[首相]41 三木武夫。議会の子

首相シリーズ
角三福大鈴中(かくさんぷくだいれいちゅう)の内の二つ目、三木武夫になります

三木武夫

三木武夫は、徳島県北東部に位置する御所村(現阿波市土成町)に生まれた
父は肥料商を営み、裕福な家庭であった。
学校では
弁論部に入って主将をつとめた。
その演説は、つねに冷静で絶叫することなく、噛んで含めるような説得型であったという。
2度にわたる海外留学を経験
スイスのジュネーブで国際連盟の軍縮会議を傍聴した時
小柄な体で熱弁をふるうフランス外相ブリアンの演説に
深い感銘を受け、政治家になることを決意する

1937年(昭和12)3月23日、郷里徳島で、無所属で立候補する。
まったくの新人で泡沫候補といわれながら、
三木は仲間とともに自転車で走り回って遊説し、
みごと初当選を飾った。
「全国最年少の30歳、学生服の代議士」の誕生であった。

三木が当選を果たしたころは、
日米関係は悪化の一途をたどっていた。
翌年2月、三木は日比谷公会堂の「日米親善国民大会」で、
「日米戦うべからず」という演題の演説を行なう。
壇上には日の丸と星条旗が並んで掲げられた。
三木は、「日米両国が平和的に今日の対立を解決するよう努力することが、両国の政治家の責務ではないか」と訴えた。

だが、ついに日米は戦争に突入してしまう

戦時下の1942年(昭和11)4月、政党は解散に追いこまれ、
大政翼賛会が発足していた。
三木は立候補し、さまざまな干渉や妨害を受けたが、
蓋を開けてみれば、この「非国民」候補は悠々と当選を果たした。
「名もない大衆というものの強さ、骨太さ、これはやはり信頼することができる。これは自分の長い政治生活で不動の信念のようなものですね」と回顧している。

戦争が終わると、保守・革新ともに新党が続々と結成され
協同民主党の結成に加わる。
翌年3月に国民党と合併して国民協同党となり、
三木は書記長、ついで中央委員長に就任。
小政党ながら一党を率いる立場となった。

片山哲内閣では、
第一党の日本社会党が全議席の3分の1にも満たなかった。
そこで民主党と三木の国民協同党の3党連立で、
日本社会党の片山哲を首班とする内閣が成立した。

三木は逓信大臣として初入閣を果たすのである。
40歳の閣内最年少閣僚だった。

その後、党の離合集散が繰り返され
三木武夫は以下のような経緯をたどる

小政党、ないしは小派閥の長という立場が続くことになる

田中内閣で副総理兼環境庁長官に就任。

官僚出身ではないので、田中角栄と最初は通じるところがあった

だが、1974年(昭和40)の参議院選挙後に、
田中総理の金権政治を批判して副総理を辞任した

その後青天の霹靂となる三木内閣が誕生することになるが
この続きは次回

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[岩宿] 一家団らん

[岩宿] 相沢忠洋というひと
の続きです

相沢忠洋さんの書いた「岩宿」の発見、から

一家団らん
「岩宿」の発見、の本には繰り返し出てくるキーワードがあります
一家団らん

相沢忠洋がなぜ学者でもなく、学校すら出ていないのに、
旧石器時代の発見という大偉業をなすに至ったか

そこには、分かりがたい執着した感覚があり
それが「一家団らん」だった

相沢少年が8歳の時、鎌倉に移り住む
父母と三人の妹との6人家族
その後弟も産まれ5人兄弟

とても楽しい一家団らんの日々
ただ、それは1年数ヵ月でしかなかった

お父さんの家系は芸能の名家
お父さんも笛の名手で、次第に家を離れ、地方に公演に出かけるようになる

そんな中でもかろうじて夕食が一家団らんの場になっていたが
転機が訪れる

すぐ下の妹がかぜがもとで死んだ

この時、お父さんは九州地方に行って不在
電報は打ったが行く先が分からなかった

十日あまり過ぎた夕方、ひょっこり帰ってくる

和江が死んじゃった

父母が夜遅くまで、話していたが話の内容は分からなかった

それから数ヵ月たったある日
家に親戚が集まっていた
ただならぬ雰囲気
「生木(なまき)を裂くようなことをしなくても」
という、おじさんの声だけが聞こえた

数日後、夕食の支度をしているはずのお母さんの姿が見えなかった
お父さんが黙りこくって夕食の支度
妹たちは泣き出してしまう
その日は何時になっても寝付けなかった

翌日、11過ぎに母の姿があった
滝のように涙が溢れ、母にしがみつく

「ばかだねえ、どこへも行きやしないよ」

数日が過ぎて、ようやく安心して眠れるようになった
ところが、ある日目が覚めると、母の姿がない
近所を探してもどこにも

お母さんのばか、ばかばか

それから数日は目まぐるしかった
まず一歳になったばかりの弟が父におぶさっていなくなった
妹たちも、次々に父に連れられて、いなくなった

最後に忠洋は、杉本寺という寺に預けられることになった

土器片
時間は少し遡る
妹が亡くなってすぐあとの頃
近くで軍関係の官舎が作られる工事が始まった
その工事現場から土器片が出てくる

工事現場に遊びに行っていた忠洋少年は、その土器片に強く惹き付けられる
もらっても良い?

昔のものであることは分かったが
それが何であるかは分からない
もらうたびに箱に並べてコレクションしていた

あるとき、工事現場に見に来た人がいた

この間のはまだ持ってるかい。
このおじさんたちが見たいとさ

早速持ってきて見せた

これって何なの?

これは、まだ電気も何もなかった大昔の人が使ったものなんだ
昼間はお父さんが狩りに出かけ
お母さんはこんな焼き物を作る
夜にはお父さんが捕ってきた獲物を見せて
いろりの火を囲みながら、その日にあった事を話し合うのさ

その情景が少年の心の中にじいんと染み込んだ

その時以来、土器片は「一家団らん」の象徴になる
土器片を追い求める事は
一家団らんを追い求める事と、全く同じになった

続きはシリーズの次回

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