(すけだち)
若い時に同じ道場に通っていたおじさんの菅谷六郎左衛門(すがや ろくろう ざえもん)が、
高田馬場で決闘することになった。

助太刀を買って出た安兵衛は、だまし討ちしようとした相手数人を斬り倒す大活躍
「高田馬場の決闘」の話は、たちまち江戸で話題となり、安兵衛は江戸っ子の人気者になった。
この時は中山安兵衛。
そんな安兵衛の評判を聞きつけ、惚れ込んだのが赤穂藩の堀部弥兵衛(ほりべ やへえ)

うちには跡取りがいないので
娘と結婚して養子となり、家をついでもらえんだろうか

この時、安兵衛はどういう境遇だったかというと
お父さんの中山弥次右衛門が新発田城の巽櫓で勤務中にうっかり火事を出してしまい
責任を問われてクビ

一家は浪人となって苦労する。
そんなだから何とか武芸で身を立てられるべく、道場に通って腕を磨いていた。

良い話には違いないが
中山家再興のため頑張ってきた。

養子かぁ
やっぱり断ろう。

そうか。その気持ち、逆に感じ入った。
中山姓のままで良い。
ぜひうちの娘をもらってやって欲しい。

という経緯。

あれぇ、ちょっと不思議ね
なんで堀部なんだろう

刃傷沙汰
赤穂藩藩士となり、生活も安定
の筈だったのに。

元々、血気にはやってます。

なんだとぉ
武士たるもの
主君の無念を晴らすのが努め。

終始、「江戸急進派」のリーダーとして活動します。

四十七士の内、人を斬った事があるのは堀部安兵衛だけ

何と言ってもかっこいいですよね
高田馬場の時点で、講談で有名になっちゃってます。

飲んべえ安。
そもそも、飲んでいて、助太刀を頼まれたことを知らなかった
朝帰りでさあ寝ようというときに、助太刀依頼の手紙を見て
気付けにグッといっぱい飲んで
すわ、高田馬場へ

チャカチャンリンチャンリン

バッタバッタと18人斬り
いくらなんでもそんなには斬っていません。

辞世の句
梓弓 ためしにも引け 武士(もののふ)の 道は迷わぬ 跡を思はば

索引はこちら
[赤穂浪士]シリーズはこちら(少し下げてね)

[昭和歌謡]79 卒業写真。恐ろしいクイズ付き

昭和ヒット曲全147曲の真実シリーズです。

卒業写真
松任谷由美
作詞、作曲 荒井由美
1975年

♪悲しいことがあると 開く皮の表紙
卒業写真のあの人は 優しい目をしてる
町で見かけたとき 何も言えなかった
卒業写真の面影が そのままだったから
人ごみに流されて 変わっていく私を
あなたは時々 遠くで叱って

荒井由美
私が強い印象を持った時は、まだ荒井由美だったので、荒井由美と言わせて下さい。
最初に荒井由美を聞いたときです。
感動したとかじゃなく、全く逆でした。

友達が、荒井由美のアルバム、コバルトアワーを貸してあげるって貸してくれた。

ユーミンっていうの
むちゃくちゃ良いから絶対聞いてね

確か女の子だったと思う。
意識していた子ではなかった気がするけど
聞かない訳にはいきませんね。

はあ?

最初からつまづいた。
何これ
次の曲に期待
でも次の曲も同じ感じ
そして次も。

何で?
何で、歌うたっているのに感情移入しないの?
自分で作ったんだよね。

全く感情移入しないスタイルが荒井由美の持ち味で
それが良いっていうのは、あとからじわじわ分かり
後には大好きになるんだけど
この時は、全く心に響かなかった。

とうとう、半分くらい聞いた時点でギブアップ

そのあとどうしたかまでは覚えていません。

ユーミンからだったと思う。
それまで、フォークと言っていたのが、ニューミュージックに変わった。
松山千春とかもそう。

フォーク同好会の会長をやっていたくらいだから
フォークが大好きだった。
より洗練されてお洒落になった事に慣れるのが時間がかかった。

甘いジュースに慣れきっていて、初めてポカリスエットを飲んだ時の衝撃
何これ、スイカの味やん

卒業写真
こんな話をしたあとで言うのもなんなんですが

ええ歌やなあ
グッとこみあげるものがあります。
ぶわーっと目の前に情景が広がります。

(おいおい)

さあ、ここでクイズです。
大学の時の卒業写真
私はどれでしょう
恐ろしいクイズですね

答えはこのあとすぐなので、答えを隠しながら考えてね





















◆◆◆答え◆◆◆
右から3番目、上から3番目です。
分かるわけないですね

索引はこちら
[昭和歌謡]シリーズはこちら(少し下げてね)

士農工商ってほんと?

福の神、貧乏神、という本を読みました。

七福神ファンですから。

七福神巡りは何度もやっていますが、
お寺に祀られていたり、神社に祀られていたり様々

一つの答えは、神仏習合で、神道も仏教もいっしょくただから。
この辺の話は、いつか数回に分けてじっくり話したいと思っています。

もうひとつは、神道だの仏教だのにとらわれない、民間信仰だから。

草の根的な自然に沸き起こってくる信仰。

名僧シリーズでやっているような、えらい人は誰一人からまない。
とても不思議。
庚申塔や富士塚や小さなお地蔵さんや。
ウォーキングをやっていると気になることだらけ。

この本を読み進めていくと、とても興味深いことが書いてある。

七福神の広まり
七福神が広まった一つの要因は、広めた人がいるから

大黒さん、恵比寿さん、毘沙門天あたりで顕著なんだけど
例えば、大黒さんなら大黒舞みたいなのがあって大黒さんの格好をしたり
恵比寿さんの人形を持ったりして
めでたい口上を言って家々を回る。
正月だと、門付けといって、
獅子舞みたいな感じで、家々を回ると
いくばくかのお金をもらえる。

ただ、それが成り立つのは、正月のようなごく限られた日だけ
また来たってことになるから
地方を回って、それで広がっていくということになる。

とはいえ、それだけで生計がたつとも考えがたく
おそらく本業が別にある

どういう人達かなんだけど
この本によると、いわゆる被差別層の人達。

信仰や宗教って、穢れ(けがれ)と実は表裏一体。
穢れの代表格は死
でも、葬式は仏教寺院の主要な収入源になっている。

死体を片付けるというような、誰もが忌み嫌うような仕事は
被差別層の人達が担当しているけど
実は、信仰的な事と、極めて近い距離にいたことになり
そのままの自然な流れで、民間信仰の中心的な役割を担うようになっていったのだと。

驚きました。
ただ、理不尽な扱いを受け続けていたと思っていたのに
ありがたや、と手を合わせてもらえる対象の一役も担っていたことになる。

頭の中が大混乱です。

改めて疑問が沸いて来ます。
士農工商って何だろう

士農工商
江戸時代が好きで、ずいぶん本も読んだけど
読めば読むほど一つの疑問が沸いて来ます。

士農工商ってほんと?

教科書で習った江戸時代の、基本中の基本のキーワード
士農工商という身分制度があったと習いました。

でも、どの本を読んでも、士農工商について書いていない。

こんなに出てこないのはやっぱりおかしい。
士農工商って身分制度は、本当はなかったんじゃないのか。

考えてみれば、士農工商は矛盾がありすぎる。

漁業や林業はどれよ
朝廷や、お公家さんたちはどうなるの?
大人気の相撲取りや歌舞伎役者や落語家等の
江戸を象徴する人達は、商、なの?工、なの?

一番の疑問は
江戸の中で15%の敷地面積を占めていた、神社仏閣
僧侶や神職が入っていないのは、おかしすぎる。

出家というのは、俗人ではなくなるという意味だから
枠組みのどこにも入らないって事かも知れません。
天海をはじめとして、かなり社会の根幹的なところを担いましたので
やっぱり納得がいきません。

昨日書いた一遍の時衆たち
かなり、被差別層の人達の割合が大きい。

一遍自身だって、乞食僧だから、アウトロー

七福神でいうと、私が一番好きな、布袋さんは、乞食僧です。

そういう人が神様になっちゃう。

例えば、仙台で超有名な福の神、仙台四郎って知恵遅れです。

恵比寿さんだって、元々は立てない未熟児の蛭子命(ひるこのみこと)が元になっているし
そもそも、夷(えびす)や戎(えびす)って外国人を見下した差別用語です。

結局、「関係ない」んじゃないだろうか

庶民の文化を見ていくにつれ
武士たちを支配者、自分達は被支配者なんて感覚はどうにも見てとれない
ほぼ対等にとらえているし、
ともすれば、小馬鹿にしていたりする。

頼りにしているのは、武士達や立派なおエライさんじゃなく
弱いものの立場に立ってくれる人を神としてあがめ
そんな、身近な神様を
たのんまっせ、と頼りにしている。

これこそが、日本の誇るべき、八百万の神なんじゃないだろうか。

索引はこちら
[江戸の文化]シリーズはこちら(少し下げてね)

一遍。乞食だって、楽しけりゃ良いじゃない

名僧シリーズです。
この人はなぜこんなに魅力的なんだろう。

一遍
法然、親鸞の流れをくむ一遍
南無阿弥陀仏の念仏で極楽浄土にというのは、一緒なんだけど
アプローチが全く違っていた。

法然や親鸞が画期的新薬を開発した学者なら
一遍は臨床医

とてつもない人数の人たちに実際に会って、救っていった人。

出家
一遍の一族は、元々で言うと武士なんだけど
承久の乱に参加し負けた側
辛うじて流罪は免れたが、ほぼ罪人扱い。
親は、一遍も連れて、逃れるように出家

一遍は、聡明な子供だったので
めきめきと頭角を表す。

元は天台宗だったんだけど、
世の中の大きな流れが、法然の浄土宗に向かっており、
一遍も浄土宗へとシフトしていく。
ただ、この頃には、法然のただ念仏を唱えようという派閥と
お経を学問的に学ぶことを重視する派閥に分かれていた。

ただ念仏、学問
君はどっちが良い?

はい、学問でお願いします。

面白いです。
後の一遍からすると、全く逆の方から始まるんですね。

そのまま進めば、人生は違った方向に行ったでしょうが
運命のいたずらと言うのでしょうか
一族のゴタゴタは悪い方向に向かい
出家さえ許されなくなります。

無理矢理還俗、俗人に戻ります。
そこで、結婚もし、妻子を持ちます。
ただ、幸せな家族生活とはほど遠く
父親が亡くなったあとは、一族のゴタゴタは泥沼化。
殺されそうになって、故郷を捨てる決意をします。

どうせ故郷を捨てるなら、出家の道に進みたい。
ただ、元の寺院が、はいまたどうぞと言ってくれる状況にはなかった。

妻子を連れて、流浪の遊行の旅に出ます。

ただ、ほどなくして、妻子とも分かれることになります。
その時の理由や状況は語られていないんですが
想像するに
単純に妻子を養えなくなったという事じゃないでしょうか。

たった一人になり、乞食僧となります。
施しを受けながら各地を回る。

ただ、そんな中でも信じる道は見えていたんです。
南無阿弥陀仏、念仏です。
四天王寺、高野山、善光寺等、仏教の聖地を巡りながら
考えを強めていきます。

南無阿弥陀仏と書かれたお札を皆に配ってはどうだろう

やってみました。

熊野神社の近くで、ある僧がいました。

南無阿弥陀仏の念仏のお札です。
どうぞ。

要らないです。
私は、浄土の考え方は信じていません。

押し問答になりました。
そして

まあ、信じなくても良いから、とにかく受け取ってよ
と無理矢理渡します。

私は何をしているんだろう
落ち込む一遍

そんなとき、ある山伏が声をかけてきます。

どうかされましたか

いや、実は

それはおかしいですね。
阿弥陀如来は全ての人を救うと約束されている筈。
では、信じるとか、信じないとか、関係無いじゃありませんか。
何にこだわっておられるのですか
こだわっておられる何かが有るのなら
そんなものは捨てておしまいなさい。

打ちのめされました。
そして、本当の一遍が始まった瞬間です。
捨てる一遍の始まりです。

信じる心
成仏しようとする心
極楽浄土に行きたいと願う心

浄土宗の拠り所、仏教の拠り所であった筈のものすら
全て捨てる。
ただ念仏を唱える
極楽浄土に行きたいからじゃなく
ただ念仏を唱える
仏と一体になる実感
それを楽しむ
嬉しい、ありがとう
ありがとうとまた、念仏を唱える。

手書きでは間に合わない
少しでも多くの人にお札を渡したいから
南無阿弥陀仏と木に彫って、刷って大量生産。

ただひたすらに手渡す。
これで極楽浄土に行けますとすら言わない。

ただ嬉しそうに渡すから
何だろうこれ、あの乞食僧やたら楽しそう。
これを持っていると、きっと良いことがあるに違いない。

そうしていると、自分達も手伝いたいという人が出てくる
そして、一緒に旅をしたいと。

恵まれていない人達。
難しい事は分からない
でも、そこにはきっと良いことがある
今のどん底の生活よりは、きっと良いに違いない。

乞食僧が集団になった。

ある日、気分が高揚した一遍が茶碗を箸で叩いた。

一人がその節で南無阿弥陀仏を唱え出した。
また一人は、体が自然に動き出した。
踊り念仏の始まりです。

奇妙です。
はた目に怖いかも知れません。
でも、それがどうだと言うのでしょう。

ある高僧が異を唱えました。
成仏というのは心静かにして行うものだ。
君たちのやっていることは邪道だ

ああ、そうなんですか
踊ってみたら分かりますよ。

私がお救いしましょうなんて気持ちは微塵もない
出来るだけ多くの人に会いたかった。
それだけじゃないだろうか

晩年故郷の伊予に帰る。
そして、もうこれでおしまいというとき
大切にしていたお経を全て焼いた。

残ったのは、ただ一つ
南無阿弥陀仏のみ

そう言ってにこやかに生涯を閉じた。

索引はこちら
[名僧]シリーズはこちら(少し下げてね)