桜、桜また桜。ラッキーづくし

今日は、青山赤坂六本木のウォーキング

Mさんが企画してくれて
桜の名所を盛り込んでくれました。

私の場合、気持ちが塞ぐ事があると
ウォーキングをすれば回復できます。
とても助かる

昨日までは、ひょっとしてちょっと早めだったかと思っていましたが
早めに行って、青山霊園を下見

おおおっ。満開やん

青山霊園


ここは花見の穴場。
桜の量的には、上野公園とかに匹敵するけど、
墓地だけあって、シート広げてお酒飲んでいる人がいない

乃木神社では、
和装のお嫁さんの結婚式に遭遇
雅楽の演奏も聞けて
お幸せに

檜町公園
陸橋の橋があって、
その上から目の高さで真ん前で桜が見れる



見事っ

さらに、花づくしのガーデンカフェのイベントが開催されていました。
色とりどりの花花花
そのバックに桜
おお、幸せーっ

赤坂氷川神社では、
あらびっくり
ここでも結婚式
一日二回も結婚式に遭遇なんてラッキーラッキー
幸せのお裾分けをいただけました。

桜坂
さあ、イベントのタイトルにもした、ここがメインの場所
さあ、どうだ

満開ーっ

みんなで歌いました
♪さくぅらぁざか~

霊南坂教会
入ると、えっうそーっ
パイプオルガンの音色
またまた、ラッキー

練習をされていたのかも知れません。
若干動画を録らせていただきました

心が洗われます。

スペイン坂
スペイン坂へ向かう場所にかかっている陸橋
ここでも目の高さ桜が見れました



そして、スペイン坂

いやあ
どこをとっても、
ここはいまいちだったけど、って場所の無い完璧なドンピシャ満開

そしてラッキーな遭遇の数々

Mさんに感謝感謝です

[お出掛け]シリーズはこちら(少し下げてね)

キャベちゃん頑張ったんですけど

2022/3/26 9:55 キャベちゃんが亡くなりました。

すみません。先週末以来、経過報告ができなくて。
正直、少しずつ悪くなっていたんで、報告しづらくて。

強制給餌も毎日して、
おこめちゃんも頑張って、口移しで餌をあげていました。
でも体力が落ちていって、止まり木に止まれなくなった。

週末になったので、朝イチで病院に行こうと出発
かごの下をヨタヨタ歩くキャベちゃん

そのうち、つらそうに隅っこの壁に寄り添った。
足で立てなくなり、這いつくばる。

もうちょっとで病院に着くからね
頑張るんだよ

病院に着いて待合室
だんだん動きが無くなっていく。

佐々木さーん
水色のドアからお入りください。

あっ
動いていないかも

どんどん悪くなっていまして
すみません、今ひょっとして

捕まえて、耳に当ててくれて

亡くなっています。

きれいな布で包んでいただけました。

おこめちゃん
おこめちゃんは、キャベちゃんの事が大好き
二人仲良いけど、キャベちゃんからおこめちゃんへの愛の数倍
おこめちゃんはキャベちゃんの事が好き

帰りの道の中で
どうして報告したら良いのよ

おこめちゃん
キャベちゃんがね

布を開いて見せてあげました。

周りを周りながら、ちょんちょんつつきます。

ずっとです

いつまでたっても他の場所に行こうとしません。
キリがないので、また布で包みました。

寂しいんでしょうか
そのあと、私の方に来て、まとわりついて大変

キャベちゃん
うちに来たのが2018/5/4
くうちゃんの新しいお友達。メイちゃん来たよ
4年です。
くうちゃん、海ちゃん、シャケちゃん、キャベちゃん、おこめちゃんの中で
くうちゃんとほぼ並ぶ最長記録です。

それぞれ個性があって、人なつこいのは、海ちゃん、おこめちゃん、くうちゃんの順
キャベちゃんは我が道を行く、ってタイプ
やっぱり人なつこい方が可愛く思えるものですが
キャベちゃんは、途中から病気がちになって体が弱かったので
ずいぶん気になる存在でした。

人形を棚から落とすという技に凝って、
何度も何度もやっていた事もありました。

悪くなっては復活というのを何度も繰り返した。
キャベちゃん頑張れ、キャベちゃん頑張れって

今度も復活してくれると信じていたのですが。

このあと長女が来るそうです。
一緒に庭に埋めてあげます。

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[歳時記]3/25 電気記念日

3/25
電気は、もはや現代生活において欠かすことのできないものだ。
電気の灯らない頃と根本的に生活の時間帯が変わりました。
というか、その前が想像できない。

1878(明治11)年3月25日に日本ではじめてのアーク灯がともった。

アーク灯は、空気中の放電を利用したもので、強い光とともに高熱を発生する。
ただし、当初は電池を電源としていたため長時間持たず、
本格的に普及したのは発電機ができてからのことだった

明治11年(1878年)3月25日、工部省電信局は、
万国電信連合に加盟する準備として東京・木挽町に電信中央局を設け、
その開局祝賀会を東京・虎ノ門の工部大学校の講堂で開催しました。

祝賀会は、大臣や各国行使など150名を越える人々が参加し、盛大に行われました。
夕方、大学校の車寄せに多くの来賓を乗せた馬車が次々と到着し、
玄関から2階の講堂へ案内されていきました。

この日、会場に電気灯を使用するよう、
工部卿伊藤博文から特に命ぜられていた英国人エアトン教授は、
グローブ電池50個を使い、講堂の天井に設置されたアーク灯(「デュボスク式アーク灯」)を点灯するため、
自ら難しい調整にあたっていました。

やがて6時、エアトン教授の合図とともに、
目もくらむような青白い光がほとばしり、講堂をくまなく照らし出しました。
その場にいた来賓たちは、大拍手
点灯時間はわずか10分という短さ。
それでも「不夜城に遊ぶ思い」と驚嘆の声をあげたといいます。
これが、日本で電灯が公の場ではじめて点灯された瞬間でした。

翌年の1879年10月21日には、米国でエジソンが白熱電球を発明し、
日本にも輸入されました。
明治19年(1886年)には東京に電灯会社が生まれ、
電灯に動力にと、電気の時代が幕を開けました。

その後1882(明治15)年11月1日には、
銀座2丁目の大倉組(現・大倉本館)の店先に2000燭光のアーク灯がともされた。
これは東京電燈会社が行なった電灯の公開実物宣伝で、
警視総監や府知事なども招待された大々的なイベントだった。

なにしろ以前のように室内で、しかもわずか10分の点灯でも大騒ぎした当時の人びとのこと。
この日は屋外で、しかもこれだけの数のアーク灯がともるとなれば、
これはもう騒ぎにならないはずがない。

店のまわりには電灯をひと目見ようという東京市民が大勢押し寄せ、
まるで通勤ラッシュ並みの混雑ぶりだったという。

その中で、ともされたアーク灯の明るさは、とにかく目を見張るばかり。
見物人から「世界で1番明るいのはお太陽さま、その次はお月さま、3番目はこのアーク灯」
といわれるほどだった。
当時の人びとにとってアーク灯は、まさに文明開化の光だったのだ。

そんなアーク灯も、屋内使用に適さないといった欠点から、
白熱灯の普及とともにしだいに姿を消す。

だが、1986(昭和6)年に復元されて、当時と同じ銀座2丁目にポツンと一本だけ立っている。
派手なイルミネーションの中では目立たないが、今も水銀灯以上の明るさは健在。
さすがに昔の人を驚かせただけのことはある。

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[歳時記]3/24 マネキンの日

3/24

デパートなどのマネキンといえば人形に決まっている。
ところが、昔はなんとホンモノの人間がマネキンを務めていたことがあるのだ。

1928(昭和3)年3月24日、
上野公園で開催された御大礼記念博覧会で、
東京の高島屋呉服店が美人女性に和服を着せてソファに座らせた。

いわば人間マネキン。
それまでも人形を使ったマネキンもあったようだが、
これほど注目を浴びることはなかった。
だから実質的には、これが日本のマネキン第1号といってもいいだろう。

これ以後、彼女たちはマネキンガールという名前で、
販売とモデルを兼ねた花形職業婦人として注目された。
日給も8円という高額であり、当時のモダン・ガールの憧れの職業となったのだ。

ちなみにマネキンとは、フランス語のマヌカンがなまったもので、
「招金」にも通じるところがあるので縁起がいいともいわれた。

ところで、現在の人形のマネキンにも変化が訪れている。

かつてのロウ製からファイバー製へ、
さらに1959(昭和3)年からは、FRP (繊維 強化プラスチック) 製が実用化されて
本格的に使用されている。

しかし、最近では、廃棄後は再利用できず埋め立て処分するしかないため、
環境保護の点から問題であると指摘されるようになったのだ。

そこでこのほど大手デパートの高島屋が、
新たに登場させたのが、和紙製の処分しやすい「エコマネキン」。

焼却処分でき、ゴミの減量化にもつながると話題になっている。

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