赤坂氷川神社から、アークカラヤン広場へ

青山霊園へ行ってきました
乃木神社から檜町公園へ
の続きです。

赤坂氷川神社

ここは何度か訪れているんですが
なんかちょっと様子が違う
横っちょの方に、あの浅野内匠頭の奥さん、
瑤泉院(ようぜんいん)のゆかりの地です、って看板がひっそりとあったんですが
きれいな看板になって中央に

素晴らしい

最後に大石内蔵助が、ここに瑤泉院を訪れます。
南部坂の別れの名シーン

瑤泉院はようやく討ち入りかと訪ねるが
どこかに吉良側の間者がいては、と「あきらめた」と嘘の報告

口汚く罵る、瑤泉院

もうお会いできないのですね
この横の南部坂を泣きながら下っていきます。

渡された書状を読んで、真実を知る瑤泉院

内蔵助 そなたの真実の心も読めず、
口汚く罵った私はこの世の中の誰よりも愚か者じゃ。
さぞや辛かったであろう。
口惜しかったであろう。
どうぞどうぞ許してたもれ のう 内蔵助!

あっ、これは!
なんと境内にでっかい建物が新設
このようなものがいつ出来たのでしょう

山王祭の山車(だし)の飾りが見つかったとの事で、山車を再現したようです。
素晴らしいっ
のう 内蔵助

勝海舟邸
この近所で、勝海舟が引っ越しており、勝海舟邸跡が2つあります。
そのうちのひとつ

ここへは、坂本龍馬が、勝海舟を殺そうと訪れており
逆にその人柄に惚れ込むということになります。

ほら、いた

桜坂
♪君よずっと幸せに
風にそっと歌うよ
愛は今も愛のままで

揺れる木漏れ日
薫る桜坂

霊南坂教会
すみません、霊南坂教会はどちらでしょうか

おじさんに声をかけられました。

ちょうど私も行こうとしているところです。
一緒に参りましょう



今からバイオリンのコンサートがあるようで、
みなさんその準備をされているようです。

さっきのおじさんもバリオリニスト

およびじゃない?
こりゃまた失礼いたしました

スペイン坂
ここもイベント当日は桜でいっぱいになるでしょう

アークカラヤン広場
おおおっ
このようなものがっ

今日のコース全般
なんてお洒落なんでございましょう
Mさんにコースの企画をしてもらって大正解
到底、おじさんには考えつかないコースでございます。

[おでかけ]シリーズはこちら(少し下げてね)

乃木神社から檜町公園へ

歳時記で割り込み入れちゃいましたが
ウォーキング青山霊園に行ってきました
の続きです。

六本木トンネルを経て

乃木神社

出ましたっ。乃木希典(のぎまれすけ)陸軍大将
乃木神社は乃木邸の跡地で乃木邸や馬小屋も保存されています。

辻占(つじうら)売りの少年に声をかける乃木大将

辻占とは食べると中から占いが出てくるお菓子
英語で言うと、フォーチュンクッキーです。

坊や偉いね
残りはおじさんが全部買ってあげるよ

あれ、こんなに?
おじさん間違えてるよ

大丈夫。取っときな
みんなには内緒だよ

少年は恩を忘れず、一生懸命働いて金箔業で財をなし
銅像を建てました。
みんなにバレちゃいましたね

乃木大将と言えば、日清日露戦争での勝利の立役者
日露戦争での旅順攻略では、大勝利でロシア側の大将ステッセルと会談

新聞記者が、会談の模様を写真におさめようとするのをシャットアウト

ステッセルの気持ちになってあげてください。
屈辱の場は撮られたくないはず。

会談終わって横に平等に並んでいるところなら一枚だけ撮って良いよ

ステッセルは感じ入り、自分の愛用の馬をプレゼント

だめだめ。それは軍規に反します。
お気持ちは嬉しいので
戦争が完全に終わったあと、払い下げに出してください。
私が購入させていただきます。

ステッセルにちなんで「壽(す)号」と名付けられた馬がここで飼われて降りました。

少し時代が戻って、西南戦争の時
乃木希典は軍旗を敵に奪われてしまうという大失敗をおかします。

軍旗は命より大切なもの
明治天皇の元に謝罪に訪れ

申し訳ございません。
責任を取ってここで自決致します。

はあ?
アホかお前は
そんな事してわしが喜ぶとでも思っとるんか
あなたは私にとって大切な人材
少なくとも私が生きている間は、絶対に生きていてもらわんと困る

この事がずっと頭にありました。

明治天皇が亡くなった葬式の日
乃木は家の表札を外します。
表札を外すという行為は、この家にはもう主はいません、ということ

そして、学長をやっている学習院で講義をします。

みなさん、日本はどこにありますか?

アジアの一番東の端でしょうか

違います
日本はみなさんの心の中にあります。
その事だけは忘れないでくださいね

家に帰り
静子夫人に

見届け人になって欲しい

分かりました。
やっぱりそういうおつもりでしたか
あの時からずっと、私も覚悟はできています。
御一緒させていただきます。

ここが、乃木希典と静子夫人の殉死の部屋

乃木は名刀にて恰幅自殺

立派でございました。
しっかりと見届けましたよ

夫人は短刀で胸を突きました。

檜町公園
乃木神社から檜町公園へ行く途中にはとても良い道があるんですが
残念!コロナで閉まっておりました。

そろそろイベントの時の昼食予約のお店を見つけたいなあ

あっ。とってもお洒落なお店
オープンテラスもある
きれいな女性が並んで待っている。
今日のコース全般そうなんだけど
おそらく決まりがある

女性は美人しか歩いちゃダメ

ここは、並んでるぐらいだから予約は取ってくれないだろう
念のため聞いてみるか
並んでる前を失礼して横入り

あのう、次の次の日曜日、お昼に10人予約出来たりしませんでしょうか

ちょっと待ってくださいね
えーっと、はい、大丈夫ですよ

えっ、良いんですか?

ちなみにご予算的には

4~5000円ですが
2~3000円くらいでも

ああ、やっぱりそうでしたか
そこをなんとか1000円台でお願いできませんでしょうか

ちょっとお待ちください。

店長さんに聞いてきてくれ
本当はダメなんだけど
ランチでも予約OKにしてくれました。
Cafe & Grill

檜町公園
ここは、イベントでも何度か来ている
うーん、いつにも増してお洒落





広大な土地は、元、毛利家
長州が幕府に楯突いたもんだから幕末に召し上げられちゃったんだけど
あまりに大きいので引き上げるのも大変

このあと、ウォーキングはまだ続きます。
続きは明日ね

[おでかけ]シリーズはこちら(少し下げてね)

[歳時記]3/17 セントパトリックの日。緑一色

さらに歳時記から割り込みです

3/27
3月17日は、アイルランドの守護神として知られるセント・パトリックの誕生日だ。
彼は 三ツ葉のクローバーのような葉(シャムロック)で三位一体説を説き、
ヘビが支配していたこの地を解放したといわれている。
その功績を讃えて「セント・パトリックの日」が誕生したのだ。

この日、アイルランド各地では、人びとが盛大にお祝いをする。
ただし、アイルランドの国花でもあるシャムロックが、
実際にどんな植物だったのかはよくわかっていない

国花なのに良く分かっていないというのは
おおらかというか

まあ、良いんじゃない、って
人々はクローバーを身につけてお祝いに参加する

また、アイルランド系移民が多いアメリカ各地でも一大イベントが展開される。

もっとも 大規模なパレードはニューヨーク5番街で行なわれ、
リボン、帽子、ネクタイなど全身緑色の衣装を着けたアイルランド系市民で埋め尽くされる。

さらにエンパイア・ステート・ビル屋上のライトも緑なら、
パンやパスタ、アイスクリームからビールまでが緑色に染まる。

緑色はアイルランドの色。祖先の国を思って町中が緑一色に染まる日というわけだ。

[歳時記]シリーズはこちら(少し下げてね)

[歳時記]3/15 靴の記念日

ウォーキングの話題に戻る前に歳時記の方でもうちょっと割り込み

3/15
3月15日は「靴の日」
日本初の靴工場がスタートした日だ。

日本に西洋の靴がはいってきたのは幕末の開国後のこと。

ただし、当時靴をはいていたのはごく一部の人たちだけだった。

その後、近代戦となった幕末の成辰戦争で輸入された軍靴が使われたが、
ここでたいへんな問題が生じた。
西洋人の足のサイズが大きすぎて、日本人には合わなかった。

軍隊の近代化には靴が必要不可欠であると考えた陸軍創設者の大村益次郎は、
輸入業者であった御用商人の西村勝三に国産靴の製造を提案。

1870(明治3)年のこの日に東京築地に日本初の伊勢勝靴工場ができた。

今のリーガルコーポレーションに繋がります。
以前、文明開花をテーマにしたウォーキングイベントでも
この靴産業発祥の地に行きました。

これを記念して日本靴連盟は、1932(昭和7)年に「靴の日」を制定したのだ。

西村勝三は文明開花の申し子のような人で、明治のエジソン
文明開花を象徴する色んな商品開発に関わっています。
詳しくはこっちをみてね
文明開花を歩く。その3

1873(明治6)年の広告によると、
靴一足の値段はだいたい2円から7円程度。当時米一俵が2円だったことを考えると、3倍以上の値段で、とうてい庶民に は手が届かない高級品だったのである。

もうひとり、靴の産業の立ち上げとして名前をあげないといけないのが、弾左衛門
いわゆるえた非人をまとめあげているリーダー

江戸時代って、徹底的に小さな政府で、行政的なことはほとんど何もしない
なんでそれでうまく回ったかと言うと、
庶民に自主的に管理させる。

その見返りに、管理してくれる人たちに特権を与え、得をさせる
ある商品は、特権のある人にしか扱えないようにするとか。
例えば、床屋さんって許可を得た人しかやっちゃいけないんだけど
必ず橋の近くで開業しないといけなくて
その橋の管理や修繕は、床屋さんの責任。

えた非人ってただ差別され続けた、って思いがちだけど
実は革製品は彼らしか扱えない。
リーダーの弾左衛門はその特権を得たいくつかの仕事を配下の人に
うまく仕事を与えつつ回していた。

明治維新で身分制度撤廃。四民平等良かったね
だけど、それは特権がなくなることに直結した。

弾左衛門配下の人は、明日から食っていけなくなる。
弾左衛門それでめげてる暇はありません。
長年培った革製品のノウハウで靴を作ろう

結局は、一番成功したのは西村勝三ではあるけれど
弾左衛門たちもずいぶん頑張って
結局は西村勝三たちの会社と合併したりして
日本の靴産業の一躍は担っております。

[歳時記]シリーズはこちら(少し下げてね)