[神社] 牛頭天王。謎多き神様

神社シリーズ
古事記・日本書紀以外の神様です

牛頭天王(こずてんのう)

祇園祭で名高い京都の八坂神社は、
現在、スサノオノミコトと妻クシナダヒメ、
および彼らの8柱の子どもたちを祭神としています。

しかし、明治以前は祇園社という名で、
牛頭天王(ごずてんのう)という神様と、その后の顔梨采女(はりさいじょ)、
および彼らの子である八王子(はちおうじ)を祀っていました。

釈迦の生誕地に因む祇園精舎の守護神とされました
息子の八王子は地名の八王子の由来です

牛頭天王は、頭に牛の頭がくっついた異形の神です。
その由来ははっきりしていませんが、 疫病と関係する神で、
武塔天神(むとうてんじん)あるいは武塔天王(むとうてんのう)という神様と同一視されます

有名なのは、武塔天神と蘇民将来の説話です。
武塔天神は、結婚相手を探す旅の途中、ある兄弟と出会い、宿を求めました。
裕福な弟の巨旦将来(こたんしょうらい)は断りましたが、
貧しい兄の蘇民将来(そみんしょうらい)は、武塔天神を快く迎えます。

武塔天神は疫病を流行させ、巨旦将来の一族を滅ぼします。
しかし、蘇民将来の娘には、目印として茅という植物で作った輪をつけさせ、
疫病から守りました。
この物語から、厄除けのための「蘇民将来子孫家門」と書かれた護符や、
茅の輪くぐりの行事(茅でできた大きな輪をくぐる)が生まれたといわれます。

明治
明治初期、「日本古来の神様ではない」とされ、
牛頭天王を祀っていた全国の祇園社や天王社は、
祭神をスサノオに変えられてしまいました。
例えば、以前訪れた千住の素盞嗚(すさのお)神社も、
蘇民将来の話が案内板にあったので、
元は牛頭天王だったんだろうと思われます。
なぜ、牛頭天王がそんなに目の敵にされたのかは謎です。

しかし牛頭天王への信仰は残り、たとえば兵庫県の廣峯神社は、
「牛頭天王総本宮」を名のっています

理由もなく闇雲に牛頭天王を素戔嗚にしなさいと言った訳ではなさそうです
高麗に牛頭山という場所があり、そこでは素戔嗚が祀られている
元々、近しい存在だったのかもしれない

[神様]シリーズはこちら(少し下げてね)

富士山ありきの雨の日添乗

昨日、山梨のコースに添乗で行ってきました
新倉富士浅間神社と河口湖と食べ放題です

新倉富士浅間神社って、超人気で
この時期は、五重塔と桜と富士山が同時に見られる

「日本」を象徴する3つが揃うとあって、外国の日本ガイドには絶対載っており、
外国人で溢れかえります。

晴れていれば、です

雨です

一週間前から週間天気予報を毎日見るけど
ずっと雨予報が変わらず

桜については、もう散っているんじゃないかと思ったが、逆
木曜時点で問い合わせるとまだ五分咲きだという

YouTubeにライブカメラというのがあって、毎日見る
見事な富士山なんだけどなあ。
桜は満開まではまだ

さあ、当日

朝、雨が降っていなかったので、
奇跡が起きないかと思ったが、
残念。予報通り、降り出した

この一週間ずっとどう話そうか、考え続けた
研修のときは、富士山ありきのツアーで富士山見えないとき
帰りのバスはお通夜みたいになるから、できるだけ触れないようにするって

前回の静岡のクルーズでも全く富士山は見えなかったけど
ユリカモメに助けられた

考え続けた結論は
ダメで元々。実験の良いチャンス

研修で習ったのは、敬語も使ったちゃんとしたやつ
そんなの苦手だし、面白くない
でーこんスタイルでやってきたものの
極端に評価が分かれている気がする
「あいつはぞんざいで失礼だ」と考える人もいる

ウォーキングイベントなら好き勝手やっているけど
もう長くやっているので、私のスタイルは好き嫌いが明確に出ていて
合わない人は参加してこない

仕事となると、みんなお金を払ってくれている訳だから
私のスタイルに合わない人にも楽しんでもらう必要がある
そう思って、6割程度でやっている

いいや
今回はどうせダメ
一部の人にだけ受けるやり方でやろう

朝の挨拶から、ざっくばらんバージョン
長い長いタイトルをつっかえて
「長いっ」

ありがたいことに、12人のママ友グループさんたちが、ノリが良い

よっしゃ行けそうだ

新倉富士浅間神社の前には、
超絶景で、日本の象徴、五重塔と桜と富士山が揃い踏み
こういう日は大人のお約束です
「富士山」は禁句ね

祀ってあるのは、コノハナサクヤノヒメ

得意分野に持っていく
コノハナサクヤノヒメならまかしとけ、です
ニニギノミコトに
二人の姉妹が差し出されたんですが
お姉さんの方は返されちゃったんです
妹のコノハナサクヤノヒメは超美人
お姉さんは、こう言っちゃなんですが、ブサイクだったんですね

その後、五重塔とかで、みなさんに合うと
写真撮りましょう
あら、どうしたんでしょう
コノハナサクヤノヒメがいるぞ

桜は予想に反して超満開
助かったあ

さっきの3つ揃った写真が撮れる展望デッキは本来なら5分ごとの入れ替え制
この日は、すっと入れて、入れ替えなし。記念写真も取り放題
なんと、前日は展望デッキに入るのに150分待ちだったらしい

前日も同じ会社のコースあったけど、添乗員さんどうしたんだろうなあ
150分待ちは絶対出発時間に間に合わないから
展望デッキはあきらめてもらったかも知れない
そこに絶景が見れる場所があるのに断念せざるを得ないって
そっちの方がキツいよね

って事を話しまわって、
ラッキーラッキー、超ラッキーですね

ものすごい無理矢理ですが

新倉富士浅間神社は何とかなったものの
河口湖はキツかった
やっぱり河口湖は富士山あっての河口湖
湖畔にいっぱいある桜での桜祭りなんだけど
こっちの桜はまだ六分咲きくらい
桜いまいちの富士山全く見えない、雨の河口湖が楽しい訳ない

救われたのが、河口湖までの道を誘導しているときに
横にかなり立派な布袋さんがあったこと

通常、添乗は下車後の観光地でガイドはしない
現実問題として、40人近くいて、屋外でなかなか声が届かない
でも、この日は24人
何とか聞こえそう
よっしゃガイドしちゃおう

布袋さんの話は私の中でもテッパンネタ
毎年正月に七福神巡りやっている中でも、いつも締めに持っていっている感動話
話終えたとき、拍手が自然に起きたので、かなり良かったと思う

途中、ちょっと小雨になって、傘をささなくても何とかなった
ほぼ、バスの駐車場に戻りかけたとき、ふと見ると
あれれ、傘持っていないぞ
一体全体、どこに置いてきたんだろう
引き換えしても、速歩すれば、出発時間に間に合いそう
よし、探しに行こう
おそらく、さっき携帯で入れ込み電話したあの場所だろう

戻りかけのみんなとすれ違う
傘忘れたあ
大丈夫、おそらくあそこと分かってます

ところがその場所に無かった
ウヒョー

戻ってみんなに
ありませんでしたあ

これは、良かった
最高の自虐ネタが出来上がった

加齢のなせる技です
みなさん、加齢には注意しましょう

山梨FUJIフルーツパークで土産物の
富士山と桜がデザインされた折りたたみ傘があった
早速購入

みんなに、
ほら良いでしょう。証拠隠滅

最後の挨拶
お忘れ物無きよう、こうしてああして
と説明したあと

と、いつも言っているんですけどね
今日ほど説得力のない日はありません
お前が傘わすれたじゃないってね

ありがとうございます、と見送ったとき
また、一緒に写真撮ってくださいと言ってもらえた
ダメもとの日だっただけに、ひとしお嬉しかった

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羽村のチューリップ祭りに行ってきました

今日は、ウォーキングイベント
羽村でチューリップ祭りに行ってきました

ウォーキングイベントで桜は何度か外しているので
最近は桜を避け、桜の時期も、芝桜だったり、違う花狙いにしています。

今年は、チューリップ
去年、雨で流れちゃったイベントのリベンジです。
羽村は桜でも名所なので
4月は前半がさくら祭り、後半がチューリップ祭りになります

チューリップと桜が両方見れると良いですけど
両方がダブることはまず無い

と思いつつ、早めに行って下見
えええっ
桜まだ咲いてるの?
しかもこれ、超満開なんじゃないの?

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しだれ桜も綺麗かった

チューリップ
いよいよ、メインのチューリップです



ここは、ほぼオーソドックスなチューリップなのですが
一部、変わり種のチューリップもありました。




高い台も設置されていて
そこからは全体が見渡せます


羽村堰
玉川上水の始まりが羽村の堰
その話をさんざん説明
この辺は何度かブログでも説明しているので、省略

玉川上水の始まりあたりも桜の名所なのですが
当然もう散っているだろうと思って、イベントではそちらを歩くつもりはなかった
ひょっとして、咲いているんじゃないの?
急遽、そちらまで足を伸ばした

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[首相]49 宮沢喜一。自民党政権を手放す

英語ペラペラで、いかにもインテリって感じでした
やはり、外交面では足跡を残したけれども
政治腐敗の問題で足元をすくわれる
自民党分裂で、ジエンド、という結末になります。
宮沢喜一

海部後の総裁・総理選びも、また竹下派主導となった。
象徴的だったのは、竹下派の小沢一郎会長代行が、
派閥事務所に宮沢喜一ら総裁候補を呼んで面談したことだ。
宮沢は72歳にしてようやく総理になる。

懸案の国連平和維持活動(PKO)協力法案は、
1992年(平成4)6月の通常国会で公明、民社両党の協力を得て一部修正のうえで成立。
9月には自衛隊がカンボジアに派遣された。
7月の参議院選挙で自民党は70議席を得て、復調をはたしている

しかし、東京佐川急便事件に絡み、
竹下派の金丸信会長が5億円の裏金を受け取っていたことが暴露され、議員辞職。
金丸会長の後継者をめぐる内紛で、竹下派から12月に小沢一郎と羽田孜が離脱。翌1993年(平成5) 3月、金丸は巨額脱税事件で逮捕、起訴される。

自民党はいよいよ政治改革を迫られ、
同年4月に単純小選挙区制を柱とする政治改革法案を提出。
宮沢総理は通常国会中に「改革を必ず成しとげる」と発言したが、
竹下派の梶山静六幹事長が「改革は次の参院選後」と一蹴。
これに自民党内の改革派が反発し、
野党が出した内閣不信任案に同調、可決されてしまう。
宮沢総理は衆議院を解散するが、
その直後に自民党からの大量離党が発生し、
新党さきがけ、新生党が結成された。

選挙結果は自民党が223議席と過半数に届かず、
野党の7党1会派が連立したため、
自民党は1955年(昭和30) の保守合同以来はじめて、
政権の座を明け渡すこととなる。

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