[三十六歌仙]16 源公忠。定時ぴったり

源公忠(みなもとのきんただ)

とのもりの とものみやつこ 心あらば この春ばかり あさぎよめすな
(屋敷の掃除を任されている守人よ、もし風流心が分かるのであればこの春だけは朝の掃除をしなさるな)

光孝天皇の孫です。

醍醐天皇・朱雀天皇に蔵人として仕え、
太政大臣藤原忠平らの信任も得ていた。
作風は穏やかで、勅撰集に私家集から多数入集している。

公忠は鷹狩りが大好き
公務の間、馬をどこかに繋いでおき、
公務が終わるとすぐにそのまま鷹狩に毎日のように出かけていた。
定時ぴったりで失礼しまーす。

久世の雉と交野の雉の味の違いを識別できるとの噂があった。
ほんとかな
両方の雉を混ぜて料理し、目印を付けて献上した

こっちが久世で
こっちが交野だね

あら、ピタリ

鑑賞
とのもりの とものみやつこ 心あらば この春ばかり あさぎよめすな
(屋敷の掃除を任されている守人よ、もし風流心が分かるのであれば
この春だけは朝の掃除をしなさるな)

満開の桜
桜を読むのも良いけれど公忠は、散った花びらが庭一面に広がり
風が吹くと、波のように揺れるさまを歌った。

うちの近くにもあるんですよ。毎年桜の季節にそういう風景
車が近くを通るたびに一斉にワワワッと舞い上がって花びらのダンス

もう一首

ゆきやらで 山路くらしつ ほとゝぎす いま一声の 聞かまほしさに
(行き過ぎられなくて、山路で日暮れとなった、ほとゝぎす、いま一声が聞きたいために)

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[迷信]2 なまずが騒ぐと地震が起きる

「科学で読み解く迷信・言い伝え」から

なまず絵
江戸時代に流行った錦絵に「なまず絵」というジャンルがある

古くからの言い伝えで
茨城県の鹿島神宮の地下に大なまずがいて
要石が押さえているというものがある

安政2(1855)年10月2日、安政江戸地震が起きた。

この地震の被害は大きく、推定される震度は東京都内や茨城県の取手市あたりで震度6以上
死者は江戸だけで1万人ほど

10月は神無月。全国の神様が出雲に集まる
となると、鹿島神宮の神様も不在だった訳で
そのすきを狙って、大なまずが暴れたに違いない

江戸庶民に定着したとも言える迷信が
天災に対する行き場のない気持ちを大なまず退治という錦絵に向かわせたのでしょう

地震予知
あまりに一般的になった迷信に、科学も真剣に取り組んだ

大正12(1923)年の関東大震災のあとも、東北大学の研究室において
振動や電流を使った実験が行われている。

1976年から1992年までは、東京都の水産試験場で
なまずと地震に関する研究が行われている。


どうなんでしょう、なまず君

なまずは全身の皮膚で電気の変化を感じとることが出来る
その感度は極めて優秀で
約7平方キロメートルの広さがある芦の湖くらいの水場に
小さな電池をひとつ落としても気づく

今、なんか落としはりましたね

地震の前には様々な電磁気の変化が観測される。

いけそうですね

ところが、我々の生活が変わっちゃった。
様々な電派を使う生活。

携帯プルルル

そんな中で地震の電気だけをより分けて
地震の場合は右のむなびれあげてね、ってどう訓練すれば良いか

過去に行われた多くの研究で
地震の予知行動と思えるような異常行動をなまずが示す割合は3割ちょっと

これを高いと見るか低いと見るか

なまずが異常行動を示しました。
みなさん地震に備えてください。
ただ、確率的には3割です。

そんな報道が意味を持つかという事になります。

なまずに限らず、色んな動物が地震の時に異常行動を見せている
ただ、結局は結果論。

そう言えばあの時ポチが吠えたのよ
って、あとから思えば、っていうレベル

結局は、動物の異常行動に限らず
地震予知は難しすぎるから
そこに金をかけるより
起きる前提で起きたあとどうするか、に注力すべし、という
全体的な風潮になってきていますね。

いつか、ちゃんと右のむなびれを上げてくれる
スーパーなまず君の出現を待ちつつ
日頃の備えを怠らないようにいたしましょう。

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[天皇]94 後二条天皇。方針転換ーっ、この前言ったのは嘘

後二条天皇
大覚寺統 1301~1308年

鎌倉時代も終わりが近づいてまいりました。

しめ縄が落ちたという訳の分からない理由でたった2年で交替させられた後伏見天皇
今度はまた大覚寺統の後二条天皇。

じゅんばんこ原則があるので次(皇太子)は持明院統。
関心事は、次の次
また大覚寺統に戻ってきた時に誰を天皇とするか

若い後二条天皇にはまだ皇子がいない。

大覚寺統の大ボス亀山法皇は、孫にあたる、後二条天皇の弟、
尊治王(たかはるおう)に決めた。
後の後醍醐天皇です。

待ってれば後二条天皇にも息子が生まれたかもしれないけど
早く決めたかったんでしょうか

分かったな

大覚寺統の面々を納得させ一件落着

ところが、想定外の事が起きる
なんと、亀山法皇おじいちゃんに、実子が生まれる
名は恒明親王(つねあきしんのう)。
お盛んです。

自分の子供が可愛くなった。

方針転換ーっ
この前言ったのは嘘
次の次は恒明親王だからね
分かったな。絶対だぞ。

そう言って亡くなった。

後宇多上皇としては、自分の息子、尊治王(後醍醐)の方が可愛いに決まっています。

恒明親王?
おじいちゃんそんなこと言いましたっけ
私にはよく聞こえませんでした。

いらん火種がまた出来てしまいました。
ただでさえ、両統に分かれていがみ合っているのに
さらに大覚寺統が真っ二つ

もう一度、後二条天皇の話に戻しましょう。

この天皇の治世、徳治2 (1307)年、たいへんな凶作だった
さらに不運なことに、疫病まで流行した。

天皇の不徳のいたすところだ、という声が高まる。
しめ縄が落ちたぐらいで譲位せよと大騒ぎするのだから
これは立派な交替すべき原因

そうなると、次の次すなわち皇太子を明確に決めなければならなくなります。

さあ、どうしましょう。

敵の敵は味方と言います。
持明院統としては、敵の内部でもめてくれた方がありがたい。
恒明親王一派と手を握ります。

例によって、関東への馬比べ
幕府にこっちに味方になってもらおうと、強烈な運動が繰り返されます。

たまたま、一方の後醍醐天皇がとてもやり手の天皇だった。
この分裂騒動が、後醍醐天皇をして相手に味方しようとする幕府に対する反感
そして倒幕へと動く理由になろうとは。

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[歳時記]11/15 七五三。七つ前は神の子

11/15

11月15日は「七五三」。

子どもの健康と成長を願う日本の伝統の行事。
徳川三代将軍家光の四男徳松(のちの五代将軍綱吉)の体が病弱だったため、
1650(慶安3)年11月5日に五歳の祝いを行なったのが由来といわれている。

三、五、七歳を対象にするのは、奇数という数字がめでたいこと、
また体が変化しやすい年齢だからというのが有力な説だ。

昔は、三歳になると男女が髪を伸ばし始める「髪置き」、
五歳になると男児がはじめて袴をはく「袴着」、
七歳になると女児が付け帯を解いて大人の帯を締める「帯解き」という行事が、
大人の仲間入りをするための 節目の儀式として行なわれていた。

これ、江戸検定では定番の問題なんですよね

七つ前は神の子
とくに七歳は重要な節目
昔から「七つ前は神の子」といわれるように、
七歳未満 は社会の一員として認められていなかった。

それが、七歳になると社会の一員になり、
罪にも問われ、亡くなると本葬も行なわれた。

日本史やっていると、昔どれだけ子供が成人になるのが難しかったかが良く分かる
天皇家とか、将軍家とか、お世継ぎがどうしても必要なところは本当に大変
一夫多妻でいっぱい子供を作らなきゃ、家が途絶えちゃう

江戸時代とか大好きで、良い時代だとは思うけど
こと、医療健康面については
本当に今の時代に生まれて良かったなあと思う

やっぱり自分の子供に対する愛情って今も昔も変わるはずはなく
そんなにうまく育たないから、子供が死んじゃっても仕方ない、なんて思う訳ない
辛くて仕方ない気持ちを何とか整理つけるため
七つ前は神の子って言って、自分を責めないようにしたんでしょう。

七五三を無事に迎えられたら
本当に嬉しかったでしょうね

記念写真
私が産まれ育った家庭は、年中行事的なものには一切興味がなく
正月以外はほとんど何もしなかった。

カミさんは山育ちだから、そういうのって自然と染み付いている

娘の七五三のとき
写真館でちゃんと写真を撮りましょうと。

えっ、何それ
そんなの無駄じゃない?

でも、これ大正解だった。

娘二人で並んで満面の笑み
可愛いのなんの

居間に飾ってあるんだけど
見るたび、昔は可愛かったよなあ、と
あの頃の思い出に浸れる

たいがいおかしな事ばっかりいうカミさんですが
この時から、カミさんの言うことに間違いはないと思うようになった転換点

若い人が結婚したり、子供が出来たりしたら
「七五三の写真は絶対写真館で撮った方が良いよ
その写真を見ながら、あの頃は可愛かったなあと思い出す一生になるからね」
と強くお勧めしています。

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