いよいよ明日、長女の結婚式

いよいよ明日、長女の結婚式です。

まさか半年ずれるとは。
元々は、4月25日
緊急事態宣言で、延期せざるを得なくなった。

今も不安は残るものの、強行しないといつまでもずるずるになります。
すでに嫁には行って新居で生活を始めており
正直、新鮮味は薄れます

久しぶり、元気でやってるか
って感じ

爆発的に感染者が増えて、また延期にならないか、ひやひやしましたが
何とか、開催につなげられました。
良かった。本当に良かった。

結局密を避けるため、一回り大きな会場にして、間隔をかなり開けるようにしたそうです。
会場代がプラスアルファで結構大変らしい。

前回、招待状を出したのに今回出さないってのもね、ということで
結局前回出した人全員に出したようです
出席で返ってくるのは半分くらいかなと思っていたら
何と8割出席だそう。

なんか嬉しいです。
前回は、自宅に返信葉書が届いたので、見れたんだけど
あの状況下で結局ひとりも欠席に丸をつけている人がいなかった。
しかも、参加に丸を付けるってだけでなく
100%コメントをつけてくれている
おめでとうございます!喜んで参加させていただきます。って感じ。
ちょっと不安ですが行きます、的コメントがひとつも無いんです。

ひょっとして、うちの娘はみんなに好かれているんじゃないかと思ったりして、とても嬉しかった。

家族・親子
子供が出来たとき嬉しかったなあ。
あの子が結婚式だって

宅配寿司で忙しくて、365日ずっと仕事だった。
全く父親なしの状態で育って
どこかに遊びに連れていってあげるってこと
完全に0%
寝た後にしか帰れなかった。

そんな特殊な環境だったのに
何の問題もなく育ってくれた。

とても思いやりのある、良い女性になった

私は何にもしていないのに。

家族ってなんだろう
親子ってなんだろう

自分の母さんには、本当に愛情をかけてもらった
大人になってから、何度か真剣にありがとうとは言ったけど
東京に出てきちゃったから
親孝行で恩返し、って全く出来なかった。
そうこうしているうちに亡くなっちゃった。

そういうもんだ
その思いで、子供を育てれば良い
そして、その子供は、親孝行できなくても、またその子供に愛情を注げば良い
順繰りってやつだ

と思うんだけど
結局子供にかまってもやれなかったんじゃ
順繰りじゃないよね

ごめんね、母さん
ごめんね、娘たち

その娘が結婚式だって。

幸せです。

この日を迎えられたこと

娘に感謝です。
旦那様に感謝です。

明日、出席してくれる全員に
精一杯のありがとうを言ってきます。

[首相]8 山本権兵衛。ろうそくの灯の中のスタート

明治シリーズ兼歴代首相シリーズでやって来ましたが
大正時代に入ってしまいます。

歴代首相シリーズ1本にして、もうちょっとだけ行きましょうか

山本権兵衛
薩摩出身 海軍出身

♪ゴンベさんの赤ちゃんが風邪ひいた~

鹿児島市鍛冶屋町の出身

「イギリス艦、鹿児島湾に現る」という名の鹿児島にある銅像
薩英戦争の始まりです。
左から、大山巌、西郷従道、一番後ろからついていくおチビちゃんが山本権兵衛です。

大政奉還になると、薩摩藩は独自に軍隊を編成
15歳の権兵衛は、入隊資格が18歳だったため、
はい。18歳です。

西郷隆盛に紹介状を書いてもらって、勝海舟と面会
海軍操練所に入れてもらう。

それ以来、ずっと海軍の人

樺山資紀(かばやますけのり)海軍次官に随行して明治20年に1年にわたって欧米を視察
大いに見識を深める

樺山が海軍大臣になると、官房主事に大抜擢される
次に西郷従道が海軍大臣になると、どんどん任せて改革をやらせる
後ろくっついて行っていて良かったね

海軍の人材の人員整理を100人近くも実施したときは
さすがの西郷従道海軍大臣も、ちょっとやりすぎじゃない?

戦争になればまた召集すればよろしい

分かった。

西郷従道海軍大臣の後任でいよいよ、海軍大臣
日露戦争で東郷平八郎を大抜擢
お陰で大勝利

それ以降ずっと海軍大臣

首相へ
第一次護憲運動で桂太郎内閣が倒れる

後任は元老西園寺公望の判断に委ねられる

政党内閣はまだ時期尚早
と判断

薩派と海軍の支持を得て、組閣
とはいえ、この時期、長州と薩摩の差は開く一方
長州は長州閥と呼ばれるのに
薩摩はそこまで行かないねと、「薩派」と呼ばれている。

やっぱり最大政党、政友会の支持を取り付けねば。
西園寺公望は、自分が選んだ以上責任がある
実は自分が政友会の総裁
実際に政友会を切り盛りしている原敬(はらたかし)を呼ぶ

何とか、協力してやってもらえんか

どうしよっかなぁ

海軍大臣、陸軍大臣、外務大臣以外、全部の大臣を政友会から出してもらえるなら良いよ

何とも強気の条件

大蔵大臣の高橋是清(これきよ)なんて、直前に政友会に入党してから大臣になった。

海軍の時は輝いていたのですが
なかなか、首相になってしまうとね

大きな一歩は、陸海大臣の現役武官制廃止
それまでは、陸海大臣になるためには、現役で陸軍や海軍に所属していなければならない。

これを利用して、軍側が、首相を気に入らなければ
大臣を出さないという抵抗が出来ることを意味していた。
大臣が揃わないと、内閣が成り立たず、首相は組閣前に断念せざるを得なかった。

面白いですね
一番海軍で幅を効かせていた人が、現役武官制廃止を通しちゃった。

シーメンス事件
シーメンス電機の東京支店の社員が恐喝されるという事件が起きる

ほれほれ、ばらされなくなかったら、金をよこせ

そのネタはというと
海軍高官への贈賄

大問題に発展します。
ほぼ、ロッキード事件

この事件が元で、海軍出身の首相、山本権兵衛は退陣せざるを得なくなります。

第二次山本権兵衛内閣
それから9年が経過した、大正12年、8月24日
加藤友三郎首相が、現職のまま病死
えらいこっちゃ

空白は許されないから、すぐにあとを探さなきゃ
大正天皇から大命降下が下される
山本権兵衛君、後を頼む

今度こそ、仕事がバリバリ出来る内閣を作るぞ!

そんな組閣のまっ只中
9月1日をむかえます。

大正12年9月1日と言えば

関東大震災です

なんと不運な。

前倒しで、明日内閣をスタートさせよ

わかりましたっ

電気が復旧していない中で
ろうそくの灯の中で、その日の夜に、大正天皇から新任式を受ける

異常な船出
右往左往しちゃうんだけど
一番良かったのは、後藤新平を内務大臣に抜擢したこと。

30億円という、当時の貨幣価値からして、気でも狂ったか、という予算を計画し
帝都復興院を創設
後藤の大風呂敷と呼ばれる。

大蔵省との交渉で、7億円まで削られた。

さらに、伊東巳代治らが、復興審議会で、後藤新平を一斉攻撃

政友会も、さらに2割削減を要求
最終的に4億7000万になった。

震災前の状態への復旧ではない
新しい東京へ向けた復興だ

焦土を全て国が買い上げ、整理した上で、売却・貸付をする
全部買い上げ案は予算的に不可能になってしまったが

それでも、後の自動車時代を見越した、50m幅の道路や数多くの公園などを
着実に実行していった。

幹線道路を放射線状に敷く。さらにそれを、8つの環状道路で結ぶ。

「環七通り」「環八通り」はもちろんのこと、
「明治通り」「山手通り」「内堀通り」「日比谷通り」「晴海通り」「外堀通り」「不忍通り」なども、
この8つの環状道路計画の断片。

虎ノ門事件
何とかかんとか持ちこたえていた、山本権兵衛内閣だったが
虎ノ門事件が起きる

摂政の宮という、後の昭和天皇を
虎ノ門で無政府主義者の難波大助が虎ノ門で至近距離から狙撃
幸い、玉は反れて車に当たっただけだった。

それでも復興途中の日本に与えた衝撃は大きく
1年ちょっとで、退陣となった。

[首相]シリーズはこちら(少し下げてね)

[天皇]63 冷泉天皇。たった2年のちょっと変な天皇だけど

冷泉天皇
967~969年

村上天皇の第二皇子
第一皇子は広平親王
順番で言うと、広平親王の筈なんだけど母親の身分が低かったので、
藤原安子が産んだ方なので、冷泉天皇の方が生まれた途端に皇太子

村上天皇が亡くなった、冷泉天皇17歳の時に天皇となります。

17歳なんだから、摂政とか要らない筈なのに
元々、病弱で、奇行を行うことがあった。

天井の梁に鞠を乗せようと一日中鞠を蹴っていたり
病で床に伏せているときも、大声で歌っていたり
番小屋の上に座り込んでいたり

うーん
あかんの?それ

無邪気じゃないって思いますがね。

顔はとってもイケメンだったそうですよ

結局、藤原実頼が摂政となりました。

即位の時点から、
次の天皇の話ばかり

本人は、ええかげんにせいっ、て思いますよね

二人の弟のどちらにするかで大バトル

実力者、源高明の娘が奥さんである為平(ためひら)親王
とても頭が良かったんだけど

藤原実頼・師輔兄弟は、源に実権を握らせたくない。
その弟、守平親王を推した。

例によって、冷泉天皇を退位させようとしているということをでっち上げて左遷
菅原道真の時と一緒です。

安和の変と言います。

安和の変から約五ヵ月後、冷泉天皇は圧力に負け、弟の守平親王に譲位した。
円融天皇である。兄はこの時20歳、弟は11歳の若さ
たった2年の在位期間でした。

おかしいなあ。
退位させようとしている、という理由で左遷に持っていったんじゃなかったの?

この安和の変で、とうとう京都の宮殿内にいるのは全て藤原氏ということになりました。
このあとは、藤原氏内部での勢力争いが熾烈を極めることになります。

源氏物語
天皇の名前って、以前はその人が在位中にやった事を考えて、後に協議して付けるというスタイル
在位中は、帝、とだけ言えば分かるし、引退したら、住んでいる場所で大体特定する。
岡山のおばちゃん、みたいなそんな感じ。

でも平安中期辺りは、めんどくさくなったんでしょうね
生前に引退後に住んでいた場所の名前をそのまま天皇名にしちゃった。

一条、三条、朱雀とかです。
冷泉もそう。
嵯峨天皇の時に、別荘として作られた嵯峨院と冷然院という天皇が引退した後の別荘の名前。
冷然院が冷泉院と改名していた。

源氏物語で天皇が出てくるんだけど、実際にそうだったように、ちゃんとは呼ばれない
でも、それじゃ読み手は苦労する
誰が誰なんだか。

現代語訳されたりとかでは、ちゃんと名前がつけられている。
朱雀帝と呼ばれる天皇は、一ヶ所「朱雀院の・・」とあったから、朱雀帝
冷泉帝と呼ばれる天皇は、同様に「冷泉院の・・」で冷泉帝

この二人は実在する名前と被っちゃいました。
冷泉院に関しては、まだ存命中

おかしな天皇ということだったのに良いの?

冷泉帝って表向きは、桐壺帝の第十皇子という事になっている。
ところが本当は、光源氏と藤壺中宮の間の不倫の関係での子供
その後天皇になるので、かなり重要な役どころ

源氏物語って、源の姓を持つ光源氏が立身出世する物語
紫式部がボスの藤原道長から、こんな物語を書いてねとリクエストされて書いたもの

本来なら、藤原氏のライバルである源氏や平氏はケチョンケチョンになる物語が望まれそうなのに
全く逆

ある意味余裕のなせる技なんでしょう
本当にしのぎを削るような状況なら、こんな物語は書かせません。

京都での源氏最後のエース、源高明を追いやって、藤原氏オンリーとなったのが冷泉天皇の時代だから
ある意味、藤原氏からすると、そう悪い天皇でもなかったのかも。

現実の世界を思わせるような命名を残す
でも、現実に力のある天皇の名前を付けちゃうとそこから現実の世界が変わっていっても怖い
現実の世界で嫌われている天皇名であれば、良いと思ったかも知れません。

[天皇]シリーズはこちら(少し下げてね)