皇居であれこれ

皇居と勇気
の続きです

皇居
先日は、英語の話ばかりで皇居をレポートしましたので、今日はそれ以外のレポートをしましょう

三の丸尚蔵館
三の丸尚蔵館は最近建て替え
以前は無料だったのですが、大きくなって有料(一般1000円)で新登場
さすが。
きれいなものがいっぱい




果樹古品種園
江戸時代にはあったけど、今はあまり見なくなった木を植えたら
みんな参考になっていいですね
今の上皇様の発案

富士見櫓
天守閣が爆発してなくなった時、再建するかという議論で
保科正之(ほしなまさゆき)は
天守閣が良いところは眺めが良いってだけ
眺めならば、富士見櫓があれば十分、と言った

松の廊下跡
松の廊下の場所って、本丸の中でも2番目に格式の高い藩の控室の前なんです。
そんな場所で刃傷沙汰は絶対にだめ

富士見多聞
何度か皇居東御苑は来ているのに、ここ寄ったことない
こっち方面来なかったなあ
中に入れるのね。
2016年11月から一般公開が始まったんだと。すごいすごい

天守閣ギャラリー
これこれ。こういうのを作ってもらえたらなあとずっと思っていて
できたとネットニュースで読んだ気がするんだけど、見て確認をしていなかった。
天守台は残っているけど、その上にどういう天守閣が建っていたのか
皇居に観光で来た人は全く分からないと思うんです

考えた案が2つあって
1.今、VRの技術が急速に進歩しているから
天守台の前にタブレットかゴーグルかが置いてあってそれを通じて見ると
あら不思議
天守台の上に、天守閣が現れて、おおおっすげえっ、って感じ
先日の荻外荘(てきがいそう)や、以前行った府中の「国司館と家康御殿史跡広場」で実現している方法
コンテンツも実はあって、汐留のカレッタ汐留の中のEJVRカフェでは江戸城天守閣が、VRで見れる
それをそのまま買い取れば良いから、一番手っ取り早くて、一番安くつくだろうと思う
唯一の欠点が一人1台にしないといけないから、皇居だと観光客が多すぎ、長蛇の列になるだろうこと
2.ジオラマ作成
正直こちらが現実的かなと思っていた。有楽町の東京国際フォーラムには、江戸城天守閣の模型がおいてある。おなじものを作ればいい

前置きが長くなりましたが、この第二案が実際に現実化していた
これっ

思っていた以上の完成度
周りにある解説板も、私が作るならこれとこれは絶対言いたいというのを全て含み、さらにそれ以上
1.江戸時代は260年だけど、最初の50年しか天守閣はなかったということ
2.その50年の間に3回も丸々建て直されたということ(初代家康の時、二代秀忠の時、三代家光の時)
3.家康の時の天守閣は白いけど、家光の時の天守閣は、黒い
(なぜかというと、秀吉が黒い天守閣が好きだったから、家康は白にした)
(だんだん大きくなっていった。模型は家光の時)

さらに、天守閣の当時の設計書とかも展示してあってなみだもの
唯一の欠点が、おじさんがいること
ウォーキングイベント当日、それほど広くないこの建物内で、10人近くを引き連れてここで20分ほど解説したら絶対怒られる

いやあ、素晴らしかった。
これで、皇居東御苑の観光地は完成にほぼ近い
あと、食事できる場所さえ出来ればなあ。パン売るくらいでも良いんだけど、今は食べ物は唯一アイスクリームしか売っていない

二の丸庭園


二の丸庭園の池といえば、ヒレナガニシキゴイ

尾っぽがとても長くてユラユラ、優雅に泳ぐ
昭和52年(1977)、皇太子だった上皇陛下は
埼玉県水産試験場(当時)を視察された。
その際「インドネシアにヒレの長い鯉がいるので、
日本のニシキゴイと交配してはどうか」と提言されたのをきっかけに誕生したのが、ヒレナガニシキゴイ

無茶苦茶かっこいいんだけど、二の丸庭園以外で見たことがない
もっと増やして、日本の鯉はほぼこれにしてほしいなあ

[おでかけ]シリーズはこちら(少し下げてね)

皇居と勇気

3/21[金]に、会社帰りに、乗換駅の渋谷で電車を待っていた時のこと
外人さんのグループが駅員さんに英語で何かを聞いています
なぜか、駅員さん完全無視
可哀想にとは思ったが、声をかけてあげる勇気が出ない

困った外人さん、なんと、私に声をかけてきた
ここは、渋谷駅ですか、とスマホの英語版乗換案内を見せて聞いてきた

Yes

スマホの画面を指差す
池袋に行きたいらしい

Oh here
柱にあった路線表を指さして

this red line
next train ride on
one two three
3つ目ね

首をかしげているけど
同じ事を何度も何度も単語を並べて話しているとようやく通じたみたい

thank you
ありがとう

こんなに一生懸命英語やっているのに
いざとなったら単語並べるだけかいっ、とか思ったものの
なんだかとても嬉しくなった

私には大きな弱点がある
外人さんに、話しかけられない
スカイホップバスの仕事で強制的に英語を使わなきゃならない状況で自分を追い込みたかったけど
結局は怖気づいて、英語ができないことを告白してしまい、断られちゃった

となると、もう英語を使うべき機会がない
あるとすれば、町中にいる外人さんに話しかけること
日本人相手でも、見ず知らずの人に話しかけられないんです
話し出すといくらでも話せるんだけど、一言目が出ない
これができれば、もっと楽しいウォーキングになるのになあ、と思うことしばしば
ましてや、外人さんに話しかけるなんて、清水の舞台からバンジージャンプ

向こうから話しかけて来られた訳だから、厳密にはハードルを超えた訳ではないけれど、高揚感で幸せいっぱい

続いて、3/22[土]のことになります。
体調も戻ったので、おでかけしようかな
3月のウォーキングイベントは皇居の乾通り通り抜け
下見をしましょう

皇居
皇居は、2回ウォーキングイベントやっているので、
下見なくても大丈夫なくらいなんだけど
年に2回だけの乾通り通り抜けという
宮内庁横の普段入れない道に入れる機会なので
コースと時間を再度確認しておきたい

とともに、自分に課したもう一つの課題を実現しよう
「外人さんに話しかけること」
昨日で勢いに乗っています

江戸城が天下普請と言って、諸藩の大名に分担させて実現した工事であること
それは、防御のための建物であるはずの城を、ちょっと前まで敵だった諸国の大名に、手の内を明かすことになる
すなわち、家康は、もう平和の世の中にするんだ。
みんなで一緒に国を作り上げよう、という宣言なんだ
って事を英訳して準備

実はしゃべれるとは思っていない
翻訳機を首からぶら下げた
タブレットでの翻訳アプリも準備
機械に頼っても良い
外人さんに話しかける、という事実が重要
頑張るぞーっ

さあ、皇居にやってまいりました。
予想通り、ごちゃまんと外人さんがおられます。

えー
あかん
話しかけられん

まだ時間はあるぞ
とりあえず、大手門へ行こう

大手門では、荷物チェックのための行列ができていた
行列に並ぶ
すると、隣の男性に声をかけられた
私のカバンのファスナーが開いていた
見ると、なんと外人さん
おおおっ。天の助け

thank you

少し戸惑ったあと、思い切って
Which country did you come from?

コロンビア

オー、コロンビア

よく考えると、コロンビアは英語じゃない
でも、こっちは舞い上がっちゃっている
お父さん、お母さん、娘さんの3人連れで、娘さんだけ英語をしゃべれる

大手門に入ってきた
櫓門(やぐらもん)
敵が攻めてきた時、上から弓矢で攻撃する

(弓矢の格好をして)
矢 ビュンビュン 攻撃

(全部日本語やん)

戸がとても分厚い事を説明したい

door very …
(分厚いの英語が出てこない
仕方ないので、手招きして、分厚いのを見せる)

attack shut

oh protect

そうそう。protectね

Edo period Edo castle
(江戸時代と江戸城は予習済)

*@#$???

(何か言うてる。聞き取れん)

娘さん、スマホを持ち出して、書き込んだ
日本語で表示される
「何年か前に」

何年か前にも来たことあると言っているのかな
いや、この門が何年前に出来たか聞いているんじゃないだろうか

明治から今まで150年で江戸時代が260年だから、足して350年だな
(パニクっているので足し算間違えています)
ここで、ようやく、翻訳機や翻訳アプリを用意していたことを思い出す
翻訳アプリに向かって「350年前」
焦っているのでうまく反応しない
ええい、落ち着け
ええっとええっと
Three hundred fifty years old
(本当はyears ago ですね)

oh!

ここまででお別れ
満足満足

勢いに乗って、次々声をかけたかったんだけど
やっぱり勇気が出ない
富士見櫓のところでは、声かけられるチャンスがあったんだけど

翻訳機をすぐに操作できるように練習
すぐに見せられるよう、江戸城の天守閣の再現画像もタブレットに準備

声をかけられないまま、天守台へ

あっ、さっきの親子連れだっ

すかさず、娘さん相手に、翻訳機でしゃべる

There was a castle tower here.
(ここには天守閣があったんです)

The Edo period lasted for 260 years, but only the first 50 years there was a castle tower.
(江戸時代は260年続きますが、天守閣があったのは最初の50年だけです)

When the fire broke out, the castle tower exploded and disappeared.
(大火事があったとき、天守閣は爆発して無くなってしまいました)

Only the stone wall was built to rebuild. That’s this
(再建のために石垣だけは作りました。それがこれです)

But in the end, the castle tower was not rebuilt.
(でも、結局天守閣は再建しませんでした)

Since it was in the age of peace, there was no need for a castle tower to protect it.
(平和の時代になっていたので、防御のための天守閣は必要なかったのです)

The common people of Edo realized that the castle tower was invisible, and that the era of peace has become a place.
(江戸の庶民は、天守閣が見えないことで、平和の時代になったんだと実感しました)

翻訳機に完全に頼りましたが、よしよし

ただ、あの親子は向こうから、声をかけてくれたわけだから
こちらから、声をかけるということも一人くらいはしたい

意を決して、天守閣にいる外人さんに声をかけた

here is edo castle
と言って、ダブレットで用意した江戸城の画像を見せた

Oh thank you

やったあ

その後、北拮橋門(きたはねばしもん)でもさっきの親子連れにあった

北拮橋門は有事の際、カラカラカラっと滑車で門を跳ね上げて閉じ、通れなくしちゃう
その仕組みを説明したい
娘さんは先に行っちゃっていたので、お父さんを呼び止める
巻き上げる滑車のあとを指さして身振り手振り

ガーッ、カラカラカラ

Oh

よし、いい感じで目標達成じゃあるまいか

いつものように、ウォーキングのレポートに関しては改めて書きますね

[おでかけ]シリーズはこちら(少し下げてね)

御門訴事件、関連地巡り

[3/20の事です]

体力回復のためにサウナに行った
ということなので、そのまま帰れば良いのですが
せっかくここまで来たのだから、と思ってしまう
GoogleMapを見ると、「行ってみたい」マークの緑が2つある
いずれも御門訴事件(ごもんそじけん)の関連
歩くと大変だけど、車でならそれほどかからない
行ってみよう

御門訴事件は、わが東久留米市や西東京市など多摩地域広域での、
明治維新後早々の大きな事件
多摩地域の郷土資料館に行くと、どこでもこの話題が出てきます

御門訴事件(ごもんそじけん)
過去にも書いたので、良かったら読んでね
西東京市を巡るために

日本は稲作なので、年によって大きく収穫が変化
昔から、凶作にどう対応するかが重要で
倉に凶作の時のための備蓄米を置いておく
松平定信の時は、かなり効果のあった方法

明治維新の時期って慶応3年(1867年)から3年連続した不作と
時期的に重なっており、特に関東の農村では大打撃

新政府は備蓄米を貯めるようにと各県に指示
政策の時期が間違っています
凶作の時に、備蓄が出来ようはずがない

品川県(品川県というのがあったんですね)では、
新政府に言われた訳だから、推進しなきゃいけない
県下の農民に米の供出を命じた

ありえないっ!
今の市でいうと西東京市、武蔵野市、小金井市、小平市、国分寺市、東久留米市に渡る武蔵野の12村が一致団結

品川県と交渉するが、品川県は譲らない
リーダーの忠左衛門と伊左衛門は宿預(やどあずけ)。未決拘留です

明治3(1870)年、年が明けても忠左衛門、伊左衛門は宿預となったまま、
村には帰ってきませんでした。
さらに、1月7日には12か村の村役人が県庁に招集され、
県側の要求を拒否した全員が宿預となってしまいます。

この対応に業を煮やした12か村は、再び決起。
1月10日夕方、4、5 日分の弁当を用意し、
蓑笠姿で品川県庁へ向けて行進を開始しました。
その数は記録によってまちまちですが、
700から800人ほどだったといわれています。

こうした徒党を組んでの運動に、 東京中が騒然。
10日夜、県庁に詰めかけた農民たちは、県庁の門内に入れば強訴となるため、
あくまでも門前から訴状を提出して嘆願する門訴をします。
しかし品川県の「知事を引き出すつもりか」という声に対し、
農民が「左様」と答えると即座に門が開かれ、
武器を持たずに訴える農民めがけて切り込み、
大砲も打ち出すという武力で事態の収束にあたりました。

多数の逮捕者が出るとともに、厳しい取り調べが始まります。
取り調べには「痛吟味」という拷問が用いられたとされ、
野中新田名主・定右衛門、上保谷新田百姓・国蔵は獄死、
そして忠左衛門は病気で出獄後に死亡するなど、犠牲者を出しました。

県は18日には村々に告諭の高札を立て、
村役人らに先導された百姓らの罪は問わないとします
結局は廃藩置県で品川県自体がなくなってしまい、
この事件は幕を閉じることとなります。

関連地

招魂塔(しょうこんとう)
上保谷新田の共同墓地(しらし窪墓地)にあります。
明治12(1879)年に新田の「総村中」が建立しました。
建立の趣旨は記されていませんが、
御門訴事件の犠牲者の慰霊碑とされています。
裏や台座に上保谷新田の村人たちの名が刻まれています。

門訴当日のリーダーであった平井虎之助(のちの週作)が土地を提供して、
村内に散在していた事件関係者のお墓を集めて共同墓地とし、
招魂塔を建立したと伝えられています。

御門訴事件記念碑(倚鍤碑)(いそうひ)
御門訴事件を記録し、 あわせて井口家の犠牲者を慰霊するために
明治27年に建立されました。
碑文は、自由民権運動家、初代衆議院議長であり、
名文家として知られる中島信行によって書かれました。
倚鍤(いそう)とは、鍬に寄りかかって生きるという意味があります。

帰ろうかと思ったのですが
もう一つ、「行ってみたい」マークを発見
御門訴事件関連、もう一つあったか
真蔵院
農民たちが集まって会議し、門訴を決意した場所です

これまた多摩地域の郷土資料館では良く出てくる名主、
川崎平右衛門の慰霊塔もありました
川崎平右衛門定孝(1694~1768)は、押立村(府中市)の名主で、
元文三年(1738)の武蔵野新田の大飢饉に際し、私財を投じて救助にあたりました。
その功により幕府の武蔵野新田世話役に登用され、
南・北武蔵野新田八十二小村の復興に力を尽くしました。
この慰霊塔は寛政7(1795)年に建てられたものです

[おでかけ]シリーズはこちら(少し下げてね)

[添乗員] 一緒に入ってもらって5人で

月曜から火曜への夜中、トイレで起きて、布団に戻ると、頭がグラングランした
過去に何度かある。疲れているときに起こる
そのうち良くなる
問題は、水曜に添乗の仕事が控えていること
火曜1日はとても気持ちが悪かったもののなんとか乗り切る
祈るような気持ちで、火曜の夜、床についたが、ブアーッと汗が出てきた
眠れない
変な夢を見たから、少しは寝れたんだと思うが、寝れたような寝れていないような情況で朝を迎える

添乗の仕事は、どんな理由であれ、何がなんでも穴を開けられない

5:40に家を出る。良かった。歩けてはいる

うわあ、こんな日に雨とは。
46名参加。100%の満席。今までで最高の人数
受付を始める少し前に雨がやんで、よっしゃ
名簿と、座席表を広げて受付を始めるが
また雨が降り出した
異常な寒さ
順調に集まってきてくれた
忙しくて傘を指す余裕がない

お客様が、
ここで待っていないとまずいですか?

バスがついたら早めに乗っていただいちゃおうと思ってますので

雷が鳴ったと思うと、大量に雹が降り出した
出発時間5分前に全員集まった
よっしゃ
携帯電話で運転手さんを呼び出す
新宿は駐車違反を取られるので、呼出してから来てくれる

「ただいま、電話にでることができません」のメッセージが流れる
青いバスなんですけど〜
お客様もあれかも、と言ってくれるんだけど
行ってみても、全て違っていた
出発時間5分後にバスが到着
天気の急変で、道路状況も大変なことになっていたらしい

みんな凍えてバスを待ってくれた
私は傘をさす余裕がなかったから、お客様が傘を貸してくれたり

座席表はずぶ濡れで文字がしみ、一部は判別不可能
それでもみんなちゃんと乗り込んでくれた

あまりに大変だったので、自分の体調のことなんて、
どこかにすっ飛んでいってしまった

最初のいちご狩り畑では、ほとんどのグループの写真を取ってあげるために
回ることができた
朝の大変さと、この写真撮りのおかげて、
私にかなり親近感を持って接してくれるようになった

そうなると、こっちも体調が悪いなんて言っていられない

全ての工程が順調に、進んでいった
例のカバンに出発時間案内板をつけておくというアイデアは、とても良かった

若いグループが2つ。6人グループと4人グループ、いずれもとてもノリが良く
川場田園プラザでは、6人グループが雪合戦で盛り上がっていた
私が通りかかると、
うわあ、敵が来たぁ
私もノッて「ガオーッ」

3ヶ所でプレゼントというのがある。
それが込みの値段だから、分かっているはずだけど
みんなちゃんとビックリして、うれしいッとか言いながら受け取ってくれる

帰路で、最後のトイレ休憩で三芳PA
乗り込む時、若い4人組が手を出してきた

何でしょう

ここは、プレゼントないんですか?

大爆笑

さすがに最後の方は、バス内で眠気との戦いが大変だったけど、
なんとか乗り切った

新宿でのお別れ
若い4人組が降りてすぐ
写真を撮りたいんですけど

分りました良いですよ。シャッター押しましょう

いえ、一緒に入ってもらって、5人で

私もですか?良いんですか?

心の中では、大号泣
添乗員冥利に尽きる

全てが報われた気がする

[添乗員]シリーズはこちら(少し下げてね)